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忘れ去られることに抗うように

標高が高くなるほど、新しい村なのかもしれない。戦後の、ここでいう戦後は太平洋戦争のことだ、開拓者たちが築いた集落。古い、歴史のある集落は、もうちょっと下流の方にある。渓流がやがて静かな里の流れになるようなところ。新しい村は、だから、傾斜が急だったり、平らなところが少なかったり、農業に向いていない。田んぼに向いていない。そんなところで新しい人たちは、新しい農業を始めた。例えば酪農。けれども、規模がすぐに問題になったのだろう。高度経済成長の
時代、自給ではなく、経済的な成功が目的になったとき、規模拡大ということがその家族の、避けて通れない問題になった。急峻な土地でこれは難問である。そして僕の知るかぎりでも南米に別天地を求めて移住した人たちもいる。

使われなくなった小さな牛舎の赤い屋根はところどころはがれている。使われなくなり、どんな使われ方をしていたか知る者も少なくなる。ほおっておくと、その建物群は朽ちていく運命にある。そこに流れていた時間、通り過ぎていった乳牛たち、家族で力を合わせた頑張り、早朝からの搾乳、夜半の母牛の出産介助、牧草刈り取り、サイレージ作り…。

忘却は背後からそっと忍び寄る。けれど、ほんの一瞬かもしれないが、忘れ去られることに抗ってみる。牛のための牧草地を馬のための放牧地に転用する。牛舎を馬房に転用する。

忘却の急流の途中に、透明な水を湛えた小さな湖水が現れる。往時の家族労働の活気からはほど遠い、でも、小さな営みの始まり。

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