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『人生に生きる価値はない』

 しばらく自分自身のウェブサイトを用意して記事を投稿していくつもりでやっていたのが、使用感があまりよくないのでそちらはやめて、またnoteに記事を書いていくことにした。

 今回の記事のタイトルは中島義道の同名の著書から取ったもので、新潮文庫に入っている。東京に住んでいたころからずっと持っている本なので奥付のところに自分のサインと印が押してあって、読了日は2013年5月29日となっている。10年前の当時はこんな厭世的で悲観的な本ばかり読んでいるのではダメだ、というような後ろめたさもあったのだが、今や世界がこんな感じになってしまった以上、ほどよい厭世感と絶望感、それに対処するための哲学的な知的枠組み、愚民共を支配するための統治構造についての客観的な分析がなければダメなのだ。そういうわけでまったく後ろめたさもなくなって、むしろ非常に楽しく厭世を味わうことができるようになっている。世間一般に迎合して通念の中で生きることに下手に慣れてしまっていると、人生のある時点でニヒリズムとペシミズムに飲み込まれてしまって、晩節を汚す結果に終わることもあろう。これはとても扱いの難しい思想なので若いうちからよくよく慣れていなければならない。

 同著には主に2007年頃に執筆されたエッセイが収められているが、中島がカルチャーセンターで開催している哲学塾での質疑の様子の記事もある。その中で現代日本には精神を病む諸々の要因があり、人間の本性を抑圧する通念や機構ばかりで、それに従っていたら当然精神的におかしくなるしかないだろう、ということが書かれている。2007年でもそうなのにそれから16年が経過した今はさらにそれが酷くなっている。ほかには知的好奇心のない人間、社会に横溢する隷属を要請する空気に気づかない無神経な人間にも我慢がならないということを言っていて大変共感できるものである。

 現代ではどうしたって心を病むようにできているし、それはおそらく覇権が変わったところで根本的には解決しない。理性を持っているために人間は構造的に幸福には留まり続けられないようにできている。あらゆる幸福な状況は絶えず相対化されてしまうからで、幸福であるということは理性の働きが弱いために自分の状況を相対化する視座になかなかたどり着かないからにすぎず、つまり無知でバカであるということと同義だ。虚無から逃れることはできないのだから、できることはせいぜい人間の生の虚無性と無意味性を真正面から見つめて、それによって生じる本能的な闘争心によって人生をやり過ごすことくらいだ。


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