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クソ仕事とゴキブリ:疎外の果てに

 仕方なく登録しているメールマガジンとか、アカウントを登録していると勝手に送られてくるメールというのがいくつかあって、普段はある程度溜まった段階で読むこともなく削除している。ところがときおり明らかに誤送信されているようなものが届いて、しばらくして謝罪メールが配信される。どういうミスかというと、件名のところに「<<顧客名>>さま限定!特別セールのご案内」といったように、顧客リストのデータベースから引っ張ってきて値を挿入するテンプレートの文面そのままで送られてきたり、今日は楽天から件名も本文もTESTとだけ書かれたメールが配信されてきた。

 こういうメールマーケティングもマーケティングオートメーションと呼ばれるソフトで顧客リストを参照して自動的に配信されているものがほとんどで、開封率や、リンクのクリックがされたかどうかというイベントをトリガーにしてシナリオを分岐させて、このメールを見たら次はこれ、見られなかったら次はこれ、というようなものまですべてオートメート化されている。一昔前は高価でコンピュータの知識も必要だったので、高度な技術を持ったIT企業しか使っていなかったが、疫病禍もあって社会のデジタル化がかなり進み、マーケティングオートメーションも非常に安価に実装できるようになった。だから企業のマーケティング担当者とかIT担当者でも実際はマーケティングやらソフトウェアやらの知識がほとんどなく、ただなんとなくパソコンをいじって仕事をしている感じを出すだけになっている輩も多く、テストメールを本番環境で実際の顧客に送るというバカなことが発生したりする。

 そんなことがあったあとにネットを見ていると、今度はセブンイレブンのおにぎりにゴキブリが混入していたというニュースが出ていた。

セブンイレブンは埼玉県内で販売されたおにぎりにゴキブリが混入していたと発表しました。
ゴキブリが見つかったおにぎりは、「梅香る混ぜ飯おむすび紀州南高梅」で、埼玉県内の工場で製造され、3日から4日にかけて、埼玉県内のおよそ370店舗で販売されていました。
4日、埼玉県内の店舗でこのおにぎりを購入した2組の客から、「ゴキブリが入っていた」と申し出があったということです。
この工場の同じラインで製造されたおにぎりはすでに店頭から撤去していて、販売済みのものについては自主回収を行っているとしています。
セブンイレブンは「多大なご迷惑、ご不快な思いをおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。一層の品質管理を強化・徹底し、再発防止に努めてまいります」とコメントしています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e259ec7dca610254d7d465da968593642cea47f5

 食品工場なんかもかなり自動化されていて、店頭に並んで最終顧客が手に取る段階まで誰も気づかないという有様になっているということだ。一連の業務のプロセスの中で、誰も生じている問題に関心を寄せない。というか、寄せてはいけないようなシステムになってしまっている。工場の生産ラインで(人間がいるとして)、包装の過程で、工場から店舗に配送する段階で、店舗で陳列する段階で、誰かが異変に気づいたとしても、全体のプロセスを滞らせることに対するコストが大きすぎるため、誰もが見て見ぬふりをする。こうした状況下では「一層の品質管理を強化・徹底し、再発防止に努めて」まいることが却って問題を悪化させる。

 こうした問題は組織論では大企業病とか組織の硬直化と官僚制の弊害などと呼ばれるが、より大きな資本主義的な文脈では労働疎外(Entfremdung、isolation)の問題の一つと考えるほうがよいだろう。本来の労働は、成果物による共同体への貢献を通じて満足をもたらすものであるが、資本主義社会の中では生産手段は資本家に独占されており、労働者はその過程から疎外され、単なる賃労働に従事する駒としてしか扱われない。それが労働の成果物が資本の集積を通じてますます労働を苦役にしていくという負の連鎖となり、プロレタリアートは疎外され困窮し続けていく、というのがマルクスの主張だ。労働疎外という厳めしい用語で言われていることを現代企業の中で翻訳すると、ちょっと不具合があったからってチェックリストだのダブルチェックだの監査だのうるせえよクソ、という、労働の愉悦を台無しにする官僚主義によって仕事が楽しくなくなるということだ。

 工場から店舗までのおにぎりのプロセスに関与していた人たちも、生産過程から疎外されているため、その場であてがわれた作業をこなすだけとなり、最終的にプロセス全体にとって壊滅的な結果が生じる。もちろんこれはその人たちを批難する意図は一切なく、システム自体に問題があり誤っているということだ。

 資本の自己増殖プロセスは止められないので、個人でできることはそこからほどよく降りることしかない。それは自分自身で生産手段を保有するなど、疎外されない労働を自ら作り出すことにある。現代で起こっている新たな経済的な動きは、労働疎外からの脱却を目指したものが多い。ニートやFIRE、中国の寝そべり族も似たようなものだ。よく言われる天職ややりがいのある仕事も、疎外されていない労働ということだ。共産主義という解決策は大間違いだが、労働疎外という問題は資本主義につねについて回る。いかにして自分なりの疎外されない労働を見つけるのかということが、令和の社会で幸福になるための課題であろう。

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