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短編小説(雑誌掲載作品)『アカシアの血』

1 山犬

「野焼きのときには犬を放すな。焼け死んだ蛇を食らうと、狂って山犬になる」
 わたしが十五の歳まで暮らした故郷の村には、そんな言い伝えがあった。だからなのか、ちょっと頭のネジが緩んだ者などが「蛇食い」「山犬」と呼ばれ、蔑まれた。
 わたしの叔母もその一人で、村の女たちから、山犬、犬畜生と陰で呼ばれて嫌われていた。賢くてしっかりした女だったので、なぜそんなふうに言われるのか、幼い頃のわたしにはわからなかったが、あるとき、近所に住む後家ごけ志野しのが「あの女は、おシモのネジが緩んでんのさ」と吐き捨てるように言うのを聞いたことがあるので、そういうことだったのだろう。

 ほれ、山犬が来たど。
 月に一度、叔母が集落のバス停に降り立つと、畑に這いつくばって農作業をしていた女たちが、泥のついた顔を寄せて言い合ったものだ。男たちは作業に夢中なふりをして、しかし口元は緩ませていた。
 叔母の姿が見えると、わたしは石ころだらけの農道を駆けた。腰を左右にゆさゆさと揺らしながらこちらに向かってくる叔母には、山犬などという恐ろしげな風情はなかった。色白の細おもては儚げなのに、首から下は女盛りの豊満で、それを地味な和服で締め上げて窮屈そうに歩いてくる姿を見ているだけで、懐かしいアカシアの匂いが漂ってくるようで狂おしくなり、胸がつまった。
 叔母は、自家製のアカシア酒を毎晩お猪口ちょこに一杯だけ飲むのを習慣にしていた。うちにもひと瓶置いてあり、泊まる晩には水屋箪笥みずやだんすから出してそれを飲んだ。だからわたしは、彼女からいつも漂う甘とろい香りは、アカシアの匂いだと思っていた。
「おばちゃん」
 微笑みながら歩いてくる叔母に飛びついて太腿にしがみつくと、その匂いがした。
美千代みちよ、いい子にしてたんか」
 叔母はそう言って、わたしがそれを胸いっぱいに吸いこんで満足して離れるまで、じっと待っていてくれた。固く張りつめた腿は、後ろに回した手で着物をしっかり掴んでいないと、弾き飛ばされてしまいそうだった。
「美千代の甘えん坊」
 降ってくる丸い声は、会えなかった一か月分の寂しさを、優しく慰めてくれた。赤ん坊の頃から父と二人きりの家庭に育ったわたしにとって、叔母は母の代わりだったのだ。

 母は、わたしを生んで間もなく病で死んだ。祖父母も戦争前後に病気で亡くなっていたから、家には父とわたし、二人だけだった。
 父も体が弱く、大昔には名主だったというやたらと広い家屋敷の掃除ひとつ、庭の手入れひとつ、一人ではやりきれず、生活はみるみる荒んでいった。それを見かねた母の妹が、月に一度通ってくれるようになったのだ。
 叔母もこの村出身で、隣村の薬局へ嫁いでいた。産婆をしていたしゅうとを手伝ううちに助産婦の資格をとり、一時は村中の子供を取り上げるのに忙しくしていたらしい。しかしこんな山村でも次第に町の病院で出産する妊婦が増え、わたしが生まれた頃にはもうほとんど、助産の仕事はしていなかった。薬局は人を使って夫が切り盛りし、子供もいなかったので、月に一度一泊という時間をとることができたのだろう。
 重い持病こそなかったが腺病質だった父は、いつも何かしらの薬を飲んでいた。子供の頃の写真を見ると、どれも女の子のように線が細く、祖母に添われているものが多い。いつも仕立ての良さそうな服をきちんと身につけ、外ならば必ず帽子を被り、一緒に写り込む真っ黒に日焼けした他の子供らとは明らかに違った。
 その繊細な風貌は青年期にも引き継がれていたが、徴兵検査ではじかれるような男に嫁の来手きてはなく、ようやく結婚したのは父が四十を過ぎてのことだった。しかし、親子ほど歳が離れて丸々肥えた母は、わたしを産み落とすと間もなく死んでしまった。母のとむらいのあと、父はすっかり気落ちし、そのまま役場勤めを辞めてしまったという。
 そうしたわけで、わたしが物心ついた頃には、父はもう一日中家にいた。土蔵を改造して作った書斎にこもって帳簿をつけるのが唯一の仕事で、別荘地開発業者に山の土地を売って作った貯えと、広大な田畑の賃料で生計を立てていた。さして裕福でもないが貧しくもない、しかし恐ろしく寂しい暮らしだった。だから叔母の訪問は、わたしにとって大変な楽しみだった。

2 秘薬

 叔母には、家事とわたしの世話の他にもうひとつ、大切な役目があった。それは、父に薬を届けることだった。薬局では買えない叔母の特製で、秘密の薬だから決して口外してはならないと、きつく言われていた。
 うちに来るとき、叔母が両手に持つ荷物のうちのひとつは、この秘薬の入った新聞包みだった。家に着き、ひんやりとかげった土間どまに入ると、叔母は小ぶりの旅行バッグと一緒に、新聞紙の包みを上がりかまちに下ろし、ちりめんの手提げ袋から取り出したガーゼのハンカチで、首筋を拭った。
「美千代、父ちゃんのお薬、しまっとけ」
 言われて新聞包みを持ち上げると、かさかさと乾いた音がした。
 父は、叔母が来る日は決まって書斎で仕事をしていた。叔母は台所で水を一杯飲むと、挨拶してくると言って、わたしの手に土産の絵本とドロップ缶を押しつけ、土蔵へ行ってしまう。大事なものがたくさん置いてあるからと、出入りをきつく禁じられていた土蔵だが、彼女は許されていた。
 わたしは縁側えんがわに座って、小一時間は戻らない叔母を待った。ぶどう味の玉を舌の上で転がしながら、今夜はどんなご馳走が出てくるのだろうかと、あれこれ夢想して楽しんだ。土蔵からときどき漏れてくる叔母の笑い声に、いつもは陰鬱で味気なく見える庭が、ぱっと華やいで見えた。開いた絵本に顔を埋めると、ほのかにアカシアの香りがした。
 土蔵からは叔母と一緒に笑う声も聞こえる父だったが、母屋に戻るといつものように無口で、影も薄くなった。わたしと二人きりのときと変わらず、叔母のこしらえてくれた夕食をむっつりと食べ、風呂から上がると寝室に引っ込んでしまう。おかげでわたしは思う存分、寝るまで叔母を独占できた。
「さあ、お布団入るぞ」
 いつもは怖くてしかたないこの時間が、叔母が添い寝してくれるだけで、至福のときになった。
 布団に入る前、叔母はアカシア酒を猪口に一杯入れ、きゅっと一口含む。するとたちまち首筋から耳たぶにかけて赤味が差し、眼差まなざしがとろりと潤んで優しい顔になった。絵本を読んだり子守唄を歌ったりしてくれる叔母の、吐息からも、首筋からも、髪の間からも、甘酸っぱい花の香りが漏れ出てきて、わたしはその芳香に酔いながら、熱く火照った叔母の胸にしがみついて眠りについた。

 翌日、父は朝食のあと、秘薬の新聞包みを開けた。中から出てくるのは貝ひもの干物のような、細く長くところどころねじれた飴色の物体だった。父はそれをはさみで、マカロニほどの長さに刻んでいく。かちかちに干涸ひからびているせいか、刃を入れられるたびにぱっちんぱっちんと乾いた音を立てた。刻み終えると、茶筒ちゃづつに移した。毎朝そこからひとつまみ出しては鉄瓶で煎じ、一日かけて飲むのだ。うちに泊まったとき、叔母が飲むこともあった。彼女は健康そのものだったが、万能薬だから飲んでいいのだと言っていた。
 火鉢の上で鉄瓶がくつくつ言い始めると、とたんに部屋には生臭い匂いが充満した。それはまともに嗅いだら吐き気をもよおすほどで、わたしはさっさと自室へ逃げ込んだ。あんなものを舌なめずりするようにして飲む父や叔母が、気味悪くてしかたなかった。

3 ジジボウ

「美千代、お前そろそろ気をつけなきゃなんねえぞ」
 四年生になった年の梅雨のある日、洗濯物を畳む叔母にもたれてリコーダーの練習をしていると、わたしの骨張った膝頭をさすって、叔母がそう言った。
「気をつけるって、何を?」
「ジジボウさ。知ってるだろう」
 わたしは返事をせず、笛を吹き続けた。
「これっ、話しを聞け」
 思いがけず強い口調で言われ、しかたなく演奏をやめた。理由は分からないが、聞きたくない気分だった。しかし叔母は続けた。
「あれは頭ん中は子供と同じだども、体は立派な大人の男だ。女にいたずらしたくて仕方ねんだから、気をつけねえとだめだぞ」

 ジジボウは、八幡はちまんさまの隣に住んでいる、マツおんばあの息子だった。成りはがっちりとした骨太の立派な大人だが、やることはまるきり子供だった。近所のガキどもにも馬鹿にされ、しょっちゅうからかわれていたが、いつもニコニコ笑って乱暴はしない。大声で歌を歌ったり、誰にでも人懐こく話しかけてくるので、怖がるものはいなかった。マツおんばあがしっかりした人で、身なりはいつもきちんとさせており、ノリの効いた清潔なワイシャツをスラックスにきちっと入れ、麦わら帽子に運動靴という出で立ちで、昼間は村内を一人でふらふら散歩しているだけだった。農繁期にはマツおんばあと二人で、近所の農家を手伝ったりもしていた。言われたことを馬鹿正直にしかできないが、力自慢なので重宝がられてもいたのだ。
 しかし一方で、口さがない村の女たちが、ジジボウのことを「山犬」と呼ぶのを聞いたことがあった。
「あの山犬、いっちょまえにサカリがつきゃあがった」
「ああいうのがおっかねえだぞ、娘に気をつけてねえと」
「山犬同士でやってるっていうでねえか」
 くっくっく……。
 下卑げびた笑いを土まみれの手で隠して言うのが、汚らしかった。
 特にひどいのは、後家の志野だった。四十を目前に夫を亡くして間もなかったこの女は、日焼けした顔を脂でてからせ、痩せた体に似合わぬ野太いがらがら声を張り上げて、のべつ悪口か文句を垂れていた。その激しさに気圧けおされて、他の女たちは志野には逆らえないでいた。この女に睨まれたら面倒だと、調子を合わせてへつらっているのが、子供のわたしにも見て取れた。他の誰よりも多く手伝いを頼んでいるくせにジジボウに罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせても、何も悪いことをしていないのにわたしの叔母の陰口を叩いても、誰も彼女を咎めないばかりか、加勢して喜ばせる始末だった。
 志野は、夏祭りのときなど、下手な化粧を施してわたしの父にべたべた触ったり、しなだれかかったりすることがあった。悪口を言うときとはまるで別人の、とろんとした目でわたしを見下ろし、頬を撫で回したりもした。どんなに赤く口を染めても、爪の間からは堆肥たいひの匂いがする女だった。

「美千代、分かったか」
 叔母が、再びわたしの膝をさすった。
「ごめん、聞いてなかった」
「これっ。いいか、スカートで遊ぶときには足を開かねえようにして、鉄棒やゴム跳びをするときは、もうパンツにスカートの裾を挟んだりしねえで、ちゃんとズボンに穿き替えてからすんだ」
「やだよ。面倒くさいし、そんな子、他にいないもん」
「人は人、お前はお前だ。何かあってからでは遅いんだぞ」
「何かって」
「つべこべ言うんじゃない。それからな、八幡さまの道具小屋には、絶対に入るんでねえぞ」
 怖い顔をした叔母に、ふと、志野が言っている陰口をそのままぶつけてやりたいような、意地の悪い気持ちになった。
 わたしはこの頃、昔のままに叔母にべったり甘えたいときと、まるでそういう気持ちになれないときとが、いったりきたりしていた。夜の添い寝もなくなり、風呂も一人で入るようになり、少しずつ叔母との距離が開き始めていたせいかもしれなかった。

4 道具小屋

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