【小説】人外さんと探偵さんと 第一話人魔探偵

世界を救う詩──陰──作者:kacktさん

「にゃー。くるるにゃ~」 閑静な住宅街の朝の出勤時間。 一人の男が地面に這いつくばり、猫の物まねをしている。 通勤中のサラリーマンやOLは一瞬目を向けるが、またか、といった様子で日常に戻る。 普通に考えて変人の所業なのだが、この町では当たり前だった。 「にゃ~。うなんな~」 今度は藪に顔を突っ込んで猫なで声をだしている。 一歩間違えば警察に突き出されかねないこの男こそ、この町で有名な探偵その人だった。 猫探しが得意で、よくこうやって失せ猫を探している。 その依頼達成率は猫が無事な限り100%だ。 男の気持ち悪い声に反応して大きな猫が生垣から出てきた。 「う~な~。なぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」「 猫と会話できる。猫だけではなくあらゆる動物と意思疎通ができるのが、この探偵の強みだ。 篝猛(かがり たける)猫探しから不倫調査、鍵開けにハウスクリーニングまでこなす万能の探偵だ。 その本職は一応「人魔探偵」という、魔物と人との友好的な生活を守る退魔師だ。 そうこうしているうちに、茂みから大柄の野良猫が出てきた。 この辺りを仕切るボス猫だ。「にゃー、くるくるくるにゃー」「なうなうな~」 この辺りに迷い猫がいないかの情報などはボス猫に聞けば一発である。 話し合いの結果、ちゃおちゅ~る一本で情報提供してくれるらしい。 早速もらった情報を手に近くの茂みに分け入っていく猛。そこで恐怖でうずくまっている子猫を見つけた。「くるう。にゃんにゃか」 優し気な鳴き声で子猫に近づく。子猫は怯えながらも、なぜか猫語を話せる人間をおかしな目で見つめている。「にゃ?にゃ~にゃにゃ~にゃ……」 好奇心から家の外に出たのはいいが、帰り道が分からなくなり、他の野良猫に追い立てられる内にこの茂みに逃げ込んだらしい。 普通の猫は家から出たとしても、あまり遠くに行かずに家のそばで丸まってることが多い。 この子猫が野良猫に追いかけられて遠くまで来てしまったのは、飼い主や探している人たちにとっては予想外の出来事だっただろう。 白羽の矢が立ったのが猛だ。 動物に不幸な事故が起きない限り、迷子の動物は100%見つけ出す。そこに関しては有能な探偵だ。 他にも彼はこの町で親しまれている。 ハウスクリーニング、ハチの巣駆除、鍵開けにDIY。 内装工事に外壁工事、水道工事や電気工事もお手の物だ。 探偵らしい仕事がないのは彼が大して有能ではないからなのだが……。 これはんなうだつの上がらない探偵物語である。 重厚な扉を開けて一人の大柄な女性が古めかしい部屋に入る。 良く言えば趣のある、悪く言えば時代遅れのモダンな作り。 パーテーションで区切られた応接室の奥。そこに彼はいた。「ノックくらいしろよ。クレア」 クレア、と呼ばれた女性は事務椅子を持ち出してそこに腰掛ける。 180近くあると思われる長身に、鍛えられた筋肉。しかしそれ以上に特徴的なのはその頭に付いている『耳』だった。 遥か昔に繋がった人間界と魔界。 その魔界の住人であるオーク族の女性。それがクレア・ハートランドだった。「依頼主にそんな口を聞いていいのかな〜?」 アンティークの机に両足を投げ出し、椅子の背もたれに完全に体重を預けた男は、顔に乗せた雑誌を面倒くさげに剥がしてクレアを睨む。「人魔探偵、篝猛(かがりたける)!」 猛と呼ばれた男は大きくため息を吐くと姿勢を正してクレアと向かい合う。「また厄介な仕事じゃないだろうな?だいたいお前の持ち込む仕事は割に合わないのが……」「七不思議」 猛の話を遮ってクレアが言う。 その表情は先程の親しげで優しいものから真剣な物へと変化していた。 それを見た猛も気を引き締める。 普段は猫探しに家政夫にハウスクリーニングなど、便利屋紛いのことばかりしているへっぽこだが、本職は探偵だ。 クレアの言葉を借りるなら『人魔探偵』。 人も魔物も問わず依頼は受ける。それが彼のスタンスだった。「今年S区に新設された高校を知ってる?」「人間と魔物の共学の高校か?」 猛は即座に頭の引き出しから必要な情報を取り出す。瞬間記憶能力にも似た、猛の数少ない能力の一つだ。「そう。その高校に七不思議があるんだけど、最近それが実体化したらしいわ」 遥か昔、文明が今ほど発展していなかった頃は未知なるものへの恐怖心が姿を持って人を脅かす怪異となったという。 時代が流れ、科学の発展と共に幽霊や妖怪などは姿を消していった。 そこに起こった人間界と魔界の門の破壊は人々に原始の恐怖を思い出させると共に、幻や都市伝説の類いだと思っていたものが『本当にあった』と思いしらしめたのだ。「あそこは特に曰く付きの場所でもないのに、なんでそんな噂が立ったんだ?」 確かに昔より妖怪譚やフォークロアが実現しやすくなったとはいえ春にできた高校の夏休み中。 こんな短期間で怪異が実害をもたらす、というのはこの時代においても異常事態だ。「だからこそ、貴方に頼むんでしょう?」 クレアはニヤリ、と笑う。「七不思議や学校の詳細はこの書類にまとめてあるわ。じゃあ、あとはよろしく〜」 手を振って出て行こうとするクレアを、猛は呼び止めた。「そっちからの救援はなしか?」「私たちは警察でも、ましてや貴方みたいな探偵でもない軍隊なの。特に人間界じゃあ、ギリギリ穴を見つけて、こうやって誰かに依頼するくらいしかできないのよ」 ひらひら〜と手を振って、今度こそクレアは事務所を後にした。 面倒くさいとは思いつつも依頼は依頼だ。こなさなければおまんまの食い上げになる。「七不思議、ね……」 学校という空間にあっては特段変わった内容ではないが、クレアが持ってきたというのが引っ掛かっていた。 翌日。午前中にハチの巣駆除の仕事を終えた猛は一件の喫茶店に来ていた。「喫茶ユートピア」 扉を開けると懐かしいカウベルの鳴る音が聞こえる。 その音を背中に聞きながら、猛はカウンターに座る。「いらっしゃ……って、猛か……」 店主『田所修(たどころおさむ)』猛の姿を見ると明らかに肩を落とした。「客相手にずいぶんな態度だな」 猛はお気に入りのM〇Xコーヒーを飲みながら田所に話しかけていた。「せめて店内での飲食はやめろよ。俺のコーヒーを飲め!」 怒られて取り合えずコーヒーはしまったものの、飲み物は頼まずに言い訳をする。「だって苦いんだもん」「子供かよ……」 さて、と仕切り直して話に戻る。 田所修という男は今でこそ喫茶店のマスターに収まっているが、その昔は猛のように退魔師として活躍していた。「大して腕はなかったらケガする前に引退したけどな」 コーヒーを飲みつつ息を吐く。 毎回聞かされる昔話に辟易しつつ、猛は田所に書類を差し出す。「でも、いまだに情報収集と書類偽造は超一流、だろ?」 顔をしかめながらも書類に目を通す田所。昨日のクレアからの依頼をまとめたものだ。 日本全国の情報を集められる程のネットワークを持つ田所だが、『月蝕学園』の七不思議に関しての話は聞いたことがなかったようだ。「俺が聞くのもたまに来る学園生の噂話程度だな」書類をパン、と叩いて続ける。「しかしこの書類を持ってきたのが『ルシフェレス』ってのも気になるところだな」 田所も依頼主の点が気になっていたようだ。この依頼内容なら学園が主が普通だろう。しかも依頼先がうだつの上がらない個人の探偵事務所だ。猛よりマシな退魔師なら5万といる。「下手したら魔界の厄介なのが相手かもしれないから気をつけろよ」「この七不思議の内容で魔物か?」 数千年前からあるような、日本の古典的な都市伝説だ。「俺も外部から調べてみよう。ルシフェレスのサーバーにアクセスして、と」「……。そんなことできるのか」「パソコンみたいな科学の産物はまだまだ人間界の方が発達してるからな。意外と簡単だ」 もう集中して言葉が聞こえなくなっている田所を見て、猛は件の『月蝕学園』へと向かった。 ──校長室。 そこには獣面人身の男が狭そうにソファに座っていた。 ライオット・ゴールド。見事な金のたてがみに巨大な牙。彼こそが獅子の魔物だ。「わざわざご足労頂き恐縮です」 その隣には巨体に押しつぶされて狭そうにしている禿散らかしたおっさ……。校長が座っていた。 人魔共学ということで、責任者も人間と魔物と二人ずついるらしい。同じ種族の方が相談もしやすいだろう。 禿散らかしたおっさんもとい、岸田浩一(きしだこういち)はかけたメガネをクイ、と持ち上げながら猛にねぎらいの言葉をかける。 色っぽい淫魔の、秘書らしき女性がお茶を入れてくれた。 それを飲みつつ。(淫魔なんかいて、男子生徒は大丈夫なのか)と要らない心配が浮かんできた。「人と魔物が共存し始めて500年。我々もようやく人魔共学の学園を作りあげられました」 ライオットは感慨深げに語る。見た目は明らかに人を捕食しそうだが当然ながら心優しい獣人のようだ。「3000年前の『断空のビッグバン』以降は大変だったそうですからね」「あの時は大変でしたよ。いきなり想像上の生き物だと思っていた『人間』が目の前に現れたのですからね」 3000年前の話なのに見てきたように語るということは、ライオットはすでに3000年以上前から生きているのか。『断空のビッグバン』と呼ばれる人間界と魔界の門が突如として壊れ、二つの世界がつながったその日から人間界と魔界は常に戦争を繰り返して来た。「このまま話すのも何なので、学園を回りながら話しましょうか」 三人は立ち上がりながら学園を周ることにした。「1000年前に戦争が終結して友好条約が結ばれてから、ようやくここまでこれました」 岸田も人間と魔物がともに暮らせるように尽力してきた一人なのだろう。ライオットと仲が良く見えるのは長い付き合いだからなのかもしれない。 校庭では様々な種族の生徒たちが部活動に励んでいる。夏休みと聞いていたがみんな休みを返上して練習しているようだ。「七不思議が噂され始めたのはいつから何ですか?」 昔話ばかりしていたも仕方がない。猛の目的は七不思議の解決なのだから。「これは失礼」浩一は眼鏡をクイ、と持ち上げて。癖なのだろう。言った「今年の4月に開校してから5月末にはすでに噂されていましたね」 誰が流したのかは不明だが、3階のトイレには花子さんがいる。走り回る人体模型を見た。 そう言った噂が生徒内で流れ始めた。「私たちも魔物や悪魔の類いは問題ないのですが、人間界の妖しとなるとてんで手が出せなくて……」 ライオットは恥ずかしそうに頭を掻く。 口が裂けた人間なんて想像するだけで夜は眠れなくなるそうだ。(魔物でもお化けや幽霊的なのは怖いのか……) 今度洒落にならない怖い話しのサイトでも教えてあげよう。 妙なことを心に誓い校長たちと学園内を見て回る。 夏休みということだが、校内は活気に満ちていた。 陸上部の掛け声。 吹奏楽部の練習音。 野球部のノック風景。 ここには確かに平和がある。「頑張っている生徒たちが少しでも不安に思うことは取り除いてあげたいのです」 そんな生徒たちを見ながら、岸田が呟く。 見た目はハゲ散らかしているがその瞳は生徒を導く教師のものだった。「さて、校門に貴方を案内する生徒を待たせています。行きましょう」 少しの違和感。 このまま校長たちが案内をしてくれてもいいと思うのだが。忙しい、と言われてしまえばそれまでだ。 しかもわざわざ校門で待ち合わせというほもどうなのだろう。 校長室で合流すればいいだけの話なのに。 のんびりした学園風景を横目に、猛は気を引き締める。 まるで誰かに導かれるように、3人は校門に向かった。 流れる絹糸のような光沢を放つ黒髪。 年齢よりも育った肢体。 そして何より印象的なのは『大きな一つ目』 校門で待っていた少女は人魔共学のこの学園内に相手も目を引く姿だった。「高岡君。待たせたね」 岸田が声を掛けると、高岡、と呼ばれた少女はこちらに振り向いた。「いえ、そんなには待っていません」 揺らぐ大きな瞳を見て、猛はその少女の体調を心配する。(生命力が大きく減ってる?)「篝殿もお気づきですか?」 ライオットが小声で話しかけてきた。「普通の人間は気づかないでしょうが、彼女の命の力が抜けていくのがここ数日ではっきりわかったのです」 ライオットはこの少女が今回の七不思議事件に関与しているのではないか、と疑っているようだ。「体調は良くなさそうですが、当事者なら怪異に遭遇する可能性も上がるのではないか、と思いまして」 なるほど。少女に七不思議巡りの案内をさせたのもそのためか。 猛は警戒心は残しつつ、少女ににこやかに話しかける。「はじめまして。『人魔探偵』の篝猛だ。よろしく」 猛は右手を差し出すが、少女はその手を取ることなく頭を下げる。「はじめまして。高岡美月(たかおかみつき)と言います。よろしくお願いします」 タカオカミツキ……。魔物娘に見えるが日本人名なのか。 少し意外だった。「彼女は人間と一つ目族のハーフでしてね」 岸田が補足する。「彼女の存在自体が、人と魔物の共存の証なんです」 誇らしげに語る岸田。 なるほど。だから他の生徒に比べて人外度が高いのにも関わらず、人間も通う学園に在籍しているのか。 ここまで見てきた生徒たちは魔物と言えど、人間に最も近い姿をした種族ばかりだった。 校長のライオットも人外度は高いのだが。──他の生徒は耳や尻尾が生えていたり、肉球が付いていたり、肌の色が違う程度。 ラミアやケンタウロス、巨人族など見た目に明らかな差異のある魔物はいなかった。 それは悲しくも、人魔共学の学園ができたといえど、未だに差別や恐怖があるからだ。「と、申し訳ない。我々も仕事がありまして……。高岡君、あとは任せるよ」「わかりました」 美月にそう告げると、ライオットたちは今来た道を戻って行った。「行きましょう、探偵さん」 大きな壁を感じつつ、猛は美月と共に再び学園へと入っていった。 猛は七不思議の配列にある一定の法則を見出していた。 ますば遭遇時間。『逢魔ヶ刻』に限られている。 次に怪異の出現場所。 校門の口裂け女。 校庭の人面犬。 1階のテケテケ。 2階の走る人体模型。 3階のトイレの花子さん。 屋上へ続く魔の13階段。 屋上の死に続ける少女。「これは明らかに順番に巡ることによって、真の姿を表す呪術だ」 内容までは明らかになっていないもが、ここまでする呪いが人間どころか、魔物にとっても良いもののはずがない。「誰がこんなものを、何のために用意したのでしょうか?」 美月が当然の質問をする。「誰が何のためにやったのかは分からんが、ろくでもない理由に違いない」 猛の表情に怒りの念が浮かび上がる。 彼は本来対魔師というよりは除霊師だ。 魔物や悪魔を相手にするより、幽霊や都市伝説など、人間界に主に現れる怪異を得意とする。 だからこそ悲しい運命を背負った幽霊たちを利用するのが殊更許せない。「探偵さんは死んだ人にも優しいんですね」 今までの無機質な瞳とは違う、温かな。血の通った笑顔。 猛はこの笑顔こそが、美月の本質なのではないかと思った。「人間でも人外でも、死んだ後のことは変わらない。悪人は罰せられるし、普通の暮らしをしたものはまた輪廻に帰る」 その中に例外がいるのも確かだ。 それが、霊。「彼らは様々な思いを抱えてこの世に留まっている。その中でもとりわけ多いのが、無念だ」「むねん、です、か?」 ハーフとはいえ魔物に近い姿をして、ほぼ魔物として扱われた美月にはわからないのかもしれない。「悲しみ、辛い、怒り、嘆き、呪い、怨み。死にたくなかった。死んだことすらわからない。ただただこの世の不条理を一身に受けている」 霊体になることで他者の霊体と接触しやすくなった彼らは、生きている人間の魂に影響されやすくなる。 そして人間は悲しいことに、辛い記憶の方が鮮明に残る。「他の人の悪い感情も取り込んでしまう、ということですか?」「あぁ。その他者の悪い感情はさらに霊をこの世に縛る鎖になって、彼らを苦しめるのさ」 猛は悲しげに手を握る。「だからこそ、人間にしろ魔物にしろ、霊になったモノを冒涜するような真似は許せないっ」 初めて見せる猛の強い感情に、美月が少したじろぐ。 ただのヌボーっとしたおっさんではなく、歴とした退魔師なのだ。 そこまで思い至って美月の頭に疑問が浮かぶ。「? あの、魔物も、幽霊やお化け、になるんです、か?」「あぁ、あまり知られてないが、魔物もなるぞ」 ゴーストやミスト、なんて魔物もいるのに、何がどう違うのか猛にもわかっていない。 その言葉を聞いて美月の顔が一気に青ざめた。 クールな表情をしていたが、実はお化けは怖かったらしい。 生徒もまばらになった誰ぞ彼刻。 行きあう人が誰なのか。薄暗闇の中わからない。 たとえ相手が魔であっても、触れ合うほど近くに寄らないとわからない時間。 正門へ向かう道の途中、数人かの生徒と挨拶をしたが、その数も減り。 姿を表した魔。逢魔ヶ刻。「口裂け女、か」 遥か昔。この世界がまだ西暦という暦で呼ばれていた時からある、古い都市伝説。 赤いコートを羽織った長身の女性。 能力のない人間からしてみたら普通の人にしか見えないだろう。『私、キレイ?』 陽炎のように揺らぎながらこちらへ歩いてくる。「た、探偵さん……?」 人の血か魔物の血か。それとも美月自体の感受性が高いのか。 ……。それともただの怖がりなのか。『ねぇ。ワタシ、キレイ?』「綺麗だよ。とても」 女性は足を止めると。──顔の皮を剥ぐ。「ヒッ!」 美月は大きな瞳に目一杯の涙を溜めて猛の後ろに隠れた。 ミチミチと肉が引き裂かれ、大量の血が地面にぶちまけられた。 夏の熱気に紛れた匂いは一際濃く、あたりに染み渡る。『コレ……でも……?』 肉と筋と骨。 さらに人間と違い、その口元は後頭部に達するほど大きく裂けている。「あぁ。綺麗だ」 猛は臆することなく彼女に近づく。 コレは呪いだ。 猛は彼女を見た時からそれを感じていた。「もう、なにもする必要はないんだ。誰にも呪われず、誰も呪わなくていい。君の呪縛は俺が断ち切る」 女が鎌を振るう。「探偵さんっ!!」『おまエニっ! なニが……っ。ナニガ解るっ!!』 振り下ろされた鎌を右手で受け止める。 血が飛び散るが猛は気にも止めていなかった。「わかるさ。たくさん。君のような子をたくさん見てきた」 猛の優しい微笑みは揺らぐことなく、口裂け女の目を真っ直ぐに見つめていた。 遠い、遠い昔の話し。 地方に栄えた一族の話し。 この地に彼らに逆らえる者はおらず、ますます栄華を極めていく。 それは単に『呪い』の力だった。 本家とは別筋の分家に、彼らは呪物を埋め込んだ。 長い時間をかけた近親交配。 産まれる奇形。 およそ人間らしい生活や教養は身につけられず、言葉を話すこともできない。 同年代の子供たちが楽しげに生活する姿を見せつけてられ、なぜこうも自分と違うのかと思わせられる。 毎日繰り返される暴言の中で気が狂う者もいた。 そして子を産めるようになると、また奇形を産み続ける。 最も異形に近い姿をした者たちが生かされて、残りは全員。 異形の餌になる。 親も子供を産めなくなったら同じ末路を辿る。 長いこと。長いこと繰り返された呪いの儀式。 気づいた頃には人間の手に負える者ではなくなっていた。 それからしばらく。豪族たちと連絡が取れなくなったことを案じた役人が村へ入ると、村人は全員、ミイラとなって死んでいたという。 ただ一人生き残ったのは呪物の塊である異形だけだった。 その頃には彼女は全く違うものに変質していた。 呪うのでもなく。 呪われるのでもない。 ただそこにあるだけで呪いを撒き散らす、呪物。 国は禁忌として彼女を葬った。 数百年後、その呪物はかなりの力を削がれたものの、口裂け女という都市伝説として生まれ変わり、再び呪いを拡散させた。 そして今現在、最後の名残りとしてこの学園に現れたのである。「痛いほど伝わってきたさ。君の辛さが。でも、だからこそ」 猛は一枚の札を懐から取り出す。「君のような悲しい霊は、早く成仏しなくちゃいけないんだ」 取り出された札は優しく、口裂け女を労るようにのその心臓部へと貼り付けられる。「探偵さん……」 美月から見ても異形の怪物である。そんな相手にも、猛は深い慈悲の心を持って接していた。 最近ではどうしても魔物と人間のいざこざが多いため、軽視されやすい霊能力者だが、その心は人魔物関係なく包み込む慈愛そのものだった。「君の中の呪いは俺が引き継ごう。俺が解消する。だから、君は縛鎖から解き放たれて、新しい人生を迎えるんだ」 数千年越しの安らぎ。 人としての尊厳。 初めて知る、人の愛。 おそらく人として、初めて流した嬉し涙とともに、口裂け女という怪異は天に昇天(のぼ)る。 その光は紫に輝き、煙のように漂うと空へと消えていった。 光の残滓を受けた猛は、美月の目には誰よりも美しい聖人のように映った。 校門を潜り、校庭へと抜ける。『よう』 校庭の真ん中に座っている1匹の犬。人語を話すところからただの犬ではないことは明らかだ。 人面獣身。魔物にもそういう類のものはいるが、それとはまた異質な空気を纏っている。『まさか人間如きがあの口裂け女を成仏させるとは思わなかったぜ』 昭和の末期と呼ばれる時代に生まれた口裂け女はいわば模倣。オリジナルは猛が成仏させた方の口裂け女。 呪いの力も比ではない。『俺を成仏させるなんてアンタにはわけないな』「畜生界から解き放つことか?」  六道輪廻という言葉がある。 地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界。 その内の畜生界という地獄の片鱗に落とされた人間の魂。 それが人面犬の正体だ。『生前の罪で畜生界に堕ちたわけだ。ここで罪を償わなきゃ人間に生まれ変わることはできん。だから、アンタの力でちゃっちゃと……』 その言葉に美月は違和感を覚えた。 罪を犯しこのような姿になった。それは、人に成仏とやらをして貰えば簡単に人間に戻れるほど、たやすく消える罰なのか?「それはできない」 冷たくもない無機質な声で猛が応える。「お前の罪はお前が償え。それに、神だか仏だかが作った世界の理を俺程度の霊能力者が変えられる訳ないだろう?」 たとえ今猛が成仏させたとしても、人面犬自体が罪を償わなければ、また畜生界の生き物として生まれ変わり罪を償い続けないといけないだろう。『だよな……。せめて、この学園から解放してくれないか? こんなところにいたら罪を償いたくても償えねぇよ』 どんな罪を犯したかは定かではないが、少なくともこの人面犬は真面目に自身の境遇と付き合おうとしている。 そのことに美月は感銘を受けていた。許されない罪などない。正しい毎日を積み重ねていけばおのずと道は開かれるのだ。「それくらいなら俺にもできる。ちょっと待ってな」 猛は地面に魔方陣を描く。その中心には人面犬。「天地万物をつかさどる4天の王よ。我が声に応えその力を示せ。北に四青の巨人。東に一望の聖壁。南に赤四たる流るる河。西に二黄たる聖山。御奉りて願い侯。中央に座りし悲しき畜生をこの結界から解き放ち、その罪を償わせん」 手をかざすと、魔方陣は様々に光を放ち霧散していく。『ありがとよ。お礼ついでにいいことを教えてやる。この巡礼式降霊術、相当厄介な奴が絡んでるぞ。組織ぐるみかもかもしれない』 猛の考えにもそれはあった。 個人でするにはあまりにも大がかりすぎる。「ありがとう。肝に銘じておくよ」 それだけ言葉を交わすと、人面犬は姿を消した。「いろんな霊がいるんですね」 そんな儀式を目の当たりにした美月はぽつりと感想をもらす。 ただ怖いだけの現象だと思っていたが、それぞれの霊が抱える問題はとても大きく、それでいて誰もが抱えるような問題をただ一身に受けただけなのではないかと思った。「猛さん、霊ってなんですか?」 もっとも根源的で一番難しい質問。猛はそれに答えられないでいた。「俺もすべてをわかっているわけではない。けど」 今日この学園で美月が出会ったのは、単なる恐怖の対象ではなかった。「霊っていうのは、たくさんの人の負の念が集まって集まって、大きな呪いとなって」 猛は大きく広げた手を段々小さくしていきながら、手の平まで圧縮する。「爆発して人々を傷つけてしまう前に。人々を守るためにそれをその体で受け止めたがために、成仏できなかった魂だと思ってる」 魂や生命といった概念がない魔物にはわかりづらいかもしれない。でも、美月には何となく理解できた。 自分の意志とは関わらずにそういった呪いじみたものを受けてしまう人がいる。 猛はそんな被害者たちを解き放つ仕事をしているのだ。「さぁ、夜が来る前に次へ行こう」 美月を伴なって次のスポットへ向かう。   校内への出入り口。 猛と美月は室内履きへと履き替えると、廊下に立つ。「あれ? 高岡さんじゃん。そっちのオッサンは? もしかして、パパ活?」 いかにも性格の悪いギャル、という見た目の少女が美月をからかいに来た。「あ、七日さん……」 七日奈菜(なのかなな)。この学園の生徒の一人だがあまりいい噂の聞かない生徒らしい。「あんたみたいなのがいるから、この学園にも変な噂が立つんじゃないの?」 いわゆる虐め、という奴だ。奈菜と美月に残る残留思念がそのことを伝えてくれる。それでなくても見ていて気持ちのいい関係でないのは明らかだった。「オッサンも学園の中ウロウロしてたら捕まるよ? ってかあたしが通報したげよっか?」 楽しそうに卑下た言葉を口にしながら二人を煽る。「どっちかっていうと、君みたいな生徒がいるから変な噂が立つんじゃないか?」 歯牙にもかけずに猛が言い返す。廊下の隅の、電灯も照らしきれない暗闇の中。そこに何かがいるのを猛は見つけている。 この気配。美月はすでに気が付いて猛の陰に隠れる。 いくら悲しき業を背負っていても、人や魔物に害をなす怪異であることには変わりない。「なに? あたしがいるから七不思議が起こるとでもいうの?」 明らかに機嫌を害した様子で猛に突っかかる。「どーしたの? 奈菜?」 また増えた。猛はため息をついた。すぐそこに怪異があるというのに、その元凶に近いものが傍にいるのは甚だ面倒くさい。 六瀬六実(ろくせ むつみ)。五十嵐逸香(いがらし いつか)。どちらも奈菜の取り巻きで、美月にとってはいい友達ではない。 むしろ害悪だ。「いや、このおっさんが高岡と校内で堂々とパパ活してるみたいだからさ。警察に突き出してやろうかと思って」「マジで? キモ!」 ケタケタと笑う三人を他所に、美月の顔色は曇る一方だった。 からかわれているから。それだけではない。すでに怪異の気配を知っている美月は、彼女たちの後ろでその気配が怒気を増しながら膨らんでいくのを感じていた。「巻き込まれたくなかったら逃げろ!」 初めて聞く猛の声。「な、なによ、パパ活に私たちも巻き込むつもり? 絶対無理だし!」 瞬間。 刃が煌めき奈菜を襲う。「ちっ!!」 猛は雷よりも素早い動きで奈菜を助ける。 間一髪。もしコンマ1秒猛の救出が遅ければ、奈菜の首は今ごろ地面に落ちていただろう。「きゃあああっ!!」「な、なにっ!?」 六実と逸香も事態の大変さに気が付いたようだ。 彼女らの後ろには、鎌を両手に持った、下半身のない少女が肘で歩きながらこちらに近づいてきていた。 本来なら人や魔物には感じることができない存在のはずなのに。幻か幻覚のようなものなのに。 この場にいる少女たちは現実の出来事として認識できていた。 滴り落ちる血に腐った内臓の臭い。それは現実離れしながらも、確かなリアリティをもって彼女たちを恐怖に落とし入れていた。 さらに振りかぶられる巨大な2対の鎌。 目を閉じる学生の前に立ちはだかる探偵。「ダメだ。これ以上はだめだ!」 懐から札を取り出した猛が、紙切れ一枚で鋭利な鎌を受け止めていた。 鎌首をもたげた蛇のように。ズルズルと近づいて来る恐怖の根源。 蛇は嫉妬や執念の象徴。この悲しきテケテケと呼ばれた幽霊は、自分の意志で人を襲っているわけではない。『蛇』に憑りつかれその憎悪の火をさらに焚きつけられているのだ。「た、猛さんっ!!」 今までの幽霊とは違う。明確な殺意をもってこちらに襲い掛かってくるのだ。 しかもあれは。「あく、ま?」 美月には覚えがあった。この気配は都市伝説や幽霊、怪異と呼ばれるものではない。『悪魔』のものだ。「魔よ退け! 疾く還れ! ここはお前のいるべき場所ではない!」 符を手に悪魔返還の呪文を口にする。「ダメです、悪魔はその真の名前を知らない限り、魔界に変換することはできません!」 美月は自分を迫害している憎いであろう三人の前に立ちふさがり、彼女たちを守ろうとしている。幽霊相手には無力だが、悪魔となれば話は別だ。 レヴィアタン。嫉妬を司る蛇の王の眷属。テケテケに憑りついた悪魔の正体だ。ただ、真名が分からない。「ひっ!」 妖怪の異常なほどの気だけで普通の人間は恐慌状態に陥る。このまま長時間この妖気に晒されてしまえば、三人の正気が失われてしまう。 今は美月がそれを防いでくれているが時間の問題だ。「大丈夫だ。なんの問題もない」 猛が掲げた符は、白く輝くと敵の姿を照らし出す。「あいにく、俺を守護する神も蛇でな。しかも、こいつよりも数段力の強い神だ」 人間界の神。『美鏡神社』と呼ばれる八百万の神の1柱。その強力な神気は、テケテケに憑いた悪魔より明らかに格上だった。「我願い請うは八百万の神々の力、ここにあるべきではない悪の化身よ、その力を捨て在るべきところへ還れ! 魔性返還!」 退魔師にだけ許される一時的な魔界の門の解放。 違法な召喚で人間界に来た魔物や悪魔は、無理矢理力をそがれて魔界に還されるのだ。「すごい……」 魔方陣を用いずに悪魔を返還するのは至難の業のはずだが、猛は見事にやってのけた。「奴が蛇だったから、楽に返還できただけさ」 額に汗を浮かべて、猛は少女たちに向き直る。「怪我はないか?」 腰が抜けたいじめっ子三人はただうなずくことしかできなかった。「お前らが憎しみの心をもって高岡さんに接していた。それがあの悪魔をあそこまで増長させたんだ」 怒りと悲しみがこもった猛の声。 奈菜、六実、逸香は静かに聞いていた。「妬み嫉み、憎悪嫌悪、嫉妬迫害。これらを他人に向ければ必ず自分に返ってくる。今回はイレギュラーだが、同じことが少なからず自分に返ってくると思え」 そう言い終わった後の猛は、いつもの飄々とした雰囲気に戻っていた。「さぁ、君はもう輪廻に戻ろう」 悪魔から解放された哀れな幽霊は、猛の手によって生まれ変わることができる。 三人を保健室に連れていき、改めて七不思議解決に戻った美月と猛。 彼女たちが改心するかどうかはわからないが、美月へのいじめはなくなるのではないかと思う。「ただの霊でもああいう風に悪魔に憑りつかれて悪さを強要されるケースもあるんですね……」「人の心の隙に付け込むのが上手い魔物には、負の念でこの世に留まっている幽霊や妖怪は恰好の餌食なんだよ」 2階に向かう階段を上りながら二人は今の七不思議を思い返す。「でも、猛さん。ここで悪魔が関与しているということは……」 悪魔を召喚できるよな人物が、この事件に関わっているということだ。 魔物側の公的機関である『ルシフェレス』のクレアがこの話を猛に持ってきたのも、悪魔が出現したことと関係があるのかもしれない。「やはりこれは人為的に起こされた七不思議で、さらには魔物も一枚かんでる可能性が高い」 まだ七不思議は4つ残っている。(七不思議に近づくたびに、美月の生気がどんどん減っていく……) この少女が七不思議の一番の被害者なのは明白だ。 一刻も早くこの事件を解決しなければ彼女の命にもかかわる。 4月の月蝕学園。 新入生たちは心を躍らせながら学園へ足を踏み入れた。 人と魔物がともに学ぶ、世界初の学園。期待も不安もいっぱいだが、友好的な関係を保ち続けている両種族だ。きっとうまくいく。 学園関係者も生徒たちもそう思っていた。 しかし、実際に起こったのは虐め、迫害。 力の強い魔物は特に人間に危害を加えると厳罰を受けて魔界に還される。 だから高岡美月は耐えるしかなかった。 他の魔物に比べ、見た目に迫力がある『一つ目』の美月に恐怖心を覚える者も多かった。 その恐怖心は美月を迫害する、という行為によって魔物から人間を守る「正義」のようなものに移り変わっていた。 中心人物は七日奈菜。六瀬六実。五十嵐逸香。 些細なことから始まり、エスカレートしていき。傷害スレスレの問題にまでなりながら、クラスメートも先生も助けてはくれなかった。 ただ一人を除いては。 近藤夢(こんどう ゆめ)。彼女だけが美月の味方でいてくれた。 美月をかばい、慰め、ともにいてくれた。 その存在に美月がどれほど助けられたか。 少しずつ、他の魔物や人間たちも美月に味方してくれるようになったが、それ以上に虐めはエスカレートしていく。 彼女の魔物ならではの回復力も、肉体的な虐めを加速させる原因になっていた。 そうして心を閉ざしていく美月。 追い討ちをかけるように七不思議が噂されるようになってから、彼女の生気は魔物なら誰でも気がつくほど減り始めていた。 そこへやっと。 人魔探偵が現れた。 2階の廊下にたどり着くと、美月が崩れ落ちるように膝を突く。「大丈夫か? 保健室で休んでてもいいんだそ」 猛の声に、美月はかぶりを振る。「ダメなんです。ここから先のことは、私自身の目で直接観ないといけないんです」 脅迫観念か、当事者としての勘か。 立っているのもやっとという程体力を消耗した彼女は足手纏いでしかない。 それでも猛は、美月を連れていくことにした。──ヒタ。ヒタ。 二人のものではない足音がする。──ヒタヒタ。 少しずつ近づいてくる。──ヒタ。 姿が見えるか、というところで足音はぴたりと止まった。 足だけが、二人の前に立っている。「ひっ!?」 美月はよろけながらも猛に縋り付く。「大丈夫だ」 宥めつつも警戒は解いていない。 猛は後ろからの不意打ちを避けるために、背中を壁に預けるように美月に支持する。 足首は二人の前で止まるが、また別の方向から何かが近づいてくる。「っ!!」 それは人の内臓だった。 心臓が。肺が。胃が腸が脳が肝臓が腎臓が胆嚢が。 そして。 骨が、腕が、胴体が、顔が。  それぞれこちらに向かってくる。「大丈夫。作り物だ」 そうだ。 この階の七不思議は『動く人体模型』「猛さん、この人体模型も、悲しい過去が……?」 猛は首を振る。「残念だが、この模型は負の念の受け皿でしかない。今まで巡ってきた学校の中で、さっきの生徒たちのような加害者の魂に触れて人を襲うだけになった、哀れな人形だ」 ゴーレムのように、その体のどこかに負の情念の核となる部分があるはずだ。 それを破壊しなければこの人体模型は何度でも復活するだろう。 呼ぶ動作もなく、人体模型の腕が猛目がけて飛んでくる。「チッ!」 両手に持った符でその攻撃をいなす。 しかし敵の数はあまりにも多い。 防戦一方の猛になす術はない。「我願い請うは八百万の神々の力! 雷帝よ、その建き力を持ちて邪悪を退けよ!」 猛の力は基本的に神仏に願いその力を借りることにある。 もっとも、熟練の退魔師なら詠唱がなくても術を発動できる。 霊能力者としては一流だが、退魔師として未熟なのは誰の目から見ても明らかだった。「くそっ」 猛の術では全てを焼き切れない。「まだまだだなぁ」 人体模型の破片一つ一つに、霊気で作り出された短剣が突き刺さる。「田所のおっさん!」「おっさんは余計だ!!」 そこに現れたのは、喫茶ユートピアのマスターであり情報屋の田所修だった。「猛さんの仲間、ですか?」 呆然と田所を見つめる美月。「一応な。可愛いお嬢さん」 可愛い、と言われて美月の頬が少し赤くなる。「冗談言ってる場合じゃないぞ。次が来る!」 冗談と切り捨てられた美月はとりあえず、猛の足を思い切り踏みつけた。「いってぇ!!」 コントを繰り広げてる場合ではない。 核を見つけない限り、人体模型は何度も蘇るのだ。「雷で焼き払ってもダメかよ」 凍らせても無意味。切り裂いても再生する。「ダメです、猛さん。田所さん」 不意に美月が口を開いた。「ここには『本体』がありません」 普段は漆黒の色をした瞳が、今はサファイアのように赤く輝いている。 これは一つ目としての彼女の能力なのか。「本体は理科室です!」 その声に、猛と田所は美月をかばいながら走り出す。その先にある理科室には確かに、不穏な気が流れ出していた。「ここです!」 蹴破るように扉を開ける。その先には、禍々しい姿をした人体模型がたたずんでいた。 それは普通の人間が知る模型の姿はしておらず、様々な人形が積み重なり、無造作に組み上げられた異形だった。「うっ……!!」 美月は吐き気を覚える。 魔界にいる怪物や悪魔とはまた違ったその瘴気は、魔物である美月は感じたことがない威圧感だった。 模型が手をかざすと、無数の人形が襲い掛かってくる。 日本人形、西洋人形。子供のおもちゃから大人のおもちゃまで。あらゆる人形が人体模型の手足として襲い掛かってくる。「チッ!」 猛にとっての符は攻撃手段であり防御手段だ。 符をかざし攻撃を防ぎ、また敵を切り裂く。またある時は符を飛ばして遠距離攻撃を仕掛ける。 汎用性に富んでいるが、その分限りがある。また、符を使った大きな術は詠唱に加え集中力が必要なため、今回のような乱戦で使うことはできない。 対して田所の武器は短剣。両手に持ち小回りに優れた武器だが半面防御力と決定力に欠ける。「埒が明かない。猛、俺が時間を稼ぐから、お前の術で一網打尽にしろっ!!」 田所が猛と美月の前に立ち、一人で立ち向かう。 無謀だとは思うが、それ以外に道がない。 猛は心の中で礼を言うと、術を使うために集中に入る。「我願い請うは八百万の神々の力。神焔よ、邪悪なるものを焼き尽くし、この世に安寧をもたらせ! 『神火鳳凰乱舞』っ!!」 猛が呼び出したのは神の炎をその身に宿した鳳凰。 天照すその焔は邪を払い、この世界に安寧をもたらす神の化身だ。「すごい……」 猛の放った術は敵だけを焼き尽くす。 断末魔を上げて燃え、消えた人体模型は消し炭になったが、教室は無傷のままだった。「この程度の術にこんな時間かけやがって……。お前も退魔師は引退して、しがない便利屋みたいな探偵一筋にしたほうがいいんじゃないか?」 田所は肩をすくめるとおどけて見せた。「うるせー。これでも貼っとけ」 猛が取り出した符は体の傷を癒すもの。「もっとも、気休め程度だけどな」 猛はもう一つ、お守りを取り出すと美月に渡す。「助かったが、今ので相当精神力を使っただろう。これを持ってれば少しずつ回復していくはずだ」 これも大した力はないが、美月の精神力の消費を減らすことができるだろう。「次に行こう」 ほんの少しの休憩の後、三人は三階に進む。 次は『トイレの花子さん』だ。 三階についたが、特に怪異が起こる様子はない。「どういうことですか?」 人よりも気に敏感な美月にも気配は感じられなかった。「それは、花子さんが『こちらから呼びかけないと現れない幽霊』だからだ」 三階の手前から三つ目のドア。 三回ノックをしてその場で三回周り「花子さん、遊びましょう」と声をかけると現れる、召喚される怪談だ。「だったら、無視していけばいいんじゃないですか?」 美月がもっともなことをいう。が。「これは一つずつ巡って手順通りに屋上に辿りつかないと、最後の七不思議が現れない訪いの召喚術だ」 わざわざとはいえ、ここで花子さんを召喚しなければ元凶を叩くことはできない。「この大掛かりな召喚術、魔界側が関わっているのはもうわかっているとは思うが、『ルシフェレス』も一枚嚙んでるぞ」 田所が少しずつ調べ上げたことを話し出す。「俺にこの事件を依頼してきたのは『ルシフェレス』のクレアだぞ? 自分たちの手掛けてる事件を、わざわざ俺に頼むか?」 トイレに向かいながら情報を整理していく。「奴らの狙いがなにかわからないが、俺たち人間がこの事件に首を突っ込むのが奴らにとって何かしら有利になるんだろうな」「この七不思議は人間界のものなんですよね?」 美月が疑問を挟む。「そうだな」「じゃあ、これは人間界と魔界と両方が関わっている、ということですか?」 あえて美月には知らせなかったこと。 人間と魔物のハーフである美月。 人間界と魔界が手を組み悪事を働いていることに対して、彼女はなにを思うのか。 まもなく、トイレにつく。 訪いを済ませ、名前を呼ぶ。「花子さん、遊びましょう」 瞬間。あふれだす数えきれないほどの妖気。「猛、まて。なんだこの異常な数は!?」 トイレを。学校を埋め尽くすほどの人数の花子さん。 その花子さんたちは、なにかに憑りつかれた様に屋上へ向かおうとする。 屋上の手前に待つのは『魔の13階段』。 花子さんたちはそこめがけて列をなしていた。 そして。「花子さんが、異界に取り込まれてる……?」 田所がつぶやいた。「魔の13階段は人間界でも魔界でもない、また別の空間につながっているんだ」 次々と異界に飛び込んでいく。「生贄?」 そう、花子さんたちが異界に身を投げるたびに妖気がどんどん膨れ上がっていく。「それにしたって、この数は尋常じゃないぞ!?」 数百、数千にものぼる花子さんの列。「人間だけがこの世界を支配していたころ」 まだ西暦という元号を使っていたころに発生した怪異が『トイレの花子さん』だ。「それほどの昔から、花子さんは何度も何度も、学校の怪談の一つとして呼び出されてきた」「まさか……」「その呼び出された数だけ、花子さんがいるの……?」 子供たちの娯楽として、数えきれないくらい呼び出された花子さんは、呼び出された数だけ存在する。「それが全部、魔の13階段の餌食になって、さらにはこの先にある謎の召喚術の生贄になっているのかっ!?」 田所が驚愕の声を上げる。「それだけじゃない。口裂け女、人面犬、テケテケ、動く人体模型。奴らの犠牲者の生気すらも召喚のための力になってる」 その力があれば、どれほどの大物が召喚できるのか。「こ、この花子さんたちはどうすればいいの?」 こうなっては田所も美月もなにもできない。 田所は霊能力者ではなく、生粋の退魔師だ。「方法はただ一つ」 霊能力を持つ猛にしかできないこと。「片っ端から成仏させる!」 符を取り出し、13階段の異界に取り込まれる前に強制的に成仏させるしか方法はなかった。「だからなのか?」「え?」 田所がつぶやいた。「この事件は本来なら『ルシフェレス』が対処すべき事件だが、幽霊、妖怪が絡んできている。そして今の世に退魔師は腐るほどいるが、霊能力者はそう多くない」 特にこの学園の付近にいる霊能力者なんて、猛くらいのものだろう。「強制成仏! 強制成仏! 強制成仏!!」 約一時間。猛の声がトイレから響渡ったという。「はぁ、はぁ、はぁ。やっと終わった……」 トイレの花子さんたちはそれぞれに「ありがとー」とお礼を言いながら成仏していった。 何千年分の花子さんを成仏させたのか、見当もつかなかった。「お、お疲れ……」 さすがに田所も素直にねぎらった。「でも、これで花子さんたちも、輪廻の輪に帰れたんですよね?」 輪廻転生。魔物たちにはなじみのない言葉だが、美月はなんとなく理解できたようだ。「無理やりな……」 しかし、まだ七不思議は2つ残っている。「次はこの魔の13階段をなんとかしないとな」 屋上へ続く階段の途中。ぽっかりと開いた異次元への魔魅穴。 その空間はどこに広がっているのか。「おそらくこれは、屋上へ続く門じゃないか?」 魔魅穴を調べていた田所が言う。「でも、屋上に行くならこの穴なんかなくてもいいような気がしますが」「これはもう一つの屋上につながる門なのかもしれない」 階段を上がっていけば、そのまま人間界の屋上へつながる。 猛たちの目的は普通の屋上ではない。『召喚術が行われる異界の屋上』なのだ。 「じゃあ、この中を通らないと目指す屋上には辿りつけないの?」 気味悪そうに穴をのぞき込む美月。 穴の中はまるで生き物の内臓のように蠢きながらも、どこか蠱惑的に人を引き付けるような魅力を放っている。 13階段の魔魅穴はグロテスクさと艶美さをもって三人を迎え入れた。明らかに異空間だと伝わってくる。 穴に入った瞬間から、感覚がおかしくなるのを感じた。「すごい不思議な感じです。方向感覚も上下の感覚も時間感覚、全部がなくなったような気がします」 まるでふわふわと浮いているような、間延びした時間の中を三人は進む。「俺から離れるな。道に迷えば二度と元の世界に帰れなくなるぞ」 トンネルの先の先の先。生き物の臓物を思わせるような世界に、やがて終焉が見えた。「あれ、は……」 出口を守るように大きな生き物が立ちふさがっていた。 三つの顔に三つの口。その体内からは炎が噴き出している。 オオカミのような体躯。その尾は蛇の様相をしており猛毒の牙を突き立てる獲物を常に探している。「おいおい、あんなの俺たちの手に負える相手じゃないぞっ!」 神話などにも多く存在する魔界の門番『ケルベロス』。 その巨大な番犬はたまたまこの13階段に取り込まれた獲物を何人屠ったのだろうか。「この手の悪魔は喰った人間の数と質だけ強くなります。こんなに大きく強くなった個体は、魔界で暮らしたこともある私も初めて見ました」「向うさんもやる気満々みたいだな。猛、なにか策はあるのか?」 実力のない探偵は姑息な手で戦い、戦法で勝つのが世の常だ。 不敵な笑みを浮かべた猛は、懐から符を取り出す。「一つだけ策はある」 美月と田所は息をのみ、猛の切り札を期待した。「策はあるけど手はない。真っ向勝負あるのみだ」「それって玉砕じゃないですか!!」「お前は馬鹿か!! こんなんにどうやって勝てっていうんだ!?」「とりあえず、逃げよう」 猛は踵を返すと今来た道を走り、戻る。「ジョー〇ター家にも伝わってるだろう!!」 三人は一丸となって逃げるのだった。「はぁ、はぁ、……。ここまでくれば……」 猛が後ろを振り向くが、当然のようにケルベロスはついて来る。「全然逃げれてねぇよ! むしろ向こうのほうが早いわっ!」 田所は猛を置いていく勢いで走り続ける。 「ど、どうするんですか?」 美月はすでにあきらめの境地に入りその場にうずくまる。「俺が符術だけの男だと思うなよ」 すっと腰を落とし左足前の半身になり、右手は顔の前。左手は左足の上に軽く手を開いた状態で構える。「お前、体術なんてできたのか?」 田所は驚いたように猛を見る。 しかし、その体術も、構えを見る限りかなりの修練度だ。 とてもケルベロスに通用するとは思えないが……。「大丈夫。ただ一撃加えるだけで俺たちの勝ちだ」 右手に気を集中してケルベロスの攻撃をかわしていく。「おっさん、一瞬でいい! 奴の気を逸らしてくれ!」「クソ!」 手持ちのナイフをケルベロスの足元に投げる。 小さく爆ぜたナイフはほんの少しだけケルベロスを揺るがせた。 それを見た猛は流れる水のような滑らかな動きでケルベロスの側面に回り込み、その拳を振るう。「吹き飛べ!『倒的(トマト)』!!」 圧縮された気が拳から放たれると、ケルベロスの体が大きく吹き飛ぶ。 しかし、それだけでは魔犬には痛痒にもならない。「全然効いてないぞっ!?」「ぐるぁっ!」 咆哮をあげながらこちらに向かおうと体制をたてなす。 が。 なぜかその体は地面から落ちたように遠ざかっていく。 みるみるうちに影が小さくなっていき、そのうち見えなくなった。「どういう、ことだ……?」「言っただろう?道から外れたら戻れなくなる、と」 13階段の中には見えない道のようなものがある。そこから外れた先にあるのは、魔物すら飲み込み虚無だけだった。 猛の攻撃もダメージを与えることが目的ではなく、ケルベロスを衝撃波で道から外させることだった。「策は、あったんですね……」 腰が抜けたのか、美月はへたり込んだまま立てなくなっていた。 見事(?)魔界の怪物を倒した三人は、少しの休養のあと、13階段からしか上がれない『異界の屋上』へと向かった。 風が吹き抜ける屋上は、特に大きな変化はなかった。 異界だと言われてもピンとこないほど静かでいつも通りの場所。 夏らしく生ぬるい、湿気を帯びた風が強く吹き抜ける中、三人はあたりを見渡す。「おい、あれは?」 田所の指さした先に一人の少女が立っている。 蜃気楼のようにゆらり、と佇むその姿は儚げで今にも消えてしまいそうだ。 そして、その人物には見覚えがあった。「わ、たし……?」 美月の声に反応して、目の前の少女が振り向く。 にやり、と笑ったその顔は紛れもなく「高岡美月」そのものだった。 しかしその体に宿る『気』は尋常なものではない。おそらく美月の持つ『気』のほとんどを目の前の美月が持って行っているのだろう。「ドッペルゲンガーか……」 猛がつぶやくとほぼ同時に、揺らぐ幽体の美月は手すりを越えていく。「まてっ!!」 駆け出した田所がその手首を掴む。が、むなしくも田所が落ちていくもう一人の美月の手を掴むことはなかった。 コンマの静寂の後。──ぐちゃり。 何かがつぶれ、はじけるような音が聞こえた。 三人が慌てて下をのぞき込むがそこにもう一人の美月の姿はなく、一つの魔方陣だけが浮かび上がっていた。 その魔方陣こそが悪魔召喚のためのものだった。 魔方陣の真ん中に、美月の『気』の残照がいくつもあった。 猛は初めて美月に会ってから思っていた。『あまりにも気の量が多すぎる』と。 人間と魔物のハーフだとしても、その量は尋常ではなく生粋の魔物を凌駕していた。 おそらく犯人はそこに目を付けたのだろう。 美月の膨大な魔力を使い、悪魔を召喚しよう、と。 しかし美月の魔力はあまりにも大きすぎるため、一度に奪うことはできなかった。性急に取り出そうとすれば魔力の奔流に飲まれ、学園全体が吹き飛びかねない。 そのために、七不思議を使い少しずつ、本人にも気づかれることなく『気』を抜き取っていたのだ。「しかも、何千年前に流行り今は誰も知らないような形骸化した七不思議なんてものを使ってな」 美月の『気』だけではない。学園の生徒たちの恐怖や怪異に惹かれて集まってきた悪霊、七不思議に使われた幽霊、妖怪の力まで使い悪魔をこの世に召喚しようとしていたのだ。「でも、これで終わりだ」 猛は一枚の符を取り出すと、魔方陣に掲げる。「八百万の神々よ。今ここに彷徨いし哀れな霊を鎮めたまえ。清めたまえ。その生命を元の体に戻し、すべての怪異を収めたまえ」 小さな光の粒が猛の符に集まってくる。 幻想的な光。それは美月が奪われた『気そのもの』だった。 無理に取り出せば辺りを破壊しつくしてしまうような強大な魔力でも、猛は神々にその力を借りることによって暴走させることなくすべてを集めて見せた。「さあ、美月。こっちへおいで」 差し出された猛の手を取ろうとした瞬間──。 魔力の籠った炎が猛を襲う。「ぐっ!」 それをある程度予測していた猛は美月を庇いながら避ける。「誰だ!?」 田所は炎が放たれた場所に向かってナイフを投げる。 そこに立っていたのは。「学、えん……ちょう」 生徒を守るべきこの学園の長。  金の鬣を持つ獅子王。「ライオット! 貴様かっ!」「学園長……。どうしてですか?」 ライオットは何も答えない。変わりに人を死に追いやれる程の魔力を込めながらこちらを睨んでいる。 なにも言わずに田所がナイフを両手にライオットへ飛び掛かる。 たとえ敵わなくとも、この聖なる学び舎を穢した者を許せるはずがない。「ぐえっ!!」 その首根っこを捕まえた人物がいた。「早とちりするな」 猛。 猛は自分たちの後ろを指さした。「真犯人はこいつだよ」 ライオットの炎を浴びて倒れているのは、もう一人の学園長岸田浩一だった。 猛が美月に魔力を返そうとした一瞬を見計らって、その符を奪うために近づいてきていたのだ。「ライオット学園長、助かった」 礼を言うと、今度こそ猛は美月に魔力を返した。 青白く、生気のなかった顔に紅が差す。彼女本来の元気な体が戻ってきたのだ。「申し訳ない。私も探りを入れていたのですがなかな決定的な証拠が掴めず……」 コリコリと頭を掻く様が見た目に反して可愛らしい。ライオットとしても学園長として、この事件の解決を目指して色々探りを入れていたらしい。 岸田が怪しい、という所まで当たりはつけたが、それ以上分からなかったらしい。「なにしろ、今回の事件の七不思議というのが、我々魔物には全く理解できないものでした」 『ルシフェレス』としても同じだったのだろう。 退魔師としては三流でも、霊能力者としては一流の猛に依頼が来たのはそのためだろう。「これで悪魔が召喚される心配はなくなったわけか」 はぁ、と田所が大きなため息を吐く。「まだ。だ……」 簀巻きにされた岸田が立ち上がると、その身を地面に投げ出す。「なっ!?」 誰も止められないままに岸田は地面に向けて落ちていき。 ぐしゃりと魔法陣の上で息絶えた。「まさか!」 岸田は用意していたのだ。美月から魔力を奪えなかったときのための保険を。 誰も気づかなかったが、その体には生徒たちから集めた『恐怖心』や『猜疑心』など負の感情を用いて悪魔を召喚できるようにしていたのだ。「グラシャ=ボラス、この世界をめちゃくちゃにしろっ!!」 魔法陣から登場したのは、グラシャ=ボラス。地獄においては36の軍団を指揮し、序列25番目の大総統。 その容貌は犬の姿に、グリフォンにも似た翼が生えている。 そしてその能力は『人に大量殺戮の仕方を教える』。血と殺戮においては右に出るものはいない。「嘘だろう……?」『手に入れたぞ。久しぶりの肉体だ……』 1番恐れていたこと。魔神の復活。 その圧倒的な魔力は、ケルベロスなど遥かに超えるものだった。「ここが異界の屋上で助かったな」 でなければ、出現した時の魔力の余波で、校舎は吹き飛んでいたことだろう。 美月、田所は完全に動けないでいる。 かろうじて二人を守るように、猛とライオットだけが戦闘態勢に入ることができた。『獣人よ。なぜ人間などと連んでいる?』 先の大戦以後、人と共存する気のない悪魔は魔界の片隅に追いやられた。 凶悪な怪物には今の平和な世の中が不思議で仕方ないのだろう。 なぜなら、やつらにとって人間は殺すものであり、喰らうものだからだ。 契約により一時的に力を貸すことはあっても、対価があるからこそだ。『まずはそこの娘。巨大な魔力を持っているな』 グラシャ=ボラスは美月に目をつける。「ひっ……!」 金縛りにあったように動けなくなる美月。 魔界に住んでいたとしても、これほどの力を持った悪魔と会うことはない。「猛殿」 ライオットが小さく声をかけてくる。「今がチャンスですぞ。奴は人間界に受肉するのに、魔力の大半を使って疲弊しています」 岸田が集めた捧げ物だけでは完全体にはなれなかったようだ。 だからこそ早急に美月の魔力が欲しいのだろう。「私は文官でしたから、戦闘は苦手ですが猛殿のサポートくらいでしたらなんとか!」「その見た目で文官だったのか……」 どう見ても人を捕食する側に見えるが……。 猛とライオットが前に出る。その後ろに田所が美月を守るように短剣を構えている。「猛殿、武器は?」「今のところ体術のみだ」 祝福の光が猛を包む。ライオットの魔法が猛の体力と傷を癒した。「これは……」「小さい傷ならこれで回復するはずです。あとは魔法への耐性も高くなります」 ありがたいとばかりに猛がゆるりと足を進める。 その動きは水が流れるように美しく、それだけで猛の体術の熟練度が見て取れた。「刃よ、敵を砕け!『刃功砕(はくさい)』!!」 鋭く振るわれた腕から真空の刃が繰り出され、さらには岩をも砕く拳がは放たれる。 真空波はグラシャ=ボラスの目をつぶし、左券は固い毛に覆われていない鼻面に突き刺さる。それだけで敵はのけ反り、動きを止める。 その機を逃すことなくライオットが氷の矢を放つ。大きく広げられた翼に巨大な穴が開く。 苦し紛れにグラシャ=ボラスが雷のブレスを吐き出すが、田所の作り出した短剣の結界に阻まれた。「いけるぞ、猛!」 手応えを感じた田所が歓喜の声を上げるが、目の前の光景にかき消された。「だめです、この程度では……!!」 潰したはずの目や鼻が。使い物にならなくなった翼すら、傷一つなく再生している。 さらには、完全に防いだと思われた雷のブレスすらその威力を増し、結界を打ち破った。 この世に顕現するために多大な魔力を消費したとはいえ、魔王の眷属たる地獄の侯爵の実力は猛たちを凌駕していた。『今の退魔師はこの程度か……。これなら地上の制圧も容易くできそうだ』 契約者に戦争や殺戮の知識を与える悪魔は、再びこの世に戦乱をもたらすために現れたのだ。 最初の攻勢はなりを潜め、一気に攻め込まれてしまった。「まだまだ、鍛錬が足りないわよ! 猛!!」 大柄な影が巨大な戦斧を纏ってグラシャ=ボラスに襲い掛かる。翼を切り裂き、尾まで無き物にする。「クレア!」 クレア・オウクランド。 魔物側の軍隊『ルシフェレス』の部隊長の一人で、今回の事件を猛に依頼した本人でもある。 オーク族の彼女は力強い筋肉の鎧を身に着け、その膂力で中、短距離で戦うことを得意としていた。「お前な、遅ぇよ」 猛も田所も驚くことはなかった。 彼女が猛にこの事件を依頼したのは、『霊能力者』でなければ、この屋上へ正しい手順で来ることが出来なかったからだ。 猛がここへ至る道を作ってくれたからこそ、ライオットもクレアも異界の屋上に来ることが出来た。「私が来たからには、こんな悪魔、簡単に……。きゃぁっ!!」 クレアの攻撃も虚しく、傷は既に癒えていた。この回復力を何とかしなければ、グラシャ=ボラスを倒すことはできない。「で、でもどうすれば……」 美月はただその場に座り込むことしかできない。「正直、奴の回復能力を上回る攻撃を叩きこむしかない!」 敵の攻撃をいなしながらみんなに聞こえるように大声で叫ぶ。 一撃。全員で死力を尽くした一撃を一斉に放つ。 それで倒せなければ、勝ち目はない。「左手よ魂を抜け! 右手よ、魂を断て!『左抜右断(さぬきうどん)』!!」 猛の攻撃を皮切りに、それぞれが持てる最大の技でグラシャ=ボラスに襲い掛かる。『ぐぬぅぅぅっ!! 小癪な下等生物共め!』 一瞬、グラシャ=ボラスの姿が揺らぐ。 霧が晴れる様に辺りが明るくなっていく。「やった、のか?」 誰ともなしに呟いた。今度こそ。 今度こそ復活することなく、グラシャ=ボラスはその醜悪な姿を消した。「やったわね、猛!」「これで学園にも平和が戻るのですな!」 クレアとライオット。それぞれが歓喜の声を上げる。 しかし、猛の顔は険しいままだ。「まだだ!!」 猛が駆け出した先にいたのは美月。全員がグラシャ=ボラスに気を取られていた一瞬に、本体は美月を取り込むべく動いていたのだ。「しまっ……!!」 一足遅く、美月を黒い霧が包む。『ふふふ。ふははははははっ!! 手に入れたぞ、これぞ究極の魔力だ!!』「いやぁぁぁぁぁっ! 猛さん!!」「美月!」 懸命に手を伸ばす美月の手を掴めることなく、猛の手は空を切った。「な、に?この魔力……」 この場にいる誰もが戦慄するほどの魔力を放つグラシャ=ボラス。それは先ほどまでの比ではなく、この異界の時空の壁を破壊し現世に降り立つことすら可能なほどだった。「終わりだ。こんな化け物が地球に現れたら、また大きな戦争が起こるぞ」 田所は完全に戦意を失っている。「戦時中も確かに強力な悪魔でしたが、ここまでの力はなかったはず……」 唯一戦争を体験したライオットですら驚愕するほどの魔力。当然クレアも呆然としている。 クレアとて、魔界軍の部隊長。その辺の悪魔如き敵ではない。そのクレアが恐怖するほどの悪魔に変身したのだ。「これがこの学園を、高岡美月を狙った理由か」 ここまでの事態になってしまえば人間も魔物も関係ない。 せっかくの平和を崩さないためにも、両方が協力してこの魔王を倒さなければならない。「ここから出したら平和は終わる」 猛だけは。 猛だけはこの事態にあってもまだグラシャ=ボラスに絶望することのない意志をその瞳に宿していた。「だったら手はあるとでもいうのっ!?」 ヒステリー気味に叫ぶクレア。もう手はない。暗に彼女はそう言っているのだ。「手は一つだけ、ある」 猛は両の手を合わせると、自身の持てる最高の呪文を唱える。 あまりにも威力が大きく。 あまりにも世界への影響力が大きく。 猛の命を喰らい縮める程の最後の切り札。『天に座す八百万の神々一柱『白蛇の魔神』よ。我を守護せし神よ。この世の安寧のために、その姿を示せ。』『神器』。それは退魔師持てるという究極の武器や防具のことだ。 神や仏など人智を超えた存在からその力を借りる。 猛も例外ではなく、自身が信奉し守護を頂く神がいる。 それが『白蛇の魔神』。はるか昔に禍つ神、まつろわぬ民とも呼ばれた朝廷の怨敵だった邪神。それが大神に敗れ町の守護神として祀りあげられた神だ。 その巨体は山を3巻きもする程で、千の軍隊を人のみにし、一度尾を振れば地形を変えたと言われている。 今でこそ地方の小さな神社の神ではあるが、その力は失われたわけではない。「猛の神器だと!?」 クレアも田所もその存在を知っていなかった。 正直猛程度の退魔師が神の加護を得ることができると思っていなかったからだ。 そして強力だからこそそれは、最後の手段であり切り札であり、秘匿すべき能力なのだ。「神器、召喚」 前方にかざされた手から荘厳な光が放たれる。 その神々しさに、特に魔物のクレアとライオットが目を閉じる。 あまりにも強大な力。 一見してわかる。明らかにグラシャ=ボラスを上回っている。「出でよ『退魔ハリセン』!!」 猛の神器『退魔ハリセン』。白蛇の魔神が面白いだろうというだけで、猛の切り札である神器をハリセンにしたのだ。「おまっ!! こんな時にふざけてる場合じゃないぞ!!」「何考えてるの!?」「猛殿!」 期待していた三人は一気に絶望の淵に叩き落される。 いくら神器とはいえ、刀でも槍でも弓でもなく、お笑い芸人のツッコミ道具だ。「お、俺だってなぁ……」 猛はうつむいて体を震わせている。「俺だってもっとかっこいい武器がよかったさ!!」 神から賜る最高の武器。まさか文句の付けようもなく、有難く頂戴するしかなかった。「一応進言はしたんだ。神の使いである退魔師の武器がハリセンじゃ、神の品格も落ちるんじゃないか、ってな!!」 しかしその諫言も空しく『面白ければ全然OK』。という一言にかき消された。『あの、そろそろ戦ってもらっていいですか?』 一連のコントを見せつけられたグラシャ=ボラスが声をかけてきた。「お、おう。行くぞ、悪魔めっ!!」 全員が逃げる準備を整えている中、猛とグラシャ=ボラスだけは真面目に戦おうとしていた。『ふ、ふははははは! 人間め! その程度の力で我に歯向かう気か!?』 この状態できちんと戦ってくれるグラシャ=ボラスは悪役の鏡だとおもう。「お前の思うようにはさせん! この神器で貴様を滅ぼす!!」 退魔師と悪魔。遥か昔から続く因縁の対決が始まる。 グラシャ=ボラスのが音速に近い速さで猛に迫る。「私は『ルシフェレス』本体に連絡してくるわね~」「俺も『土御門』に報告しておくわ」「私も昔の戦友たちに声をかけてみましょう」 三人はすでに猛に期待するのをやめて、次の対策に移っていた。「グっ!!」 丸太のような尻尾を神器で受け止める。 普段の猛では即死だっただろう。しかし、神器を装備するということは神の威光を。その力をその身に宿すということだ。 今の猛には人智を超えた神の力が溢れているのだ。「はぁっ!!」 返す刀……。返すハリセンでグラシャ=ボラスの額を打ち付ける。 疾風をその身に宿し、山をも揺るがす怪力でハリセンを打ち付ける。 その威力にさすがのグラシャ=ボラスも体勢を崩す。その衝撃はグラシャ=ボラスだけではなく、足場にすらクレーターを作るほどであった。「あ、もしもし? 総隊長ですか? 私の請け負った案件で、かなりの事態が発生しまして……」「おう、『土御門』の大和命(やまと みこと)はいるか? そう、三番隊の隊長の大和だ。至急連絡が取りたい」「あぁ、久しぶりだな、サンダースノー。実は大変なことになってな……」 グラシャ=ボラスは翼の羽を弓矢のように打ち出す。 広範囲の攻撃は猛だけではなく、クレアたちに襲い掛かる。「光よ! 全てを守れ!!」 神々しい光が盾となり、猛たち全員を守る。異界の校舎が崩れ落ちていく。「不可視の刃よ! 『忍刃(にんじん)』!!」 目に見えぬ退魔の剣が敵を包囲する。これに対して、グラシャ=ボラスはただ耐えることしかできない。 攻撃の手を緩めず、さらに技を繰り出す。 グラシャ=ボラスの回復力は神にも手が届くほどだ。「邪なるものをすべて押しつぶせ! 『邪牙重(じゃがいも)』!!」 空中に飛び上がり、神力を込めたハリセンを叩きつける。 神の力は重力を倍加させ、悪魔の内臓ごと地面に押し潰す。 しかしそれでも致命傷にはならない。 確実に。 確実にダメージは与えている。『たかが人間が、この我にここまで食らいつくとは……』 口から血を滴らせ、グラシャ=ボラスが苦言を漏らす。内臓に多大なダメージを受け、回復が追い付いていない。 満身創痍なのは猛も同じだった。 悪魔の爪が、牙が、尾が、羽が。すべてが致死の凶器となって縦横無尽に襲いかかってくるのだ。 いくら神器が強力でも、すべてを防ぎきることはできない。「とりあえず私たちは、この異界を脱出することを考えましょう」「そうだな。いくら増援を呼んだとしても、ここにたどり着くことはできない」「外に新しく結界を張り、その中で周りに被害を出さないように戦うしかないでしょうな」『grrrrrrrrr……』 グラシャ=ボラスが唸ると、口から光が漏れ出る。 黒い光。それはグラシャ=ボラスの魔力の塊だった。「くそ! 早く美月を助けないと……!」 敵が使う魔力の根源は、美月の魔力だ。 多大に魔力を使われれば、たとえグラシャ=ボラスを倒すことができたとしても、美月の命はないだろう。『カっ!!』 黒き絶望が魔犬の口から放たれる。 時空が揺らぎ、空間にひびが入る。 それだけでこの異界と人間界が繋がりそうな程の威力だ。「くそ、『倒的(とまと)』!!」 猛が繰り出した技は完全に野球のバッティングだった。『っ!?』 打ち返されたのが以外だったのだろう。意表を突かれたグラシャ=ボラスは、威力を増して打ち返された魔力の咆哮をまともに受けてしまった。 もはや回復もできずに、グラシャ=ボラスはその場に立ちすくむ。「これで終わりだ。悪魔!」 猛は残る退魔力と神力を込め、渾身の一撃を繰り出した。「秘奥が一。消し飛べ『苛烈雷疾(カレーライス)』!!」 まさに苛烈を極めた一撃は、グラシャ=ボラスの肉体だけではなくその魂をも砕く必殺の技だった。「今だ!!」 その魂に囚われた人影に手を伸ばす。 さっきは届くことなくすり抜けたその手を、今度こそ掴む。「猛……さん……」 魔力を使われ、邪悪な魂に捕まった美月は完全に憔悴しきっている。 でも、生きている。 それがどれだけ奇跡的なことか。 グラシャ=ボラスの魂の中からその戦いを見ていた美月にはわかっていた。 死を覚悟した。 グラシャ=ボラスと共に消滅させられる可能性もあった。 しかし猛は美月を助けることも、敵を倒すことも諦めず、両方を成し遂げたのだ。「えっ!? 倒したの!?」 クレアが驚愕の表情で猛と美月を見ていた。「あ、あの化け物を消滅させた、だと……?」 魔性返還どころかその魂ごと消し去った。 それは神器を宿したとしても人間一人にできることではない。 と誰もが思っていた。「なんと、ここまでの退魔師が今の世の中にいようとは……」 ライオットは感嘆の声を上げて喜んでいた。  夜もふけた校舎内。 異界の屋上は冷え冷えとしていたが、人間界の風は初夏の熱気をはらんでいた。 草の香り。虫の音がひどく懐かしく感じるほど、長い時間異界にいた気がする。「これで、終わったんですよね?」 学園が創立される前から計画されていただろう、悪魔の召喚は人魔探偵の手で防がれた。 もちろん、頼もしい仲間あっての話だ。「片付いてみれば、たかが半日。あとは日常だが……」 美月がイジメを受けていたとは知らなかったライオットはこれ以上小さくなり様がない程、畏まっていた。「学園長としてお恥ずかしい限りです……」 この見た目の学園長にお説教されれば、被食者の立場の人間は二度と同じ過ちを繰り返さないだろう。「しかしな、猛、クレア」 田所が渋い顔をしている。 今回の件は片付いた。と言いたいのだろう。「わかってるわよ。もし組織立っての計画だったら、まだこの程度で終わるはずがないわ」 事件の始まりの発端。若しくは世界のどこかで既に多発しているのかも知れない。「まぁ、今はいいじゃないか」 珍しく猛が気さくな笑顔を浮かべる。「学園は守れた。いまはそれでいいさ」 そして少女の命も。 あれ程大規模な戦闘が行われたにも関わらず、死者が出なかったのは奇跡だ。 猛はそっと美月の頭を撫でる。 「生きててよかった」 その手。 その足。 その体。 とても無事とは言えない傷だが、猛笑ってみんなの生還を喜んでいた。 第一話 了。



ーこちらの作品はDIGITAL ART CENTER神奈川所属のkacktさんの作品です!DAC神奈川に通所することで、さまざまなジャンルで自身の目標や夢を叶えるお手伝いをさせていただければと思います!今後はDACメンバーの制作した作詞や小説、漫画を掲載する予定です!気になったり良かったなと思ったらいいねをして貰えると励みになります!見学予約、相談・問い合わせについては、いつでも受け付けております! お気軽に問い合わせください!

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