20210824_不和雷同

高校で意見を出さずにいつも同調してる奴を「ふわっち」って呼んでた事をふと思い出した。付和雷同の語感から随分と可愛くなったものだ。ただ、俺達が付和雷同という行為を嫌っていたのは確かだった。これは、その行為が自分の意見をもたないだけでなく、他人に責任転嫁する卑劣さを常に孕んでいたからだと思う。

最近、誘いへの返答として「他にやる人がいるなら譲るよ」だの「他に人居るでしょ」という言葉をよく聞く。よく聞く上に、俺はこの言葉が嫌いだ。本来あるべきなのは「やりたい」か「やりたくない」の二つのはずで、そこに他人の参加状況/希望は全く関係が無いはずだ。ましてや個人的に誘われているのに、居もしない"他人"を想定するのは無礼ですらあるだろう。

「ふわっち」と「他にやる人がいるなら譲るよ」は実質的に同じもので、ただ自分の意見が持てずに他人の顔色だけを伺っているのだ。俺はこの行為がたまらなく嫌いなんだと思う。俺はただ一秒でも長く遊びたいだけなのに、ふわっちの無駄な顔色伺いという果てしない虚無に付き合わされるからだ。付和は得てして不和しか生まない。

長々と書いたけど、つまりは誘われたらYESかNOで答えてくれってこと。頼みますよ、ホントに。あとこれはいい曲です。

夜はインクレディブル・ハルクを観た。今日からMARVEL全部履修するからよろしくね。ハルクはなかなか面白かった。エンドゲームからMARVEL作品を見始めた俺の感想だけど、これが”観なくてもいい”みたいな評価を受けるのは分からなかったな。

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