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下手と努力と憧れと

バレエ教室の発表会を見てきた。6歳になる姪が出演したのである。
発表といっても、彼女が所属する幼児クラスはまだやっと右と左を覚えたくらいの豆っ子たちばかり、一丁前のチュチュ姿でちょこちょことステージに出てくるだけで「可愛い〜」の声がかかるレベルである。
ところがしばらく見ていると、そんな似たような豆っ子たちの中にも、キラリと光る子がいることに気がつく。手足の動かし方、ポーズの決め方が、なんとなく他の子とは違って様になっているのだ。ああいうのを、持って生まれた「センス」というのだろう。いわゆる素質というやつで、習って得られるものではない。
我が姪はと見れば、踊りながらおでこをポリポリ掻いていた。

もちろん、センスと素質だけでは、その道で成功することはできない。日々の鍛錬と工夫という努力が、絶対に必要になる。それがなければセンスも素質もドブに捨てることになるし、逆に、センスがいまひとつでも、素質が不十分でも、努力を人の何倍も重ねて成功する者もいる。

拍手があって、上級クラスの発表が始まった。
パンフレットを見ると、このバレエ教室では幼児クラスが最も多くの人数を抱えており、ジュニアクラス、シニアクラス、エトワールクラスと、階級が上がるごとに少なくなってくる。聞けば、どんな教室でもそういうものだとか。
途中でやめていった子は、どこで見切りをつけたのだろう。それとも、あきらめる前にバレエが嫌いになったのだろうか。怪我をしてしまったり、家庭の事情で続けられなくなった子もいるかもしれない。
夢に向かう道程では、誰もが必ず困難に直面する。そしてそれを乗り越えたり、体当たりで突破したり、遠回りして避けたり、引き返したりして、人生を進んでいく。

そういえばわたしも、バレエに憧れたことがあった。小学1年生の頃、バレエ団を描いたドラマが流行って、女の子たちを夢中にさせていたのだ。
習いたいと親にねだったが、それならピアノをやめなさいと言われてあきらめた。わたしがやれば妹もやりたがる。そんな余裕は我が家にはなかったのだろう。その後、わたしも妹も、ピアノを続けながら習字とそろばんは習わせてもらえたので、バレエの月謝は当時もよほど高かったのだと思う。

バレエはあきらめたが、超人的に柔軟な肉体と優美な演技で人を魅了したいという願望は、消えていなかった。中学で、体操部に入部したのだ。入学式の翌日、美貌の先輩たちのレオタード姿に、一瞬で心を奪われたのである。
体育の授業と運動会が大嫌いで、親も友達も本人さえもが「きっと吹奏楽部に入る」と思っていたわたしが、よりにもよって、毎年県大会出場は当たり前、そこでも上位を争うという強豪の、体操部に入った。娘が何をしようとも常に応援態勢の両親も、さすがに「本当にいいのか」と念を押してきた。あのレオタードを着るのだ、と頭がぽーっとしたままのわたしは、「やる」と頭を何度も縦に振った。
入部してみると、他の部より飛び抜けて多い新入部員の中で、わたしは一番体が硬く、そのうえ入部早々に盲腸の手術を受けたせいで、しばらく練習できずに遅れをとった。
それでも「ぽーっ」状態から覚めることはなく、復帰してからは、朝練と放課後の部活動の他に、朝練前の自主練、帰宅後の自主練までして、ついには新人戦の代表選手に選ばれた。
まさに努力の賜物だった。今わたしが怠け者なのは、あのとき一生分の努力をしてしまったせいだ。

とはいえ、選手として好成績をおさめることができたわけではない。もともと才能はなく、努力で選ばれただけなので、センスと才能と努力の三拍子揃った主力選手の子たちと並べば、立派なみそっかすだった。足をひっぱらぬよう、ミスだけはせぬようにと頑張るのがせいぜいだった。
だから、高校では当然続けなかった。続けたいとも思わなかった。気が済んだのだ。

素質のないものに夢中になることを、下手の横好きと言う。
これで思い出すのは、落語の『寝床』である。義太夫にはまったはいいが、その喉は聴いた者が具合を悪くするほどの下手という、大店(おおだな)の旦那の話だが、わたしの曽祖父がまさにそんな人で、義太夫をうなってばかりで家業にまったく身を入れなかったらしい。
この人からの因縁なのか、わたしの下手の横好きは体操部だけでは終わらなかった。高校で始めたロックバンドも、大人になってから習ったドラムも、自己流で練習したギターも、茶道も習字もそうだった。他にも手を出してやめたものはたくさんある。今にして思えば、四歳から述べ11年習ったピアノもそうだったと思う。
唯一、小説だけがものになった。わたしには本当に、これしかない。

ステージでは、ロンドンにバレエ留学中という高校生くらいの女の子が、プロと見紛うばかりの優雅なジャンプとターンを決めて、大喝采を浴びていた。それがあまりに眩しくて、わたしはそっと目を閉じた。
もしかしたら、本当は乗り越えられたり突破できたりしたはずなのに、億劫がって脇へ避けてしまった壁があったかもしれない……。一抹の影がまぶたの内側をよぎり、慌てて目を開けると、緞帳(どんちょう)が夢を閉じようとするところだった。

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