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お弔い

父方の従妹が死んだ。死因は心不全ということだが、長年の持病の服薬と、少なくはなかったという飲酒習慣が祟ったのではないかと思う。
理学修士の学位を持つ才女で、最後まで子供に数学を教えていた。

年下が亡くなると心がざわついて落ち着かないものだが、親戚となるとさらに色々と考えてしまう。何しろ、彼女が生まれたときのことを知っている。子守りもした。よちよち歩きで宵の窓際に立ち、小さな指を天に向けて「のんのんさま!」と呼びかけた唇の、端に溜まったよだれのきらめきまで覚えている。
父方の一族は皆仲がよく、男5人に末妹という父たちきょうだいの、男たちの嫁さんと末子の叔母はしょっちゅう一緒に旅行に出るほどで、その子供の代であるわたしのいとこたち総勢15人とその家族も、「いとこ会」と称しては時々集まっている。
最後のいとこ会は、昨年の夏だった。彼女も顔を見せた。元気そうだった。あの夜もずいぶん飲んで、帰り際には足元がふらついていたので、彼女の弟にタクシーで駅まで送らせた。後部座席から笑顔で手を振る姿が、見納めになった。

まだ48歳だった。
と書いてみたところで、ならば彼女の適正人生は何年だったのか、わたしが答えられるものではない。何歳で死のうが、彼女はわたしより年下で、わたしが見送る限りはいつだって若過ぎるし早過ぎるのだ。

わたしは父が死んだ16歳のときからずっと、自分は父の43年という享年を越えることはあるまいと、ぼんやり、しかし揺るぎなく考えていた。だから44歳になったとき、生まれ変わったような気分になった。小説家としてデビューをしたのは、その年のことだ。
44歳から生まれ直したわたしの人生と、48歳で止まった彼女の人生とは、比較のしようもない。だが、いつかわたしが死んだとき、二つの死は並べて語ることができる気がする。
昔「なぜ自殺してはいけないのか」という問いに、考えに考えた末、「何故なら、死はその人のものではなく、残された人たちのものだから」という答えを出したことがある。
これが自殺を否定する理屈になっているとは思わないが、今もその考えに変わりはない。実際、葬儀もその後の法事も、墓も仏壇も、残された人たちのためのものだ。
彼女の生も、わたしの生も、決して他の誰のものにもならないが、死は違う。残された誰かの中で、彼女の死とわたしの死は並べられ、簡単に見比べられるだろう。
どう生きたかではなく、どう死んだかの中に、人の真の幸福と不幸があるとしたら、人生はもっと気楽になるのか、それとも辛くなるのか。答えはまだ出ない。

通夜の法要のあと、棺を開けてもらった。
しんと横たわった彼女の肉体にもう魂はなく、名前を呼んでも反応はない。今にもぱっと開きそうな瞼も、「おねえちゃん」と笑いかけてきそうな唇も、化粧を施されて艷やかに光りながら、僅かに震えることもない。
その安心したような優しい顔を眺めていて、自分の死に顔を思い描き、重ねずにはおれなかった。
わたしはどんな風に死ぬだろう。こうして亡骸を囲んでくれて、泣いたり悔やんだりしてくれる人がいるだろうか。わたしはお喋り好きなくせに、大事なことは胸にしまい込みがちだから、きっとたくさんの思い残しを抱えたまま死ぬだろう。それも魂と一緒に消えて、こんな風に穏やかな顔になれるだろうか。

その晩、宿泊先のホテルでいとこたちと飲んだ。それぞれの思い出の中の故人が披露され、わたしは、知らなかった彼女の一面に驚いたり切なくなったり、気がつけば実際には起こらなかったことまで想像して、勝手に胸を痛めたりした。
わたしたちが何を話そうと、彼女はもう口出しできない。「それは違うよ」と文句も言えなければ、言い訳もできない。
それでも、わたしたちのお喋りは止まらなかった。子供の頃から共有してきたたくさんの楽しかった時間を、確かめ合うように語り、気がつけば笑い転げていた。

告別式。
読経の中、昨晩喉が嗄れるほど話した彼女との思い出が、時間にすればほんの短いものであったことを思う。
実際のところ、わたしは彼女の人生のほんの小さな断片しか知らないのだ。他のいとこたちも、いや、家族だってそうだろう。
そうした断片が、弔いに集まった人たちの記憶からこぼれて、繋ぎ合わされていく。それが本当の彼女の姿と一致しているかどうかは、気にもされない。やはり、死は残された人のものなのだ。

骨になった彼女と一緒にマイクロバスに乗り、火葬場から葬儀場へ戻る道すがら、父、祖父母、叔父、友人と、これまで野辺送りした回数を胸で数えた。幾度となく、わたしはここに残されてきた。だからどうということもない。ただ、残されてきただけだ。
そのとき、二日酔いの頭がずきんと痛んだ。馬鹿だなあと思う。しかしこの情けない痛みだけが、今わたしが生きているという証だ。

【サポート】 岡部えつは、2024年よりボランティア活動(日本のGIベビーの肉親探しを助ける活動:https://e-okb.com/gifather.html)をしております。いただいたサポートは、その活動資金としても使わせていただいております。