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「フィードバック難民」の苦悩

この記事は2023/06/09に配信を行なったメルマガの転載です。

みなさん、こんにちは。
エスノグラファーの神谷俊です。

雨の日も増えて梅雨らしくなってきましたね。

先日の朝、自宅の裏の林道を歩いていると、紫陽花が大きな花を咲かせていました。そこの紫陽花は、かなり虫(アジサイハバチと言うんだそうです)に葉を食われてたんですよ。

葉っぱは、葉脈を残してすっかり食べられてしまっていたので、散歩で通るたびに「今夏は花を咲かせられるのだろうか」「頑張ってほしい」と密かに応援していたんです。

しかし見事、大輪の花を咲かせていました。梅雨の季節は、いつもより生命力を強く感じるような気がします。みなさんは、いかがお過ごしでしょうか。



フィードバックについて考える

さて、今回のメルマガのテーマは「フィードバック」です。

経営学においては、フィードバックは人材の成長や、パフォーマンスの向上、組織への適応に不可欠なアプローチであるとされています。目標が高いほど、また不確実な状況であるほど、フィードバックによって得られる情報は有益なものになります。

皆さんは、日常のなかでどれくらいの量・質のフィードバックを得ているでしょうか。今日は、このフィードバックについて、私の状況をケースに少し考えてみたいと思います。

考えると言っても、主に私の自己開示・悩みをお話する感じになります。私の状況をお伝えするので、皆さんもご自身の状況などを振り返っていただけたら、少し嬉しく思います。



「フィードバック難民」の苦悩

さて、私はフィードバックについてよく考える方です。自分をより豊かにするために、適切な質・量の刺激を確保できているだろうか。そのようなことを日々気にして生きています。

それは、私が「フィードバック難民」だからです。自分のパフォーマンスや考え方、知識レベルや仕事の進め方について、フィードバックをもらう機会が他の人よりも格段に少ないと思うのです。

「フィードバック難民」である理由について、少し考えてみました。みなさんもご自身のフィードバック環境について一緒に考えてみましょう。もしかすると、私と同じように「フィードバック難民」かもしれませんから。


「難民」となっている理由の1つは、働き方です。

私は基本的に一人で働いてます。自宅の近所にオフィスを構え、そこに毎日通い、社員やパートナー、顧客とオンライン上で関わりながら働いています。弊社は、基本リモートワークなので、社員との直接の交流は年に数えるほどしかありません。

当然、私の仕事ぶりを間近で見ている人はいません。ですから、仕事の進め方について直接アドバイスをもらう機会は少ないですし、さらには使っている機器のチョイスや姿勢、休憩の取り方や服装について助言を頂くこともありません。いつも自分で試行錯誤しています。

オンライン上で他者とコミュニケーションする機会は、ほどほどにあります。1日6~7件程度のミーティングに参加します。ただご存知の通り、オンラインコミュニケーションは特定のアジェンダに沿ったものになる。

だから「最近の私についてどう思いますか?」みたいな意図の良く分からない質問を投げかけることは難しい、というか質問したとしても「最近の私」を知っている人がいないので投げかけようとも思いません。

さらに、このような環境で働いていると他の人の働きぶりも直接モニタリングできません。五感で得られる刺激量がかなり少なくなります。誰かの振る舞いや表情がぼんやりと視野に入ってきたり、誰かの話し方が自然と耳に入ってきて「説明するのが巧いなぁ」なんて感心することもできません。

そのために「自分はどうだろうか?」と内省する機会は自然と少なくなってしまいます。


「難民」になっている2つ目の理由は、業務内容と役割です。

私の業務は、主に調査・分析・コンサルティングです。またアカデミックな領域も絡むので、専門性が高いというか、一般性が低いというか。相談や議論をする相手はどうしても限られてしまいます。

開発職の方と話す機会が最近多いのですが、同様の悩みを抱えていらっしゃいました。彼らは上司や同僚と同じオフィスで働いているにも関わらず「難民」になっているとのことでした。彼らの専門領域について上司が理解していないので、フィードバックを求めても的を得た意見を貰えないらしいのです。

専門性の高い職務に就いている人は、「フィードバック難民」になりやすいのでしょう。


3つ目として、経験値や年齢が挙げられます。


思いっきり批判されたり、打ちのめされたりするのは、ちょっと嫌な年齢になってきました。

自分のアイデンティティが変化することを、前向きに受け止める方だと思いますが、それでも20年くらい社会人をやってると自負や矜持のようなものが積みあがってきます。

若いころは“道場破り“みたいに研究室に行ったり、他社のコンサルタントに議論を吹っ掛けたりすることもありました(不躾なことを……ごめんなさい)。20代前半の私は「もっと挫折をしたい」「もっと失敗をしたい」という発言をよくしてました(今思うと相当に嫌な奴ですね)。

それが家族をつくり、一定の経験を積み上げたいま、そういうアグレッシブ(攻撃的?)な行動はしなくなっています。ほんの少しの社会性が身についたということと、加齢に伴って世の中における私の扱いが変化したということも影響しています。

一定の年齢になると、「道場破り」をしたところで丁重にもてなされてしまうんですよね。「ようこそ来ていただきました!」と言われ、「ゲスト」や「先生」という位置づけでみんな優しくしてくれるんです。基本、褒めてくれるので心地よく働けます。

このように振り返ってみると、私は致命的と言えるほど、自らを批判的に捉える機会がないことが分かります。
(ここまで書いて、改めて問題意識を持ちました。)


世の中の「フィードバック難民」はどうしているか?

自分に対する危機感を強めた一方で思ったことは、世の中の経営層やリーダーの方も同じような境遇にいらっしゃるのではないだろうかということです。

一定の年齢と役職、スキルレベルと経験値を携えると、「フィードバック難民」になりやすくなるはずです。だからこそ、キャリア自律やリスキリングが必要とされるわけですが、それを進めるにしてもフィードバックは必要になります。

私を指して言うわけではありませんが、優秀な方や専門レベルの高い方ほどフィードバック・シーキング(自分に対して客観的な評価を獲得すること)の難度は上がるはずです。皆さんはどうしているのか、気になります。

自分でセルフ・フィードバックをしているのでは?とも思いますが、人間は弱い生き物ですよね。自分にとって都合の良いように解釈をするし、自分が生きやすいように認知を歪める本能を持っています。

セルフ・フィードバックをしようとしても、つい甘えが出て、自己肯定の方向に評価や意味を展開してしまうこともあるはずです。

それを制約や習慣や知性で抑え、自らをより高めるための刺激を獲得しにいっていると思うのですが、それをいかに進めているのか……。

個人的には、次のようなことを意識しています。日常に慣れてしまうと、つい「こなして」しまうので、いつも自分の位置づけを大きな枠組みで捉えるようにして、学びを拾っていくことを地道にやっています。


  1. 常に自分は不勉強で未成熟な存在である(伸びしろしかない)という信念を強く持つこと。

  2. 常に大きな存在(地域、社会、業界など)のことを考えること。

  3. そして、そこにおける自らの貢献について考えをめぐらすこと。

  4. 些細な刺激や変化を大きく捉えて、自らを振り返ること。



その帰結として、出逢いや勉強する機会は一定数増えるわけですが、それでも不安はぬぐえません。

今の私はどうか?ちゃんと価値を発揮できているか?
「難民」の旅は続きます。


ということで、今回のメルマガは、私の悩みを吐露しただけで終わりました。とはいえ、皆さんがご自身のフィードバック環境について、振り返って頂く機会になっていたら嬉しいですね。

またお会いしましょう。

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