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短編小説『フィラメント』第10話

 数日後。
 スクールカウンセリングを受けた由衣は自室で呆けていた。
 心の風邪のようなものだとカウンセラーは言っていた。

 つまりは誰でも陥る可能性のある病。
 彼女が抱いていた違和感や他人の視線、被害妄想などはじきに気にならなくなると言っていた。
 気休めの言葉だけがふわふわと辺りに漂い、由衣はぼんやりと「あまり気を張らなくいい」というカウンセラーの言葉を思い返していた。
 だが、絵が描けなくなったことに対しての返答は「そんなに急かずともまた描けるようになりますよ」と曖昧だった。

「今描けなくて悩んでいるのよぉ」

 少しだけ片付けの進んだ自室で由衣が消え入るように呟いた。
 彼女はカウンセラーの指導のもと、規則正しい生活を送ってまだ通学こそ出来ていなかったが、精神面は大分落ち着きを取り戻していた。
 だというのに絵が未だに描けない。
 彼女は口から黒い感情を煙のように吐き出し、ゆっくりと瞬きを何度かしてタブレットを三度取る。
 完璧は求めない。今の自分に描けるものを描こう。彼女はそう決意してペン先をタブレットの上で躍らせる。

 ぎこちないホワイトヘッドの動き。
 液晶に描かれる滑らかではない弧線。
 オリジナリティを追求するあまり崩れた構図にでたらめなパース。

 全てが思い通りにいかない。
 絶不調とはこのようなことを言うのだろうか。
 彼女は魂を搾り取る気持ちでただひたすら描き殴った。
 それは絵を描き始めた幼き日の感覚に似ており、どこか懐かしさや不甲斐なさ、無力感を味わいながらも彼女はあの頃の自分に宛てて描くつもりで続けた。

 数日ぶりに完成させた作品は歪なものだった。
 だが彼女は胸の内で渦巻いていたものを全て吐き出せた気がして、暗雲立ち込める空に晴れ間が見える。
 今度は陽が当たるのを恐れない。
 ほんの少しだけの前進。
 由衣は改めて自分と向き合うことで再び歩き出す。その姿がどんなにみっともなくて他人にどう笑われようが構わない。これが「わたし」なのだから――由衣の瞳に僅かな光が宿る。

 投稿サイトとSNSにアップロードしたそのオリジナルイラストは、彼女の思う通り評価は一件も付かず、閲覧数も微々たるものだった。
 以前の由衣ならばエア机叩きを決めているところだが、様々な出来事から自らを客観視できるように成長した彼女は大胆な行動に踏み切る。
 スマートフォンで素早く入力したメッセージを送信前に確認する。

「絵描きとして未熟なので、どこがヘンなのかご教示いただけないでしょうか?」

 由衣は送信ボタンを指で弾くのを一瞬だけ躊躇し、大きく息を吸い込んで吐くと「どうにでもなれ!」と指先に力を込めてそれを押した。

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