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自分の「ものさし」で生きる

この記事は2023/12/8に配信を行なったメルマガの転載です。


皆さん、こんにちは。
株式会社エスノグラファーの神谷俊です。

先日、天体観測に神奈川県の秦野まで行ってきました。峠は氷点下ぐらいまで冷え込むのですが「寒い寒い」と言いながらマグボトルのコーヒーを飲むのが好きだったりします。これから本格的に寒くなりますね。皆さんは冬をどのように楽しんでいらっしゃるでしょうか。

さて今回のテーマは、自己評価についてです。
とりとめもない話ですが、お付き合いいただければ嬉しいです。


トマト農家の友人の話

先日、トマト農家をやっている友人から大量のトマトを頂きました。
「出荷の規格に見合わなかった」とのことで、形の不揃いなトマトが5個ほど送られてきました。

この“不揃いな形“が我が家には大好評で「お尻みたい!」「ツノ生えてる!」とはしゃぎながら頂きました。しかもこのトマト、糖度が高くてフルーツみたいです。家族みんなで「こんなトマト食べたことない」と感動し、あっという間に食べてしまいました。

さらには、妻から「また“不揃い“なものができたら一般的な買取価格+送料をお支払するので送ってほしい」とのリクエストまでありました。

そのことをトマト農家の友人に伝えると、とても喜んでくれました。

「傷がついたり、形が悪かったりして、売り物にはならないんだけど、絶品なんだよね」


この言葉を聞いて、思い起こしたのは経済学の「交換価値」「使用価値」の概念です。

「交換価値」とは、取引される際の価値。≒価格で評価される概念です。
「使用価値」とは、商品そのものが持っている価値。

そのトマトは、正規の市場ルートでは売り物にはならなかった(交換価値は低い)わけですが、別のフィールド(子供のいる家族)でそのトマトの価値が見出されたわけです。だからこそ、そこで取引が発生したわけですね。

・交換価値が低くても、使用価値が低いわけではない。
・チャネルを変えれば、交換価値が高まる可能性はある。

この当たり前の原理を改めて実感したのでした。


他者からの評価への向き合い方

この原理が当てはまるのは、当然ながらトマトだけではありません。
私たち人間にも言えることなのではと思います。

私たちは、皆なんらかの本質的な価値を有しています。
生きているだけで価値がある。

しかし、それがいつも適切に評価されるとは限りません。

社会が評価するのは、結果のみです。
それも社会が用意した「ものさし」で評価をする決まりになっています。

そのために、世の中は私たちをいつも評価してくれるとは限りません。
(むしろ評価してもらえるのは、奇跡・偶然とも言えるかもしれない)

どれほど頑張っても、上司が理解してくれないことは日常的にあるし、
いくら尽力してもパフォーマンスが上がらずに、低い人事評価をもらうこともあるでしょう。
また、必死に勉強しても偏差値が上がらなかったり、第一志望に合格できないことだってある。

大切なのは、そのような世の中からの評価=自分の価値だと思い込まないことなのでしょう。

仕事がうまくいかなくても、勉強がうまくいかなくても、あなた自身の価値が低いわけではない。自分を愛してくれる人や、信頼してくれる人との出逢いは必ずどこかにある。

その出逢いを予期しながら、自分の価値を信じて磨き続ける姿勢が大事なのだと思いました。


今回は、以上です。

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