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イズムの時代と20世紀

前回までの4回分は序章で、こんなふうなことこれから書こうかなぁ、といものです。1回1回を単独の読みきりで見てもらってもいいのですが、全体をひとつながりのものとして考えています。ということで、今回からは本編その1ということで、この100年くらいの時代を「演技する精神」みたいなものとしてとらえつつ、数回にわたって書いていこうと思っています。ではでは、はじめますね。

前口上


ツァイトガイスト」(Zeitgeist)というドイツ語が、20世紀初頭に流行した。
直訳すれば時代精神であり、それ以前は民族的な精神文化という意味でつかわれていたが、いつしか、ある時代をおおう支配的な思想や気分をさすようになった。

天に突き刺さるような尖塔がバロック精神の象徴であったとすれば、20世紀の精神とはどんなものなのか。
当時の知識人たちは、その問いが発する誘惑に魅せられた。この言葉がそのまま英語として流布したほどで、ペダンティックで重々しい響きを求めるような空気がどこかにあったのだろう。思考することで、世界に新しいかたちを見いだそうとした時代である。

たとえばガラス張りの超高層建築物を現代都市の象徴とするならば、19世紀末から20世紀初頭はそのさきがけとなる摩天楼がニューヨークに登場しはじめた時期である。その風景のなかで、現実を重視するプラグマティズムが隆盛したのは、いかにもアメリカ的な時代精神といえるだろう。
ヨーロッパでは、1914年に建築家ル・コルビュジェが「ドミノシステム」と呼ばれる鉄筋コンクリートによる住宅建設方法を発表している。「住宅は住むための機械である」というこのモダニストの言葉は、機能性や合理性を重視した20世紀の精神をみごとに物語っている。

たしかにこの時代を境として、それまで目にしたことのない人工的な風景が世界各地に広がり、眺望どころか社会を一変させていった。その変化のきざしを時代の空気のなかに感じとり、ツァイトガイストという幻のようなものを、なんとか手づかみにししたいと考えたのかもしれない。

ふりかえってみれば、20世紀はイズムの時代だった。

1900年代初頭、アンリ・マチスとともにフォーヴィズム(野獣派)を切り開いた若き日のアンドレ・ドランは、ポルノ小説の挿絵を描いてなんとか食いつないでいた。同じく野獣派のモーリス・ヴラマンクは、昼間に絵を描き、夜になるとヴァイオリンを弾いて生計を立てた。
同じころ、パブロ・ピカソは平面的な絵画を空間的にとらえなおそうとしてキュビズム(立体派)を発見する。パリのモンマルトルの丘にあった「洗濯船」と呼ばれる古いアパルトマンの一室で、『アビニョンの娘たち』が描かれたときからそれははじまった。1907年秋のことだ。

これ以降、美術や建築、思想、文芸、映画、音楽、ダンス、モード、政治経済などさまざまな分野に、あまたのイズムが出現する。フトゥリズモ(未来派)、ダダ、シュルレアリスム、フォーディズム、スターリニズム、ファシズム、抽象主義、ミニマリズム、ヌーヴェル・ヴァーグ、実存主義、構造主義、ポスト・モダニズム、新自由主義などなど。思いつくままにならべただけでも、すぐに20や30にはなるだろう。
イズムは既存の体制を打ち壊し、新しい潮流を生みだそうとする運動だ。
戦争や革命の背景にもイズムがある。貧困や不平等、弾圧、不満、すなわち非対称性という土壌のなかでそれらは芽吹く。やがて自身のなかに存在する差異を見つけ、ひとつのイズムが分裂する。単数から複数へ。時代から忘れ去られていくイズムもあれば、なにかのきっかけで人々の圧倒的な支持を獲得し、爆発的な広がりをみせるものもある。20世紀の時代精神とは変革であり、同時に増殖でもあった。イズムはその精神を体現した運動だった。

こうしたイズムのなかで、もっとも激しい勢いで世界を巻きこんでいったのがキャピタリズムである。

いうまでもなく資本主義のことだ。同調するにせよ反発するにせよ、その影響力の外にあった存在は皆無といっていい。アマゾンの奥地で暮らす部族でさえ、熱帯雨林が激しい勢いで浸食されつつあり、まったく無関係ではいられなかった。地球温暖化によって生息地がおびやかされている北極グマでさえそうである。

資本主義がそれほどまでに大きな影響力をもったのは、その増殖のエネルギーゆえのことだった。
増殖するのは資本であり、そにには市場という空間が欠かせない。この市場はまず国内に浸潤し、そこに消費社会を生みだす。やがてそれは国境を越えて広がりをみせ、異なる社会形態や文化をも飲みこんでいく。
先行したものが優位な立場をえて、水が高みから流れていくように、後発の国々や地域を浸していくことになる。もちろんそこでは、数かぎりない衝突や融合がくりかえされてきた。


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