それでもきみを救いたい

もう何度も言っている話なんだけど、私がよく口にする「歌や言葉で誰かを救いたい」について、まあおこがましい話だなとは思っている。
「人を救いたい」とか、それを私みたいな人間が掲げるとか、ひどく傲慢だしエゴだなと思う。
思うけれど、そんなことは百も承知で、それでもやっぱり私は「きみを救いたい」んだと思う。

軽々しく口に出せる言葉じゃないからこそ、口に出していくことで自分に課していくというか、私はそれをやり遂げるんだって意志をそうやって固めていくというか。
それを言い淀んでしまうぐらいなら誰も救えはしないと思うから。

私だって生きているから、嫌いな人間だって愛せない人だってたくさんいるし、全ての人間に優しくできるわけじゃないけど、
同じ傷を負っている誰か、同じ魂の色をしている誰かのことぐらい想わせてはくれないだろうか。


そもそもの話、勘違いされやすそうではあるんだけど、星廻エトの「誰かを救いたい」はまず「自分を救いたい」が最初にあって、その過程で私と似た誰かが共感して救われてくれたなら結果的にそれが私を救うことにつながる、という感覚です。

私の大好きなアニメ『キャロル&チューズデイ』という作品の、デズモンドというシンガーソングライターのキャラクターのセリフに「本当に届けたい相手はたった一人でいい、その想いが本物ならきっと誰かが共感してくれるもの」というようなのがあって(原文はちょっと忘れちゃった、だいたいそんな感じ)、それを聞いた時、私が本当に歌や言葉を届けたい・救いたい相手は私自身だなぁと思って。
それ以来、私の救いたい「誰か」に宛てる言葉はまず「自分」に置き換えて考えるようにしてます。
だから、私が私を救いたい歌や言葉で、みんなが共感して救われてくれたら、それは過去の私が救われたことと同義なのかなって。
難しいですね、うまく伝えられてるかな。

だから、傲慢でもエゴでも、やっぱり私はきみを救いたいよ。


最近は以前よりは少し心に余裕ができたから、私を救いたいってよりは手の届く範囲の他の人も救いたいって感じが強いけど、それだって一方的なコミュニケーションだし困っているリスナーに直接なにかしてあげられるでも居場所を提供してあげられるでもないのがもどかしいけど……今はそれが私の精一杯で、お互いちょうどいいラインなのかなとも。

自分の大丈夫なラインは自分でちゃんとわかってるから、良いタイミングでみんなのお悩みを聞いたり自分のことも少し話したりして、そうやって相互に安心できる距離で寄り添い合っていけたらいいなと思ってます。

普通は余裕のある時にしか人の悩みを聞けないと思うんだけど、変な話、私は自分がちょっと凹んでるときに深夜のお悩み配信をやって救われてることが結構あります。
前にリスナーさんが「カウンセラー役になるのではなく、エトさんが私はこうだったと同じ目線で話されているのも、居心地のいい空間ができていて……」と話されていて、本当にその感覚だな〜と思って。
悩みを聞いて解決をあげますよ、というお悩み相談配信ではなくて(そんな技量はないので)、一緒に「辛いよね、辛かったよね」と話して慰め合う場所みたいな、私にとってもそういう空間なのかなと思います。


私はいつもみんなに癒やしてもらって救ってもらってます、私もみんなにとってそういう存在になれたらいいな。

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