I meets U

 ◆I

 運命の出会いなんてものは、この世には無いのです。
 小中高、数年の読書経験を経て、運命の出会いというものがフィクションの中の存在だという認識は私の中に積みあがっていました。
 登校中に曲がり角で誰かとぶつかることはありませんし、小さい頃に結婚の約束をするような幼馴染もいませんでした。休日にあてもなく街を歩いてみても、宇宙人と遭遇したり、不思議な扉が開いて異世界に行ったりはしません。頭の中以外で、学校がテロリストに占拠されたり、突然命を賭けたゲームが始まったりすることもありません。それどころか、私のクラスに転校生がやって来たことすらないのです。
 小学校で仲の良かった子とも中学に進学したら話す機会は減っていきましたし、中学から高校も同様でした。高校生になって人と会う範囲が広がりはしても劇的な出会いという物はまるでなく、そのまま、特に大きな変化も無く受験を終えて迎えた大学生活。
 新しい学問への楽しみであるとか、初めての一人暮らしの心配であるとか、そういった色々を抱えたままの新入生説明会で、その顔を見つけて。
 私はその時になってようやく、その持論を覆しても良いのではないかと思いました。

 ◆U

 改めて思えば、あれは私の人生初めてのナンパというやつだったのかもしれない。
「あの!」
 声を掛けられたのが自分だとは思わなかったけれど、その声の大きさと近さに思わず肩が震えた。
 新入生歓迎行事。1限の時間を使って一通りの説明が終わり、講堂の外ではわいわいとサークル勧誘が始まっている頃。間近で声を聴いた私だけでなく、いろんな人がその声の主を眺めていた。
 その視線に込められた感情のほとんどは声の大きさに対する驚き。次に「そんな大声でなくても良くない?」っていう鬱陶しさ。
 透き通るような響きはその声の主の優しさをそのまま映していて、それでなお大声を出すことに慣れていない不器用さもその声からは聞き取れた。
 なんだなんだと思いながらそろりと振り向き、すぐ後ろにいたその女の子を見て私は驚くことになる。
 襟付きの黒ワンピースに、胸に抱えたシラバスの淡い緑が映えている。背中までかかる髪は綺麗な濡れ羽色をしていた。フレームの細いメガネの下から覗く黒い瞳はどこかで見覚えのある形。周りの注目に気付いて「ぁ」と小さく呟き、羞恥に震える唇から小さく声が続く。
「……今、お時間ありますか?」
 それは、一つ前の大声と反するように本当に消え入りそうな声。ナンパにありがちなセリフは少し震えていて、口をついて出たのは思わずなんだろうなとかそんなことを考えてはいたけど。
 軽く息を吐きながら眼鏡を外したその女の子が、まるで鏡を見ているかのように私そっくりな顔をしていたことを考えると、ナンパっていう定義はちょっと怪しいものだと思えてしまう。
 ともあれ、そんな風に声を掛けられて、私は望月愛と知り合ったのだった。

 ◆I

 大学のすぐそば、正門を出て歩いて2分のところにある喫茶店で冷たいミルクティーを飲みながら、私と同じ顔の女の子、日向悠宇さんは嬉しそうに呟きました。
「ナンパされたの初めてだー」
 ナンパ。
 その言葉の軽薄な雰囲気に、頬が熱を持ちます。そう、そうなのでしょうか。
「あの、ごめん、なさい。いきなり」
「えー? いいよいいよ。そりゃ気になるでしょこれ見たら」
 そう言いながら悠宇さんは右手に持ったスマートフォンを振りました。
 世界には自分と同じ顔をした人間が3人いる。
 そういう言葉は私も聞いたことがあって、確かそれは統計の上の話だったりした記憶もありますが、本当にあるものなんですねと、そんな感想を抱いたのが正直なところでした。
 悠宇さんはゆるいパーマのかかった栗色のショートヘアをしています。髪以外にも眉とか、弄っている部分はもちろん異なりますが、瞳の形や鼻の高さなどの顔を構成する大体のパーツは同じ形。
 さっき横に並んで歩きましたが、身長や体型もほとんど同じでした。
 実際に顔を並べて撮った写真を眺めれば、二人の事を間違えるかはともかく、似てるかと言えば100人いて99人は似ていると答えるでしょう。
「望月さん地元どこ?」
「東京です」
「そっかー、私京都なんだけど、親戚、とかじゃないよね?」
「京都の親戚は、聞いたことがないですね」
「ちなみに、学科は? 私政経」
「人科です。人間科学科」
「人科かー。いいね。人科の友達初めてだ」
「友達、ですか」
「そのつもりで声かけて来たんじゃないの?」
「あ、いえ、はい、そうなんですけど」
「じゃあ。いいんじゃないの?」
 そう言って日向さんが見せた笑顔は、私が鏡で見たことのない、とても明るく可愛らしい表情で。
 それを曇らせてしまうだろうことが簡単に想像できた私には、それ以上を望んでいる、なんて言葉は口にできませんでした。

 ◆U

 そうして、他の友達よりはちょっと会う頻度の高い友達が出来て。
 家はちょっと離れているけど、お互いに一人暮らしということもあって入り浸ることも多く、夏が来る頃には「似ているところばかりじゃないよなー」なんて、当たり前なことにも気づいていた。というかむしろ、似ているのは身体だけで、私と望月の性分は随分と違った。
 望月は家事全般を高いレベルでこなす。炊事洗濯は勿論、部屋の掃除とかも毎日きっちり行っていて、本やゲームが大量にある娯楽部屋にもホコリ1つ落ちていない。
 更に言うと極度のインドア派だ。アウトドア派の私とは家で過ごす時間の割合が違うということに気付いたのは少し前で、それこそ一日中家にいることも珍しくない望月の部屋は、一日中過ごしても気をやってしまわないだけの環境が整っている。
 部屋は広く、物は多く。単純に私の住んでるアパートよりは家賃も高いであろうマンションには、私の知り合い、少なくとも大学生は望月以外には住んでいなかった。
「そうですね。恥ずかしながら、私の親は私から見ても過保護だなーと思うくらいでして」
 そういって立派なキッチンを使って文句のつけようもないような夕食を振舞ってもらうのももう何度目か。基本的に自炊しない私は、平日は学食、休日もコンビニとか外食で済ませていたのだけど、望月と付き合い始めてからはこうして相伴にあずかる機会も増えた。
「花嫁修業は一通り済ませているのです」
 そう言ってむんと腕を曲げて見せるが、そこで筋肉が盛り上がったりしないのは私と同じ。
 いつの間にか望月が用意していた私用の箸でご飯を食べるのは、なんともむず痒い。美味しいけどね、生姜焼き。
 一番の違い、という言い方をすると望月は傷つくかもしれないけど。望月はとにかく友達が少ない。私以外にはいないと言ってもいいくらいだ。私だって友達が多い方ではないけど、大学でも望月が誰かと一緒に歩いているところを見たことがない。
 ただ、それでも見たことがないというだけで、望月の部屋ではそれこそ色んなゲームがあったりして、オンラインで繋がってる友達の10人や20人くらいはいるんだろうなーとか思ってはいたので、
「望月ってこういうゲーム誰かとやってるの?」
 思い切って聞いてみた。
「んー、オンラインの対戦はありますけど、特定の誰かっていうのは無いですね」
 え。
「私、友達、いないんですよね」
 そんな風に屈託なく言えるのも、私と違うところだなぁとか思ったりはする。
「日向さんくらいですね」
 ちょっと嬉しそうに言われても、私は喜んで良いのかちょっと微妙な所だった。

 ◆I

 当たり前の話ではあるのですけど、日向さんにも私と違うところがたくさんあるのでした。
 夏になって、外気が体温を超えるような暑さになっても元気を一向に落とさない日向さんは、それこそ名は体を表すと言わんばかりにアウトドアに勤しんでいます。つい先週新しく始めたロードバイクには私も少し興味はあるのですが、この炎天下では少し歩くだけでも日頃の運動不足を痛感して一歩が踏み出せませんでした。
 結果、冷房の効いた部屋から一歩も外に出ないぞと決心をする私と違って、お使いを頼んだら二つ返事で自転車を漕いでくれる日向さん。個人的な趣味以外にも、教養授業であったり、3回生以上がメインになっているゼミ対抗のソフトボール大会であったりと、おおよそ大学で行われている身体を動かす機会にはすべて参加しているんじゃないかというくらいのアクティブさ。
 インターネット全盛のこの時代に自宅にPCを持たず(課題は学校で済ませているとのこと)、本棚もテレビもなく、とことんまで物の少ない殺風景な日向さんの自室は、普段ほとんどいない主の代わりにルンバがフローリングを綺麗に保っていました。
「前から思ってたんだけどさ」
 日向さんがそんな風に切り出してきたのは、お風呂上り、私の髪にドライヤーを当てているときでした。ミニマリスト然とした日向さんの家具の少なさなのですが、身だしなみを整える道具に関しては私より多く持っています。手入れにもとても気を遣っていて、私もこうしてよく乾かしてもらっています。
「望月って、よく私に声かけたよね」
「えっ」
 思わず声が出ていました。それは、なんで声を掛けて来やがったんだとか、そういう。
「いや違うよ?」
 私の顔も見ずに、日向さんは苦笑します。日向さんはこうして私の声音から色々と受け取ってくれる人で、それは今まで私の周りにいた人にはできないことでした。
「私が言うのもなんだけどさ、望月って人付き合い得意じゃないじゃん? それこそ友達多くないって自覚してるくらいだし。それなのに私によく声かけたよねって」
 ドライヤーをぱちりと切って、ちらりと、軽く梳く横髪を通しながら私に視線を投げます。
「顔が似てるってだけで、そこまで勇気出せるものなのかなって」
 流れる沈黙。黙ったままで解決しないのは、日向さんが敢えてのぞき込んでこないことから何となく判ります。
「私、その……楽しそうにするのどうしても苦手で、つまらなそうだよねって、よく言われるんです。私は楽しいと思ってやってることが多いんですけど、それでも、なんでしょう、表情に乏しいというか。下手なんですよね。そのたびに、ちゃんと楽しんでますよってお伝えはするんですけど。人によっては嫌われてるって誤解される方もいて、それで、まぁ、おっしゃる通りあんまり人付き合いは得意じゃないんです」
 一息。
「それで、私は、私の顔が、そんなに、好きではなかったんです」

  ◆U

 望月は訥々と話す。
「私、ですね。日向さんの笑ってる顔を見たんです。私とそっくりな顔をしてるのに、私が見たことのない表情で笑ってて、それこそ大きく口を開けて、とても楽しそうにしてたんです」
 む、そんなに判るくらい笑っていただろうか。
「私はそれを見て、私の笑顔がどういう形をしているのか想像できました。そして、そんな風に笑ってみたい。この人みたいにちゃんと笑える自分になりたいって、そう思ったんです」
 だから、声を掛けました。
 そういう望月の声には強い意志が込められていた。
 変わりたい。
 そう思うことは悪いことではないだろう。自分の欠点を見つめて直そうと努力をすることは、実際に前に進んでいるかどうかに関わらず点数をつけていいことだと私も思う。
「ふーん?」
 でも、持っていないものを手に入れようとするばかりじゃなくて、自分が今持っている魅力に気付く努力も、同じくらい大事なんじゃないかと思うのだ。
 私と同じ顔で、私と違っていつも冷静で、穏やかで、分かりやすく笑っていなくても、そんな望月のことを魅力的に思っている人間は、少なくともここに一人いるわけで。
 まだ数ヶ月程度の付き合いだけど、望月の表情の変化は私には読み取れた。そりゃあ生まれてからずっと見てきた顔とそっくり同じものなんだからある意味当たり前なのかもしれないけども。
 私のことを話すとき、望月はちゃんと嬉しそうにしているのだ。
 目元も口元も、ほんの少しだけどちゃんと楽しさで緩んでいる。
 私とは違う、静かな笑顔。
 それを読み取れるのは今のところ私だけなのかもしれない、そんなことを思いついて口元も勝手に緩んでしまう。
「ど、どうかしました?」
「んー? なんもー?」
 見咎めた望月が不思議そうに首を傾げても、答えてやらない。
 それは、まだ望月も知らない、私だけの秘密なのだ。

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