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「LEICA というブランドを、あなたはどれだけ知っているんですか?」っていう話を、LUMIXユーザーがしてみる。

はじめに

ども、ミツハシです。
いつも記事で書いているように、私はLUMIX G9 PRO と G99 に LEICA DG レンズを装着して写真を撮影しています。
もう一年以上も使っていると、イヤでも LEICA DG レンズの良さを実感してしまい、本家 LEICA ユーザーから「パナライカレンズ」と揶揄されることもありますが、実はどちらの描写にも大した差はなく独特の色味(特にスキントーン)は共通のものだと思っています。
ところが、日本でのライカのイメージが良くも悪くも正確に伝わっていないと感じることが多々あり、ちょっと誇大妄想みたいな状態に陥っている様な方の言説が流布されないように、LEICA というブランドについて書き記す必要があると思ったのが、本記事を書こうと決めた動機です。
今回はかなり長い記事になるかと思いますが、最後までお読みいただけると嬉しいです。

LUMIX DC-G9 / LEICA DG SUMMILUX 25mm f1.4 Ⅱ ASPH.

神格化されたブランド

LEICA と聞くと多くの方が「高級カメラ」「すごい写真が撮れるカメラ」というイメージを思い浮かべると思います。
事実、レンズ1本で他社FF(フルフレーム=フルサイズ)カメラのレンズセットが買えるくらい高価なものですし、フィルム時代から錚々たる写真家が使用し、数多くの名作を生み出したカメラではあります。
そうした事実から、LEICA というブランドを神格化してしまい、「LEICA で撮った写真は全て綺麗」という思考に至り、LEICA を持つことがステータスと考えるユーザーを多く生み出したのは、LEICA の功罪の「罪」にあたる部分と言えると思います。
確かに LEICA レンズは他社レンズとは一線を画す描写と色味を持っていると思います。
ですが、世界の LEICA マスターと呼ばれるフォトグラファーの多くは、そうしたレンズ特性を活かして「自分の色」で表現をしています。
日本の多くの LEICA ユーザーにとって、LEICA は「撮影するカメラ」ではなくて「所有するカメラ」だと考えているのではないでしょうか。
歴史あるレンズとカメラを世に出してきたメーカーではありますが、それ故に他社カメラと違って「カメラ任せで撮れるクオリティ」は高いものの、そこから先に進むのは他社カメラより難しいと思います。
高級外車オーナーが高い運転技術を持っているとは限らないように、LEICA を使っているから写真が上手いというのも限りません。
何より LEICA 自身が、崇め奉るよりも最高の撮影体験の担い手として使い倒して欲しいと考えていると信じたいです。

LUMIX DC-G9 / LEICA DG SUMMILUX 25mm f1.4 Ⅱ ASPH.

功罪の「功」

35mmフィルム

LEICA が写真業界に残した大きな功績は、35mmフィルムを現行サイズとした事です。
当時、スチルカメラはフィルムではなく13×18cmの写真乾板を使用しており、カメラ自体も大型のものが主流でした。
そして映画用のフィルム(24×18mm)でカメラを制作した際に大きく引き伸ばせないことを発見し、フィルム2コマ分(24×36mm)を使うカメラを作ったのがライツ社( 当時の社名)であり、1925年に発売されるライカⅠ(A)として結実されたのです。
現在では35mmフィルム(デジタルではフルサイズ・フルフレーム)と呼ばれていますが、古くは「ライカ判」とも呼ばれていたのはそういう経緯からです。
ちなみに「 LEICA 」という名称は、「ライツ社のカメラ」という意味で名付けられたそうです。

レンズの高性能化

ライカ判を採用したフィルムカメラを販売したライツ社ですが、当時は写真を引き伸ばすことが一般的ではなかったため、引き伸ばし機も併せて販売されていたそうなんですが、それは大きく引き伸ばしてトリミングすることを前提としていたことを意味しています。
それは同時に、引き伸ばした際に鮮明な像を得られるための高性能なレンズが要求されることとなります。
もちろんライツ社はそうした事態に合わせて高性能なレンズを開発し続け、1930年に発売されたライカC型ではフランジバックを統一することで焦点距離の異なるレンズを交換できるようになりました。
1932年に発売されたライカⅡ型では連動距離計が搭載され、報道写真の分野で名声を高めライカ判フィルムがフィルムサイズの主流となる礎を築き上げました。

LUMIX DC-G9 / LEICA MACRO-ELMARIT 45mm f2.8 ASPH.

ライカカメラの哲学

レンジファインダー機の最高傑作の誉れ高いライカM3 を販売した頃が、ライツ社の絶頂期であり、その後に日本のカメラメーカーが製造した一眼レフカメラが主流となった時流に乗り遅れ、経営に陰りが見え始めます。
その後、ミノルタカメラ(現・コニカミノルタ)との提携でライカCL やミノルタで製造されたライカSL2 の販売、ミノルタの一眼レフカメラの基本構成をライツ社の一眼レフ機であるRシリーズのR3以降に流用したりと一定の成果を出したものの経営状態の回復には至らず、エルメスからの資本流入なども受けるも経営不振が続き2009年に分社化することとなり、カメラ部門はライカカメラが担うことになりました。

LEICA というブランドに強いこだわりを持っているのは、世界中のLEICA ユーザーではなくライカカメラの社員でしょう。
LEICA のレンズ・カメラは最高品質であり、最高の技術者が作り続けていると信じて疑わないのは、ほかでもないライカカメラの社員です。
ただし、それはドイツ・ウェツラー(ライカカメラの本拠地)で作り続けているMマウントレンズと、Mシリーズに対して、ではないでしょうか。
時勢に押される形で一眼レフ機のRシリーズとSLシリーズは、一眼レフ(デジタル化からはミラーレス一眼)がカメラボディの主流となった事や経営状態の回復を狙った戦略の一つから「やむにやまれず」製造したと思うんです。
レンズ一体型のD-LUX/C-LUX やQシリーズも、ライカカメラの販売戦略の一環で製造販売したと考えられます。
どちらも共通しているのは「ライカカメラの存続のため」のプロダクトであり、ライカカメラの存続というのは「Mシステムを作り続ける」ことなんだと思います。
そう考えると、Q3のプロモーションでファッション誌での広告掲載だったり、SLシリーズでSIGMAやPanasonicからの技術流用を積極的に行うのも、傍流であるプロダクトをいかにリソースを割かずに多くの利益を得られるかを考えた結果とも見れるわけです。
もちろん、LEICA が高額なのはその歴史と伝統を裏付けに強気な価格設定をしているのは間違いないでしょう。
それはライカカメラ自身が自覚していることでしょうから、「価格に納得できないなら買わなくて結構」というハイブランドならではの販売方式をとっていると思います。
カメラユーザーとしては「せっかくLEICAブランドのカメラを買ったのだから、価格に見合う性能を有していて欲しい」と思うのは当然だと思いますが、ライカカメラとしては「それを求めるならM型ライカを買って」という話でしょうでしょうし、そうした要望はライカカメラにとって、他社カメラでの「エントリーモデルにハイエンド機と同様の性能を持たせて欲しい」という要望と同じなのかもしれません。

LUMIX DC-G9 / LEICA DG SUMMILUX 25mm f1.4 Ⅱ ASPH.

まとめ

ブランドイメージによって、販売戦略やプロモーションは大きく変わります。
エルメスがユニクロの様な多店舗戦略を取らないように、ユニクロもエルメスの様な接客サービスは行えません。
そしてカメラという「写真撮影で使う道具」を文字通り道具として見るのか、あるいは撮影体験に影響する機械と見るのか。
そうしたことをメーカーのブランドイメージからどう読み取るのか。
実はカメラを選ぶ際に、ブランドイメージに共感できるかどうかを見極めることも重要なポイントなのかもしれません。
「嫌なら買うな」という言葉の裏には、「この商品を買うことで、購入者が幸せになってほしい」という願いが含まれていると思います。
LEICA 批判も、結局のところ「高い割に……」の一言に尽きるのでしょうし、ライカカメラの歴史を振り返れば、そのプライドの拠り所も見えてくるのに「殿様商売」と断じてしまったりと、ちょっと残念なYouTube動画もありますが、必要以上に商品を貶めるのは大人の対応ではないと思いました。
これは私が曲がりなりにも LEICA 銘を冠したレンズを使い、その描写に満足しているからライカカメラ寄りの見解になっていて、LEICA 批判に対して過剰反応しているだけかもしれません。
ただ、LEICA というブランドとライカカメラの歴史というものに触れてから各々で判断してもらうのが公平だと思い、自分の LEICA への思いも込めつつ書かせていただきました。
LEICA に限らず、カメラ・オブ・スキュラから数えて200年ほど続いたカメラの歴史を振り返り、ご自身のお使いになっているカメラメーカーの足跡をたどってみるのも、カメラへの愛着を深めるきっかけになると思いますのでお勧めします。

LUMIX DC-G9 / LEICA DG SUMMILUX 25mm f1.4 Ⅱ ASPH.

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