宇宙・銀河さえも投影。その心は・・・?!

今、『神の使者』の著者であるゲイリー・レナード氏の『愛は誰も忘れていない』を読んでいる。

その中で、ゲイリーが二人のアセンデットマスターにマインドトランスポート(実体の移動なく旅をするもの)に連れていかれるんだけど。
(幽体離脱?体外離脱?的なものと同じかなあ)

そこで「死後の世界」として色々なものを同時に見せられるんだけど。よく聞く話にあるように地球をでて、月をこえて、宇宙を眺めて、銀河がいくつかあって・・・みたいな感じだったり。他の星の人とマインド上でコンタクトをしたり・・・。

でもその中で銀河が同士が対立していたり、”凶暴”なものが見えていて。

それに対してアセンデットマスターたちは、「宇宙はぜんぜん調和の理念に基づいていないわ。一つにまとまっているのは、全部が同じ投影だからという理由でしかないの。」という。

この本に限らず、宇宙、銀河全てさえも投影にすぎない、創り出したものにすぎない、ということは聞いたことがある。(それを知った時に、それはまでは宇宙人とか興味あったけど、どうせ私の投影か・・・と思ったら、いるんだろうけど、別に興味なくなった・・・となったんだよね。。。)


で、ゲイリーは、この体験について
「すごかったよ!あんなに自由を感じられるなんて知らなかった。ソースと一つになった最後の感覚が一番すごかったよ。途中はそうでもなかったけどあ。でも、いくつかわからないことがある。死後の世界の話をよく聞くけど、体験者の話はもっと細かいし、ぼくのとは何だか違う気がするんだよね。たとえばクリスタルの城を見たとか、美しいヴィジョンで息を呑むほど素晴らしい景色だったとか、自分の思考で創造してたとか、いろいろあるよね。そういうのはどうなの?」とアセンデットマスターになげかけると。

「見る準備ができているものだけを見ることができる」という。そして、赦しを行なってきているゲイリーの体験は、他の人たちとの経験に比べても素晴らしいものだったとも。「大抵、みんな期待していたものを見るところから始まる。長らく会っていなかった親戚や、表現できないほど綺麗な色や、長いトンネルとか、光のようなものにいたるまでね。息を呑むほど美しいヴィジョンに遭遇することもあるわ。いわゆる身体での人生を超越してるっていう、俗に言う宇宙の神秘。」と。「でもそういうのは長続きしなくて、いずれあなたが感じ始めた心地悪さを経験することになるの。大抵はもっとひどいのよ。真理的な苦痛の感覚だから、そこから逃れたくなるわ。それはソースからの最初の分離と、その結果の罪悪感を再生したものなの。だから身体のなかに隠れることでそこから逃げようとして〜」ようは赤ちゃんとして生まれ変わる、と。


なんとなく、スピリチュアル界隈だと、宇宙=ソース的なイメージ(調和)があったけれども、違うじゃ〜〜ん!っていうね。
星があって、銀河があってという宇宙さえも、分離からの投影にすぎないもの。そして、分離の世界は、二極、二元の世界だから、調和もとれていないし、争いもある。


正直ザワザワするけれども、だからか〜!と思ったこともあって。


真理の映画と言われている「マトリックス」や「クラウドアトラス」も(監督が同じウォシャウスキー姉妹(マトリックス時は兄弟)だからかもだけども)、結構争いの場面があってコワイーーという感じを受けたんだよねえ。

でも。

そもそも、分離して人間として現れている以上、そして、分離の世界は両極がある世界であるから、良い(と感じるもの)だけではなく、嫌(と感じるもの)なものも現れて(投影されて)しまう。

そのことを確と受け止め、その上で、でもそれは投影にすぎず、リアルではない、実在ではない、幻であるということを赦しを通して、魂的に体感していくという感じなのだろうか。「奇跡のコース」的にいえば、聖霊に委ねていく、という感じ。


全ては幻で不安定。

リアルで安定しているものは、ソースそのものの愛の世界。



非二元論って、人間の立ち位置(エゴの立ち位置)から見ると、とても恐ろしいものな感じだけど、本来の立ち位置からみると(=本来の存在を分かりながら、人間として投影の世界にいる、ということが腑に落ちている場合)、全ては愛だし、人間の世界で何があっても傷つかないのだろうなあ。


そうそう、前に絵を描いたのだけど、
本来の私が、たくさんの操り人形を操る人形師で。
操り人形のAさんとBさんは喧嘩してて、BさんとCさんはラブラブ。
操っているのは同じ本来の私だから、本来の私は、Aさん、Bさん、Cさんがどんなドラマを展開してようと、傷つかないで眺めている。なんなら操っている・・・・。


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