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Dear 親友

マイ・ブロークン・マリコを観た。

私にはマリコにそっくりな親友がいた。
彼女も何も言わずに居なくなってしまった。
保育所から今まで変わらずずっと親友のはずだった。
けど、私が知ったのは葬儀後少し経った頃に彼女の母からLINEで知らされた。
富山からの帰り道で
サンダーバードの中を泣きながら帰った。

私はトモヨみたいにはなれなかった。

中学まではずっと側にいた。
ただ、進路が別々になり高校で離れた。
私は、気が楽になったなと
心底最低だが思っていた節もあった。
もう私が面倒見なくても良いのかと。
上から目線が過ぎる
当時の自分に幼稚さを感じる。

それでも、SNS上では繋がっていた。

彼女が私を求めて来た時には必ず返信を返し、
私からも送ることも時にはあった。
彼女は小さい頃からとても繊細で儚いひとだったからとっても心配はしていた。

けど、「そんなもんじゃどうにもならない所にあのコはいた」とトモヨが言った。

まさに彼女と同じで私の胸を締め付けた。

彼女のプレッシャーにならないように、
出来るだけ否定はせず受け身で話を聞き声を掛け、あまりこちらの希望や願望は言わないようにした。

「自分を大事にして生きて」と
   真面目に言えたことは一度もなかった。

けど、「今日1日生きてるだけで私ら偉い」とか私なりに直接的ではなく遠回しに伝えていたつもりだった。

とは言え、それはたまにの事。

私が専門学校進学で地元を離れることになってからは、彼女との間に物理的距離と心の距離ができた。
彼女はもっと私を頼らなくなったし、私なんかよりもずっと側に居てくれる友達が出来た。
SNSでとっても楽しそうな写真や出来事が投稿されていていてホッとしていた。

私がトモヨになれなかったのは、
彼女のことを親友と言っておきながら、
気にかけている様なことを言いながら、
本当はあまり向き合わずにいたとこだ。
返信が返って来てもこなくても
もっと頻繁に連絡を取り合うべきだった。
もっと頻繁に気にかけるべきだった。
今更、後悔しても遅い。
きっと私はこうなるまで気付けなかったと思う。

彼女からの最後の手紙に、私の名前も少し触れられていた事を彼女の母から聞きいた。

その時、
「あぁ。確かに親友だったな。」と思えた。

そんなこともあり、最後のマリコからトモヨ宛の手紙を読むところは、特に内容に触れてなかったがとても涙が溢れた。
と言うより、映画全体を通して出てくる台詞の節々で涙した。

本当に謎の釣り人が言うように
私が生きるしかないと思う。
生き散らかして私が存在しなくなった時、
絶対に親友にこの世も案外捨てたもんじゃなかったよって自慢してやるって決めてる✌︎ ͗ ͗

とても感情が昂る映画だった。
1時間25分しかないのにめちゃくちゃ綺麗にまとまっていたし、情景は美しいしキャストたちは演技派だし見た後の満足度高かったな。

本当に、みんな何も言わずに居なくならいでよ。
残された方はちゃんとしんどいんだから‼︎

              Frome 親友×24

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