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GIファザー探しのお手伝いをスタート

第二次世界大戦後の占領期、日本では多くの“混血児”が生まれた。俗に"GIベビー"と呼ばれた、日本人女性と進駐軍の米兵との間に生まれた子供たちである。

先月、彼らやその子孫たちがGIである父親、祖父、またその家族たちを探す手伝いをするための、窓口サイトを開設した。

GIベビーである友人の肉親探しをした際に出会った、ボランティアグループの活動に感化されて立ち上げたものだ。

わたし自身にそのスキルはないが、窓口を紹介したり、そこと繋がるお手伝いをすることはできる。必要な方には、ぜひ利用してほしい。

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敗戦後、連合国の進駐軍が日本本土に上陸した当日から、連合国軍兵士による現地女性への強姦事件が多発した。日本政府は民間女性を守る”防波堤”として、特殊慰安施設協会『RAA』を設立した。警察を動員して全国から元娼妓などの女性たちを集め、米兵たちの相手をさせたのだ。

全国の米軍キャンプの周辺には、米兵相手の歓楽街ができた。そこには、彼らを客にする女性たちがいた。また、キャンプ内外にはさまざまな仕事があり、日本人女性たちも勤務していた。

そうした女性たちと米兵たちとの間に、恋が芽生えることも多々あった。結婚を約束し、同棲を始める者もいた。やがて子供もできた。

ところが、(おそらく異人種間結婚を嫌った)アメリカの政策によって、多くの日本人女性と米兵カップルが関係を引き裂かれた(これについては拙著にも書いている)。そのせいで、両親の元に生まれ幸せな家庭で育てられる可能性のあった多くの混血児が、シングルマザーから生まれることになった。

敗戦国であること以上に彼女たちを苦しめたのは、日本が家父長制が根強く残る男性優位社会だったことだ。圧倒的に働き口がなく、あっても薄給で、女であるというだけで男の二の次、また足下も見られる。そのうえ憎きアメリカ人の血を引く子供を持つとなれば、差別を恐れた家族からも迫害される。生きるすべがなかった。

こうした事情によって泣く泣く手放された子供たちが、“混血孤児●●となり、各地の児童養護施設で育つことになった。もちろんそうした事情の他に、暴力的な関係の結果生まれ落ち、捨てられた子供もいるだろう。

彼らの存在は、占領期のアメリカからもそれ以降の日本からも“臭いもの”のように蓋をされ、保護や支援の対象から外されてきた。混血孤児を受け入れたのは主にキリスト教系の団体が作った施設で、寄付や慈善活動の助けで彼らは育てられた。

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わたしの友人ベルさんも、そうした混血孤児の一人だ。

2022年の夏、わたしは彼女から「お母さんを探して欲しい」と頼まれ、彼女が9歳の時に一度会ったきりずっと探し続けてきた母親を、インターネットを駆使して見つけ出した。

母親だけでなく、戸籍謄本に載っていた弟も探し出した。母親がアメリカ人と結婚して生み育てた4人の子供もつき止め、うち健在の2人の姉妹とも連絡を取りつけた。

その顛末は、今年2月に刊行された『母をさがす ー GIベビー、ベルさんの戦後』に全て書いたので、ぜひ読んで欲しい。

昨年、ベルさんをアメリカにいる異父きょうだいたちに会わせることと、彼女の念願であるお母さんのお墓参りを実現させるために、渡米計画を立てた。渡航費用はクラウドファンディングで募ることにし、多くの温かいご支援をいただいた。

今回開設した『GIファザーをお探しですか?』は、このクラウドファンディングの支援金が目標額を越えた場合の、ネクストゴールだった。つまり、幸いにも多くの人たちからご支援をいただき、目標額を達成したのだ。

おかげさまで、ベルさんは74歳にして念願を叶えることができた。しかし本当ならもっと早く、わたしの手ではなく国の手で、助けてもらって然るべきことだったと思う。混血孤児は、勝戦国と敗戦国のどちらに対しても、最も無力だった戦争の犠牲者なのだから。

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『GIファザーをお探しですか?』のボランティア活動に賛同し
サポートを希望される方へ

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わたしは日本のGIベビーの肉親探しを助ける活動をしています[https://e-okb.com/gifather.html]。サポートは、その活動資金となります。活動記録は随時noteに掲載していきますので、ときどき覗いてみてください。(岡部えつ)