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日本語はよいものだ

 英語を母語とする日本語学習者向けに、日本語や日本文化を紹介する英語記事を書き続けている。本文は当然英語だが、日本語の例文を文中に挿入するため、英語のなかに日本語が混じっているような文を作ることになる。

 これがなかなか難しい。難しいというか七面倒である。まず漢字にひらがなで読み方をつけ、その後にローマ字で日本語の読み方も書かなければならない。これが英語としての読みやすさをかなり損なっていて、仕事の効率を押し下げている。

 日本語の文章に英語を組み込むのは、さほど難しくない。もとよりひらがな・カタカナ・漢字・英数字を混在させて書くことに何の不都合もない言語なので、たとえばI have a pen.というのは「私はペンを持っている」という意味だ、というように、日本語で英語を解説するのはたやすく書き表せる。アラビア語だとさすがに右から左に書くので、日本語の中に組み込むというのは難しいが、それでもشكرًا لكは「ありがとう」の意味だ、というように、アラビア文字のところだけ右から左に読ませて、全体としては日本語の文章として書き表すことができる。

 こういうふうに表記できていれば、まず思考の自然な流れに沿って文章を書いていくことができるし、書き上げた原稿を校正するのもラクである。ふりがなという技法もあるため、読み方を書くのもشكرًا لكシュクランラカのように、通読の円滑さを損なわずに表記できる。

 だから英語やロシア語について日本語で解説するのは非常にやりやすいのだが、逆に英語で日本語を説明するというのは極めて難しくぎこちないものになってしまう。なんとなくいろいろ書いていても釈然としない感覚が残っていたのだが、その原因はおそらくこういうところにある。英語なら英語だけで書くのがいいし、複数の言語を交ぜて書くなら日本語がメインのほうが圧倒的に書きやすい。そういうなんでもチャンポンにできる日本語というのはじつは非常に高度で使い勝手のいい言語であることだと実感したものである。

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