僕にとっての洋服。
去年1年、洋服にかけたお金を調べたら、20万円ほどでした。
さゆりさんの記事を読んで、決して安くはないお金をかけている洋服が、あらためて自分にとってなんであるかを考えてみました。
ファッションは宝探し
洋服が好きになると毎日は宝探しになります。
メンノンやポパイといったファッション誌を買い漁り、ページをめくる。
街にでれば、道行く人の服装を眺める。
神南から原宿の、気になる洋服屋の全ラックを巡る。
その中で自分なりにピンとくるものは何か。それを試していく過程は、自分の好みや嗜好を明確にしてくれる大切なひと時でした。
クローゼットは好みの移り変わりとの闘い
ファッションのおもしろいところは、ピンときたものを買ったところで、うまくいくとは限らないこと。一畳あるかないかのクローゼットで洋服たちの生存競争が始まります。
天候の移り変わり、気温の変動。そして、なによりも残酷な、好みの変化というものに耐えていかねばなりません。好みの戦場を生き残った洋服だけが、クローゼットに居座ることができます。
洋服で自分を整える
さて僕のクローゼットに話を移すと、「整える」洋服がよく目につきました。
brooks brothersの無地Tシャツ(10着)a.p.cのnew standardJohn smedleyのカーディガン(2着)Burberryのステンカラーコートclarksのサンドブーツ(2つ)
四千頭身の後藤くんは「接地面がすくない洋服が好き」と話していますが、その逆で接地面の多い洋服ばかりです。靴だってくるぶしまで覆っています。
接地面の多い服は、洋服の存在を常に感じることができます。身につけると「着ているよ!いま!」という感覚がびんびん伝わってきて、乗車率200%の小田急線に揺られる覚悟のスイッチを押します。社会に出る自分を「整える」ルーティーンと言うことができるかもしれません。
この1年で手持ちの洋服の数をずいぶんと減らしました。
仕事での立場の変化で決めることが増えたので、暮らしの中で「選ぶ」エネルギーを節約するためです。そんなユニフォーム化によって、自分にとっての洋服が「整服」になっていた、そんなお話でした。
この投稿が、自分にとっての洋服とは?をぜひ考えて、つぶやいてみたり、noteを作成するきっかけになれば嬉しいです。洋服というと流行やブランドの話になってしまうけど、もっと本質的になんなんだろうかとたまには話せたら嬉しいです。
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