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伊達政宗

真田信繁(幸村)の子どもを保護した伊達政宗。34年前、「独眼竜政宗」という大河ドラマがありました。大河ドラマ最大のヒット作とも言われています。そして、伊達政宗、真田信繁(幸村)はどちらも高い人気を誇る武将。そんな2人は同い年なんだそうです。

1974年に行われた発掘調査で、政宗の遺骨が発見され、そこからいろいろなことが推定されています。政宗は身長が159センチ。当時としては、平均的な身長だったそうです。血液型はB型。ちなみに、源義経、織田信長、坂本龍馬、西郷隆盛もB型だったとか。。

政宗には、派手で豪快なイメージが強いかもしれませんが、とても筆まめな一面があり、様々な折に、きちんと手紙で御礼を述べる、律儀な人だったようです。

そして、政宗といえば、かっこいい眼帯姿を思い浮かべる人が多いと思いますが、その眼帯姿、実は昭和になってから作られたイメージだという説があるそうです。政宗が眼帯を着用していた・・・という記録な何も残っていないんだそうです。

なぜ、眼帯のイメージがついたのか。政宗は5歳の時、天然痘という病気になりました。現代では絶滅している天然痘ウィルスですが、紀元前から存在していた病気で、死に至る病として恐れられてきました。

政宗は運良く、命は助かりましたが、右目の視力を失ってしまいました。さらに、その姿を見た母親が、それ以降、政宗を嫌っていたようで、政宗はかなりコンプレックスを感じていたようです。

ちなみに、政宗は料理男子でした。徳川政権が安定し、平和な時代が来た後、政宗は料理にいそしんでいました。2代将軍秀忠を手料理でもてなしたり、3代将軍家光を接待する際、全国の名産から選び抜いた食材を使った献立を政宗自身で考え、味見から配膳まで全て政宗自身の手で準備したんだそうです。真田丸のドラマの中では、ずんだ餅を作るシーンがありましたね。豊臣時代のエピソードでしたけど。。

政宗は13歳の時、愛姫と結婚します。政略結婚ではありましたが、とても仲の良い夫婦だったようです。側室もいて、子どもは合計16人!!

そんな伊達家は、現代も続いています。今でも、お正月になると、旧家臣の子孫たちが、伊達家に挨拶に来るとか。。。時を超えて繋がる関係。なんだか壮大ですね。

ちなみにちなみに、お笑い芸人サンドウィッチマンの伊達みきおさんは、伊達政宗の分家筋の子孫で、政宗の誕生日を新暦に換算すると、政宗と伊達みきおさんの誕生日が同じなんだそうですよ。

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