デジタル時代の終焉
すべてのモノは、巨大に成長すると自らの重みによって内部から瓦解するようにできている。惑星然り、大企業然り、絶対的権力然り。
数年前にオバマがしゃべっているディープフェイクの映像を初めて見たとき、「インターネットってこういうふうに終わっていくのでは」と思った。つまり、インターネットの終焉は、通信障害やら基地局の破壊やらといったSF的な崩壊ではなく、ネット上に溢れる情報の真偽がもはや誰にも判定できなくなり、元来の実物資産や紙やハンコや現地や、結局そういうリアルなものがないと経済社会の信用が成り立たなくなる形で起こるのではないか、ということだ。デジタルの技術が進歩しすぎて、人間社会を成立させるのに足る十分な真偽の塩梅を超えてオリジナルもコピーもなくなり、社会のインフラとして自壊するという流れである。いまディープフェイクもさらに進化し、手元のスマホでも簡単に偽動画を作れるようになったし、テキストではchatGPTが世の中を席巻している。ネット上の情報の真偽の判定が極めて難しくなってしまっている。
一部ではブロックチェーンを使えばいいとかいろいろ代替的な認証システムや技術に関する話もあるが、使われる技術の問題ではなく、デジタルという複製が無限に可能なシミュラークルの世界では本質的に解決不能な問題だろう。シミュラークルとは『消費社会の神話と構造』で何度か紹介しているジャン・ボードリヤールが用いている用語で、コトバンクの説明がわかりやすかったのでそのまま引用する。
思想は思想そのものというよりも支配者の計画や展望を記したものでもあるから、ボードリヤールの書いたとおりに現実社会が進展しているのも驚くには当たらない。
洗脳された愚民どもならいざ知らず、まっとうな頭を持った人間なら過度なデジタル依存からは離れていくという流れのなかにすでにある。物理的に実体をもった、カウンターパーティリスクのない実物資産に回帰したり、自然の中で身体を動かしたり身体性を回復しようという人たちが多くいる。ネットはネットで、どんなデマやフェイクが出回っているのかを見て楽しむというようなものになりつつある。疫病や宇の国の報道で、いかに情報が捏造されデタラメがばらまかれるのかということを多くの人が強く実体験したことだろう。シミュラークルとしてのデジタルの世界から目を覚まして、古代や中世のような、アナログで実感の伴った生活に回帰していく人がこれからもっと増えていく。インフレと愚民化で、紙に字を書くことが高貴なる特殊能力と見なされるような時代がまたやってくるかもしれない。アインシュタインが核兵器の次の武器は何かと聞かれて棍棒だと答えたとかいう逸話があるが、そんな感じだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?