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親子でも合わないときは合わないよねって話

どうも、エトウです。

私は両親と不仲というわけではありませんか、なんか、こう、合わない。

「あ、この人たち合わないな」と感じたのは中学生になるかどうかの頃で、きっかけは宗教でした。

20歳を過ぎてから一人暮らしを始め、両親と距離が離れたことで「やっぱり合わなかったんだ」と納得。

無理に合わせようとした時期や、そもそもそう感じてしまう自分がイカれてると悩んだ時期がありましたが、今思うのは「合わないものは仕方がない」ということです。

今回は、親子でも合わないときは合わないよねって話をしていきたいと思います。


私自身の宗教観についてお話ししてきます。
苦手な方はや、何かの宗教を信仰されている方の閲覧はご注意ください。


親と合わなくなったきっかけ

信仰の自由とは?

私の両親は熱心な宗教家で、「この人たち、合わないな」と感じたのは宗教観の違いでした。

幼い頃はその宗派のなかで生きることに何の疑問もなく、その環境が当たり前でした。

しかし思春期に差し掛かり、集会に連れて行かれた時に大きな施設内を埋め尽くす人たちと、その人たちを前に話すお偉いさんに疑問を感じました。

「私はこんなにも辛い困難を経験しましたが、すべてはこの宗教(教祖様)のおかげで乗り越えることができました」

簡単に当時を思い出すと、そのお偉いさんはこう話していて大勢の信者たちは大喝采。

しかし私は熱気あふれる会場で、こう思っていました。

「それは宗教(教祖)のおかげではなく、あなた自身の努力の賜物なのでは?」

みんなの大喝采と熱気に反して、私の心はどんどん冷めていきました。

「この人たちは何を言ってるんだろう?」

子供ながらに目の前に居る大勢の大人たちに疑問を感じた瞬間、私が今この場に居る理由がわからなくなりました。

それからはあっという間に宗教から離れたいと願うようになりました。

両親から集会に誘われても拒否。家に訪ねてきた宗教の人には「会わない」とキッパリと伝え、「私はあなたたちの宗教を受け付けません」という意思表示をしました。

しかし何十年も宗教にどっぷり浸かっていた両親からすると、私の態度が理解できず度々衝突するように。

ある日、私は両親にこう伝えました。

「信仰の自由がある以上、私はお母さんたちが信仰することを否定しない。だけど私がその宗教を信仰しない自由や、何の宗派に属すか、その選択の自由も認められるべき」

この考えは30代になった今でも変わっていません。

一人暮らしをするときは「絶対に新しい住所を宗教の人に言うな」と両親に釘を刺し、結婚して引越し・苗字が変わるタイミングで宗教施設本部に内容証明郵便を送りました。

「本日を持って脱退します。今後私に一切関わらないでください」

こういう内容を送った。受理されたかはしらんけど。今も内容証明郵便の控えを大切に保管しています。

一線を引いた関係で私と私の家族を守る

このラインからこっちにくるな

一人暮らしをしてから、いろいろ考えた。

私がしていることは、とても親不孝なことなんじゃないか。
もっと私が寄り添う必要があるんじゃないか。
私のわがままなんじゃないか。

考える中で行き着いたのが、「私の人生は私のものだよね」ということだった。

どうして私の人生なのに、信仰したくもない、むしろ生理的に受け付けない宗派に属さないといけないのか。

私は、私の人生を生きたい。

結婚して、子供が産まれてから、距離を取っていた両親に会う機会が増えた。

宗教のことを除けば、両親と合わないと感じない。宗教がなければと思うこともあったけれど、両親にとって宗教はとても大切な存在で、心の拠り所でもある。

そのことを私は受け入れることにした。だけども、私はその宗教そのものについて理解も受け入れもしない。

〝この人たちはそういう人たち〟

両親と私との間に、そんな一線を引くことで私は私と私の家族を守った。

合わないなりの付き合い方をしよう

ラインを超えない適度な距離感が大事

私と両親はしばらく宗教のことで対立したけれど、私は両親を〝そういう人たち〟と線引きしたことで合わないなりの付き合い方を見つけた。

きっと他の人から見たら、この付き合い方はおかしいことなんだと思う。

この記事を読んだ人に「なんて冷たいやつなんだ!」と非難されても仕方がない。

だけど、そういう付き合い方しか見つけられなかったんだから仕方がない。

親、きょうだいに限らず、血のつながりがあれど元々はヒトとヒトなんだ。相性の問題も当然出てくる。

だけど、なぜだか特に親子というものは当たり前に結びついていて、そして寄り添い、支え合うべきだと考えられがちだけれども、私はその限りじゃないと思う。

それは理想論であって、現実ではなかなかうまくいかない。それどころか、どちらかの心や人生を壊してしまうこともあるんだと思う。

だったら、〝この人はこういうところがあるから〟と事前に自分に言い聞かせることで、ふとした瞬間に合わないときが出ても、悩んだり、困ったり、腹が立つことも減るんじゃないだろうか。

特に私のように、宗教二世、三世として産まれて、物心つかないうちに宗教に入れられてしまった人は悩んでいると思う。

絶縁するほどでもないけれど、関わることでどうしようもなく自分の心が苦しくなる。

だったら、その人と合わないなりの付き合い方を見つけてみてはいかがだろうか。

今後の記事作成に役立てたいと思うのでサポートいただければ幸いです