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フワフワのクリームに隠れた悲劇

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フランスには、現在でもミシュランの星問題で自ら命を絶つシェフ(コートー・ドールのベルナール・ロワゾーシェフなど)がいるが、偉大なるフランス料理人は、常に重圧と責任を背負って生きている。17世紀の悲劇の料理人ヴァテルもその一人。

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(著者作、次回のベーシッククラスで作るイチゴチーズケーキ)

生クリームに砂糖を加えてふわふわに泡立てた生クリームのことを、シャンティークリームと言うが、シャンティーという言葉は、Oise(オワーズ)県Chantilly(シャンティ)市にあるシャンティー城に由来する。発案したのは、Fritz Karl Watel(フリッツ・カール・ヴァテル)という料理人である。ヴァテルは、1653年、当時の政治家フーケの料理人として、国王ルイ14世を招いた宴会などを指揮してたが、フーケの贅沢なふるまいと城に嫉妬したルイ14世がフーケを幽閉してしまう。その後は大コンデとして知られる王族のコンデ公ルイ2世に仕えた。1671年、ヴァテルは、国王はじめ貴族を招待する大祝宴を開いた際の総監督(当時のシェフは、宴会の催し、食材調達、テーブルコーディネートなど宴のほとんどを企画)を任される。3日間続く宴会だったが3日目にオーダーしていた魚が天候不順で届かず、責任を感じたヴァテルは自ら命を絶つ。しかしその直後、大量の魚が城に届いたのだった。ヴァテルは、現在でも料理人の間で悲劇の料理人として語り継がれている。

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(Pâtisserie Yu Sasageの桜サントノレ)

城は、コンデ博物館を併設14‾19世紀のフランス絵画コレクションおよび非常に貴重な中世写本のコレクションを鑑賞することができる。また、シャンティー市は、ジョッケクラブ賞とディアヌ賞の2レースが開催されるシャンティー競馬場があるこ
とでも知られている。


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