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死にたいから生きる

2020年12月30日。歴史に残るだろう年の年末。ゼロが多い日。
久しぶりに大ボスと闘うことになり、HPがゼロになった。

大ボスの名は、キシ。騎士ならいいのだが、希死である。

その大ボスを操るのは、ハハ。私を産んだ人である。

その日は低気圧の影響か、元々HPは低めだった。
眼瞼下垂の手術をしてから滅多に起きなくなった頭痛が
少し感じられたが、肩こりのせいだと思う程度だった。

ハハがキシを召喚するまでは。

ハハと会うことになったのは、同じ美容室に行こうと誘いがあったから。
その美容室は私の自宅が近い。だからハハが行くときは声をかけられる。

その美容室は私が見つけて、"林家ペーパーマ"と呼ぶ
今のアフロ風ヘアスタイルを初めて完成させてくれて、
自分らしさを追求できるようになったきっかけのお店だ。
そこからもう6年くらい経つと思うが、ハハは未だに受け入れられない。

仕上がった姿を見たハハのコメントは
「わかった、ハナは心が荒れているのね」だった。
「ちがうよおかあさん、円を描いているんだよ」と返したけれど、
きっとその意味は通じない。

ハハが心底信頼を寄せている美容師さんが
「この髪型が似合う人はそういないですよ」と
言ってはくれても、決してハハの価値観は揺らがない。
三十過ぎまで自分の言うとおりの髪型にしてくれた娘を持っていたのだから、仕方がない。

こうなる可能性はいつでもあるのだから、そもそも美容室に一緒に行かなければよかったのだが、年末年始をハハの希望通りに一緒に過ごすことを
私が拒んでいるため、罪滅ぼしのつもりで同行してしまった。

そうして段々とHPが削られながらも、美容室の後に二人で喫茶店に入った。

そこでハハはキシを呼んだ。
そのキシが起こす必殺技、かなしみの波が押し寄せた。
ハハのキシが私のキシを呼んでしまった、とも言える。

私の10年前の離婚のことをなぜか慰めようとしてきたり、
本人の結婚生活への後悔から、キシと毎日共にいる、と話し始めた。

「毎日死にたいと思っている」という言葉を聞いた時、反射的に私は
「私もそうだよ」と返してしまった。自分でも驚くくらい速く。

言ってからのハハの表情の変化を見て一瞬後悔はしたが、
事実であるから仕方ない。
ハハにそれ以上言葉を紡いでほしくなかったのだろうと今になって思う。

15年くらい前、私はキシの力に屈して、実際に死のうとした。
あともう少しだったのだけれど、治療を受けることになった。

周りや医療の適切な対処と、家族からの経済的支えによって、生き延びた。
退院から3年以内に投薬はゼロになった。
結婚と離婚を経て35才くらいでやっと、生きる目的が明らかになってきた。

ただ、生きる目的はあれど、自分の生活の全てを自分で支えられていない。
ただ、支えられる手段にやっと出会うことができて、着手してはいる。

「生きさせてもらっている」私を「破滅している」と表現したハハは、
私に「あなたの人生で遺したと言える功績は何なの?」と聞いてきた。

ハハが10代の時にはいなかった、と感じていたらしい
「自分が死んだときに泣いてくれる人」は、おそらく今の私にはいる。

私が死のうとしたことで、家族が折り合いをつけていく作業を助けたと思う。
あの頃のハハよりも今のハハのほうがずっと元気でいることを、私は誇りに思っている。

でもその時は一言も自分がそう思っていることを伝えなかった。
人生に"功績"が必須か?と疑問に思う私がそんなことを言っても仕方ない。

現時点での私が言うのは絵空事だ、と自分でもわかっているけれど、
私が目指している生き方をせめて認めてほしいと願った私が浅はかだった。

「人は人を救えない、助けられない」
「その人が何とかしようとしない限り助けられないから」

それが私のHPをゼロもしくはマイナスにする最後の一撃だったと思う。
それも真実だと言える私がいて、全否定ができない。
でもすべてが事実ではないと私は思う。

子どもの頃の私は、周りの大人に、苦しむハハを助けてもらいたかった。
たとえ助けがあっても、当時のハハは受け取れなかったかもしれないが、
私の目からは、ハハは助けの手を求めていたように見えた。
私の目からは、その手は見えなかったし、私にも伸びてこなかった。

そんなハハや私のような状況に、これからの子どもたちを置きたくはない。
何十年経ってもこうして力を持ち続けるキシの力に抗うことは、
一人では難しい。

ただ、たとえそばに支える人がいても、抗いきれないこともある。
だから、すべての人が助けられるとは、私も思っていない。

次の日まで、身体を起こしていられないくらいの頭痛とともに過ごした。

大晦日と元旦に参加している年越いのちの村という集まりがあってやっと、
私はキシの波に「飲まれる」のではなく、「乗る」ことができたように感じる。

死にたいと訴えてきていたハハに、中学生だった私は
「そんなに苦しいなら死んでも構わない」と言った。

私はキシにハハを預けようとしたのだけれど、キシをノックアウトし、
ハハは生き続けた。そして、キシの蒔いた種は、私の中に残り続けた。

残念ながら、私の脳も体も、無意識も、キシの根を絶やすことができない。
残念ながら、まだ私は、ハハのキシが起こす大波に揺らいでしまう。

キシに身を預けられたらどんなに楽か、と吸い寄せられるような感覚に、
常に無意識で抗いながら生きている。
だからきっと周りから「忙しそう」に見えるのだろう。

死にたいから生きる。ふと浮かんだ。
今もまだ生かされているだけだけれども。

今、大切な友人と一緒に、RED TABLE TALKで放送された
自殺未遂を経験した若者のインタビューと、そうしたキシを連れた人に
どう接するかを語ってくれているビデオに日本語訳をつける計画をしている。

そこに出てくる人たちの言葉や経緯に自分を重ねた年末。
それに共鳴してくれた友人。

人は人に助けられると信じていたい。

Jada, Willow and Gammy are joined by emotional and inspiring suicide attempt survivors who have powerful messages for those struggling with mental health during this challenging time.

Posted by Red Table Talk on Tuesday, December 22, 2020

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2021年、今年は「これが私だ」を出していこうと心に決めている。
「そういう人だったんだね」のアップデートをしていこうと。

そうしていくことで、キボウがキシに勝つために必要な仲間と、
より強く手を取り合っていけるのではないかと思っている。

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