オンライン空間の文化とその実践に関する人類学的考察―「淫夢」を事例として―
0 noteでの公開に際しての前書き
ご無沙汰しておりました、もしくは初めまして、Ethnoです。
筆者は現在、大学院の博士課程で文化人類学を専攻しています。日本語圏のオンライン空間(≒インターネット)をフィールドとして調査をしており、「淫夢」という文化における人々の実践を対象に研究を進めています。「文化圏の研究はその文化圏に還元すべき」がモットーなので、筆者が2022年に執筆・提出した修士論文を公開してみることにしました。
本論はTwitter(現:X)をフィールドに「淫夢」を人類学的なアプローチから調査・解釈を試みた論文となっています。淫夢に関するテキストとしては「学術的な視座から真面目に取り扱う」という事が、人類学研究としては「ネットの文化をネットの文脈で解釈する」という事が、それぞれアピールポイントになるかと思います。執筆から1年経った現在見返すと正直ガバガバな部分も多いのですが、本論の公開によってどちらの界隈の人にも何かしらの刺激となってくれれば幸いです。
尚、本論は「淫夢を研究対象とした人類学の論文」なので、淫夢に関しての説明には紙幅を割いている一方、文化人類学の視座や用語に関しては説明なく用いている部分が多いかと思います。手法や表現に関してよく分からないことがあれば筆者Twitter(現:X)のDMまでご連絡ください。(淫夢に関する話は勿論、その他ネット文化に関する事でも、調査協力や情報提供いつでもお待ちしております。返信不要であればその旨を書いて頂ければ返信しないのでお気軽にDMください!)
本論では淫夢に関与する/していた方々に協力して頂いた聞き取り調査のデータや、主にTwitterアカウントを用いた参与観察から得られたデータを適宜引用しています。noteでの公開にあたって、各調査協力者と相談の上、個人の特定に繋がりかねない記述や不特定多数への共有を望まない記述に対しては変更や削除で対応する事にしています。また、公開時点で連絡の取れていない協力者の方も何名かいらっしゃったのですが、そうした方々の記述は一旦全カットでの対応とさせていただきました。可能な限りの再編集をしましたが、過度に抽象的であったり不自然になっていたりする箇所もあります。また、本文中で引用・参照しているURLは全て2022/12/27が最終確認日となっています。ご了承ください。
1 はじめに
2022年現在、スマートフォンやタブレット端末、PC等の電子機器の普及に伴い、それらをインターネットに接続して様々な情報の発信を行ったり、他者から発信された情報を受信したりする行為は、年齢や社会的地位を問わず極めて日常的なものとなった。後述するように、文化人類学の調査や研究においても、様々なフィールド・テーマにおいてオンライン空間の存在は無視できないものとなっている。
生物としての人間はオンライン空間に関与せず生きることが可能な一方で、オフライン空間に関与せず生きることは不可能である。しかし、文化はどうであろうか。オンライン空間で普及・実践されている文化の中には、オフライン空間ではまだ認識・言及されていないものも少なくはない。本研究では、オンライン空間を扱う先行研究で半ば前提とされてきた「オフライン空間中心主義」的な視座に対し、オンライン空間の文脈からオンライン空間の文化実践や人々を考察する事を試みる。
本研究は、ゲイ男性向けのアダルトビデオを基盤とする「淫夢」という文化を対象に、オンライン空間上で参与観察やインタビュー調査を実施し、人々が感じた魅力やその背景を考察する事を目的とする。2章では、「インターネット」や「バーチャルコミュニティ」といった語彙をキーワードに、オンライン空間を対象とした先行研究を整理し、本研究の意義を述べる。3章では、本研究の調査対象である「淫夢」について、その成立過程や先行研究を整理したうえで、あらためて研究目的について記述した。4章では調査者である筆者の背景や、調査についての詳細を述べ、それらを踏まえた調査によって採集したデータを5章でまとめた。そのうえで、6章では「境界」や「受け皿」という表現を用いることで、フィールドであるオンライン空間の文脈に即した考察を試みる。また、オンライン空間上の「コミュニティ」概念についても今後の展望を示す。7章では、本研究の総括をすると同時に、今後の研究に向けた課題を提示する。
2 先行研究の検討
2-1 オンライン空間と学術研究
インターネットの発達に伴い、既存の文化人類学が調査の対象としてきた人々や文化は、オフライン空間だけでなくオンライン空間でも表出・発現するようになった。それに伴い、近年ではオンライン空間を研究の対象とする、もしくは対象に含む調査アプローチが多く見られるようになった。本稿では、オンライン空間に対する捉え方を軸に、大きく三つに分けて整理したい。
2-1-1 調査ツールとしてのオンライン空間
まず、最も多く見受けられる調査アプローチは「オフライン空間研究を補佐する形でのオンライン空間の活用」だろう。このアプローチではオンライン空間を「調査ツール」として捉えている。2019年末以降、コロナウイルスの流行によって屋外調査が憚られる中、例えばGoogle社の提供する地理情報サービスGoogleストリートビューを用いた「オンライン(ヴァーチャル)フィールドワーク」(阿南・川瀬 2022: 356-357)や「バーチャルフィールドワーク(熊谷 2022: 128-135)」といった調査アプローチが提唱されている。これらの調査が対象とするのは大学の通学ルートやサッカーチームのマスコットキャラ(阿南・川瀬 2022)、標識や看板(熊谷 2022)といったオフライン空間の事象であり、Googleストリートビューはそれらを探索するためのツールとして採用されている。こうしたアプローチは、調査における様々な制約を回避して調査を進めることが可能になる一方で、消極的な理由が動機である故か、入門講義における実践が主な活用の場である事が示しているように、現地調査に備えた取っ掛かりのような認識を拭えていないのが現状だろう。
2-1-2 オフライン空間の拡張としてのオンライン空間
次に、人類学者の調査フィールドでもインターネットが普及し始めたことで注目を集め始めたのが「オンライン空間の記述を組み込んだオフライン空間での調査」である。このアプローチではオンライン空間を「オフライン空間の拡張」と捉えている。こうしたアプローチは、既に木村忠正が『ハイブリッド・エスノグラフィ』(2018)でその方向性を提示している。木村によれば、オンライン空間を対象としたエスノグラフィには「コミュニケーション生態系」と「オンラインフィールドワーク」という二つの可能性が存在する(木村 2018: 38-39)。そして、前者がオフライン空間でインフォーマントにアプローチし、日常生活においてネットワークコミュニケーションがどのように機能しているかを明らかにしようとするアプローチとなる。
例えば、小川(2019)は、香港のタンザニア人ブローカーたちがSNSを活用していたことに注目している。SNSの有する不特定多数による多声的な記述や、アクセスや共有を求めるが故の相互反射性を指摘することで、ブローカー達のSNS投稿を「被調査者のオートエスノグラフィ」と捉え、人類学者の制作するエスノグラフィとは異なる論理や価値観の分析可能性を提示した。小川の試みは、前段のアプローチと同様、オンライン空間をオフライン空間理解のツールとして活用している一方で、オンライン空間上でオフライン空間とは異なる交流や実践が可能であることも指摘している。こうしたアプローチはオフライン空間に関する既存の研究をより拡張し、進展させる可能性を秘めている一方で、オンライン空間がオフライン空間に完全に従属しているような誤解を生みかねない。
2-1-3 文脈を有する場としてのオンライン空間
上段で述べた木村の二分類における「オンラインフィールドワーク」が三つ目の調査アプローチである。このアプローチでは、オンライン空間を「それ自体が文脈を有する場」として捉え、「オンライン空間の文化や人々を対象としたオンライン上の調査」を実施する。ベルストーフ(Boellstorff 2015)の研究が典型例だろう。ベルストーフは、オンライン上の仮想世界「Second Life」を調査フィールドに設定し、およそ2年半の間、実際に自身で制作したアバターを用いて仮想世界のフィールドワークを行い、エスノグラフィを執筆した。ベルストーフは発光する建物に対する人々の対応や空中に家を建設した住人の語り等、仮想世界で出会った様々な事例を記述し、仮想世界の新規性と不変性について考察を行った。こうしたアプローチは現場の文脈に沿った解釈をオンライン空間にも適用し、新たな研究領域を開拓できる可能性を秘めている一方で、インフォーマントがオフライン空間に生息する人間である以上、オンライン空間をオフライン空間と完全に遮断された場であるとは言えない問題に直面しかねない。
また、オンライン空間は、基本的にテキストのみで交流するインターネット掲示板や視覚的には実世界とほとんど変わりのない仮想世界等、それぞれがそれぞれの仕組みで成立しており、それらの間に物理的な距離や境界が存在していない故、調査のアプローチそのものが未だ確立されていないという課題もある。また、ベルストーフは「インドネシアで民族誌的研究を行いながら、タイで民族誌的研究を行うことは不可能(Boellstorff 2015: 7)」という例えを用いて、仮想世界を複数同時に調査する事は出来なかったと述べた。しかし一方で、現在多くの人々が多種多様なプラットフォームを用いてオンライン上の交流をしている点は見逃せないだろう。当然、SecondLifeのような仮想世界とTwitterやニコニコ動画といったSNS・動画投稿サイトを同様の場として扱うことは出来ないが、2022年現在のオンライン空間としては後者が主流である以上、複数のプラットフォームを跨ぐ参与のアプローチは必須となるはずである。
2-2 「バーチャルコミュニティ」に関する議論
2-1-2、2-1-3で筆者が述べた批判は、「オンライン空間はオフライン空間に完全に従属しておらず、独自の文脈も有している」事を前提としていた。オンライン空間とオフライン空間の関連性については、インターネット技術が民間に普及し始めた90年代から積極的に議論がされてきた。本稿では、「バーチャルコミュニティ」に関する議論を参照することで、オンライン空間とオフライン空間の関連性について考えたい。
ラインゴールドは著書『バーチャルコミュニティ』にて、「WELL(Whole Earth 'Lectronic Link)」と呼ばれるネットワーク経由の電子会議システムにアクセスし、そこで交わされた人々との交流やコンピュータ通信の歴史等、幅広い議論を展開した(ラインゴールド 1995)。同書内でラインゴールドはバーチャルコミュニティについて、「世界中の人々が開かれた討論に参加できる、相互にゆるやかに結ばれたコンピュータ同士のネットワークを意味する(中略)「ザ・ネット」から生成される社会的な総和で、ある程度の人びとが人間としての感情を十分にもって、時間をかけてオープンな議論を尽くし、サイバースペースにおいてパーソナルな人間関係の網をつくろうとしたときに実現されるもの」(ラインゴールド 1995: 19-20)と定義している。このようなオンライン空間に対する理想郷的な未来予想は、90年代の文献に広く見られる傾向がある。「国境がなくなり、国家・国内法・税金・民族文化の見直しが求められる」(石田1998 p254)や「インターネットの上で生きていくことは、新しい国際社会─「国」が意識されないのだから、「国」際というのはおかしいかもしれません。地球の社会とでもいった方がよろしいでしょうか─をつくっていくことにほかなりません」(村井 1995: 195)といった表現が用いられていた事から分かるように、インターネットは特にオフライン空間における国概念の上書きを望まれていたように読み取れる。
このような理想に反して、インターネットがより普及し、様々なオンライン空間が誕生した2000年以降、そうした記述は影をひそめる事となる。先述のラインゴールドのバーチャルコミュニティ論に対するパパチャリシの批判は、こうした時代背景を如実に表していると言えるだろう。パパチャリシ(Papacharissi 2011: 119-120)はラインゴールドが地域に制限されない新たな人間関係バーチャルコミュニティだと主張したWELLについて、実態はサンフランシスコを拠点とする人々が定期的な対面集会を行うことで維持されていた事を指摘し、オンライン空間での社会的つながりはオフライン空間での接触に依存しており、「バーチャルコミュニティは期待されているほどバーチャルではない」事実を指摘している。同様に、ブルックら(Brooke et.al. 2009)によるティーンエイジャーを対象としたSecond Lifeにおける友情形成に関する調査では、仮想世界ではオフライン空間とは異なるコミュニケーションメカニズムが実践されている事を述べながら、しかしそうして形成される友情関係はオフライン空間での年齢が近いティーンエイジャー同士で形成される傾向がある事を指摘した。
2-3 本研究の視座
上項で述べたように、オンライン空間での交流がオフライン空間でのステータスに依拠していたという研究成果が報告される一方、従来のオンライン空間を対象とした議論が、「オフライン空間への拡張を目的とした交流」という側面のみに着目していた点を筆者は指摘したい。実際に、本研究においても「オフライン空間への拡張」を行ったインフォーマントは存在していたが、しかしその拡張を全てのインフォーマントが交流の目標、もしくは過程として認識していたわけでは無かった。上記のようなオフライン空間との相関を前提とした研究は、先行研究との接続や比較的簡便な調査を可能にする一方で、オフライン空間を主格と捉えたオフライン中心主義的な視座を強固にしかねないと筆者は考える。また、詳細は3-3で後述するが、様々な形でオンライン空間の文化や習俗がオフライン空間にも影響を及ぼし始めている近年において、そのようなオフライン空間のみに依拠した視座は外部からの理解と当事者の理解との距離を広げてしまう事にも繋がりかねないのではないか。
本研究では上述の問題意識の下、オンライン空間で生まれ、オンライン空間で維持・普及した文化を対象に、オンライン空間での調査を実施する。このような背景から、筆者が調査対象として選択したのが「淫夢」と呼ばれるオンライン空間を中心に広がった文化圏である。
3 「淫夢」について
本章では、本研究の調査対象である淫夢について、まずはその概略を述べ、成立から普及までの経緯を簡易的に記述したのち、淫夢について言及した先行研究のアプローチとその課題について述べる。
3-1 概要
「淫夢」は、オンライン空間を発祥とし、ゲイ男性向けのアダルトビデオに関する情報を基盤とする文化である。竹本(2015)は淫夢について、「ビデオ内の台詞をスラングとして使うコミュニケーション作法、そしてビデオ映像や音声、キャプチャ画像を素材として加工した映像・楽曲・文章などの創作物からなる文化圏の総称を、「真夏の夜の淫夢」、あるいは単に「淫夢」と呼ぶ。また作品投稿者、スラングの使用者は「淫夢厨」、スラングは「語録」、「淫夢語」と呼ばれる」(竹本 2015 pp331-332)と定義しており、本章においても基本的に竹本の定義に則って記述を行いたい。
オンライン空間において、淫夢はおよそ20年の間、多様な形態やプラットフォームで実践され続けてきた一方で、ゲイ男性向けのアダルトビデオの無断転載という背景から、オフライン空間においてはほとんど直接言及されることが無かった文化である。そのため、例えば広くオンライン空間一般に普及した「語録」をTVのバラエティ番組が「もうひとつの流行語」として紹介したり、ある企業のTwitterアカウントの投稿が「同性愛者を侮蔑している」として話題になった際、ネットニュースメディアが『アダルトビデオに出演した人がキャラクター化され、嘲笑の対象になっているもの』という記述で淫夢を示唆する表現を用いたりといった際に、オンライン空間においてはそうした取り上げ方に対する疑問や反発を示す人々が頻繁に見られた。詳細は次項で記述するが、2000年代以降の日本語圏のオンライン空間において、淫夢は常に重要な位置を占めてきた文化である。過激な性的描写や一般人の出演といった要素を内包したアダルトビデオや、ゲイ男性に対する大衆のイメージが誘発する様々な問題、また画像や動画の無断転載といった、言及を忌避されるであろう因子こそ多数抱えている淫夢であるが、しかし一方で、オンライン空間における「人々」や「日常」を扱うにあたっては、決して避けることが出来ない領域だと言えるだろう。
また、本稿では調査期間と紙幅の都合上調査の対象に含めることは出来なかったが、淫夢に関する実践は日本語圏のオンライン空間のみならず、英語圏やロシア語圏、中国語圏など多くの言語圏のオンライン空間に伝播・普及している事が確認できている。特に中国語圏における影響は規模が大きいようで、例えば日本人男性の俳優が中国語圏の動画投稿サイト「bilibili」にチャンネル開設の動画を投稿した際は、男性の名前が「淫夢」に出演していた男性と同じだという事に関連するコメントが多数投稿されていた。
3-2 略史
淫夢の成立や発展の歴史に関して、文献上では公的な記述が残されていない。そのため、本稿では聞き取りの際のインフォーマントによる記憶の語りと、不特定多数によって編集されたウェブサイト上の記述を基に、オンライン空間において一般的に認識されている発祥や変遷を提示することで略史としたい。後者に関しては、実際に多くのインフォーマントが淫夢に初めて触れた際に知識の取っ掛かりとして参照したと語った「真夏の夜の淫夢wiki(以下、淫夢wiki)」を用いる。淫夢wikiは『真夏の夜の淫夢に関する情報を収集・保存するまとめサイト(wikiメインページより引用)』 であり、ベースとなったポルノビデオの台詞文字起こしや俳優の出演作品や作中での設定、普及していく過程を記述した年表等が不特定多数の有志によってまとめられている。掲載されている個々の情報の正確性については、それら全てに明確な出典が見受けられるわけではない。しかし一方で、オンライン空間上の文化に関しては、不特定多数や仮名の個人による情報も史料として正当に評価される傾向がある。Wikipedia形式のWebサイトを史料として参照する進行は是非の問われる行為かと考えられるが、本稿においては考古学的な視座による「正確な歴史」を記述することが主旨ではなく、オンライン空間において人々の間に共有された文脈に接近する事が目的であるため、インフォーマントが「淫夢厨の共通認識」として語った記憶と淫夢wiki内での記述を参照する事とした。
2002年、元プロ野球選手の男性がゲイ男性向けのポルノビデオ『Babylon 34 真夏の夜の淫夢 ~the IMP~』に出演していた事が発覚し、当時のオンライン空間ではネット掲示板「2ちゃんねる」を中心に彼を弄るような言動が流行したという。こうした言動にはある程度活動の軸となるスレッドこそ存在してはいたものの、一連の動向が既に「淫夢」と呼ばれていたわけではなく、『初期の淫夢スレでは『くそみそテクニック』など山川純一のゲイ漫画ネタや「ガチムチの六尺兄貴」などのホモコピペネタも特に区別されずに扱われて(淫夢wiki「淫夢入門」)』いたり、『特に関係ない板やスレッドにAA(アスキーアート)を連投して荒ら(聞き取りより引用)』 したりといった行動が主であったようである。この時期は、主にネット掲示板におけるテキストでの交流が主な実践で、その内容も同性愛者を嘲笑するような流れが強かったと考えられる。また、淫夢以前から既にゲイなどの性的指向を基とした文化が存在していたようだが、淫夢ほどはオンライン空間全般に広く定着しなかったようである。
所謂「ホモネタ」と「淫夢」が明確に区別され始めたのが2008年頃だとされている。上述したポルノビデオはオムニバス形式の作品となっており、元プロ野球選手の男性が主演していたパートではないパートもいくつか収録されていた。そのようなパートも動画投稿サイト「ニコニコ動画」にアップロードされる中で、徐々に元プロ野球選手だけでなく、他パートに出演していた俳優らも同様の文脈でネタとして触れられるようになる。出演俳優を辿るかたちで他のポルノビデオも次々にアップロードされ始め、2010年前後からは日本製のゲイ男性向けポルノビデオに関するコンテンツを「淫夢」という概念で総括するようになったようである。この時期は、掲示板を中心としたテキストによる交流と並行して、動画投稿サイトにおける動画や画像による交流が増加した。また、ニコニコ動画での淫夢関連動画が増えることで、それまでは掲示板を中心に実践されていた語録での交流が、中心地を動画のコメントに移行したようだ。さらに、語録がコメントをメインストリームとしたことによって、直接アダルトビデオを転載した訳ではない動画でも、アダルトビデオを示唆するような描写や表現(例えば、偶然語録と同じセリフを発したシーンや、専業俳優ではない故の演技方法など)が見受けられると、その動画にも語録がコメントされるような土壌も生まれ始めた。こうした流れと共に、その内容も単に性的指向を嘲笑の対象とするようなものだけではなく、創作の素材や多様なコンテンツを繋ぐコンテンツとしての利用が見受けられるようになった。
インフォーマントらの多くが2022年時点での淫夢を「衰退期」や「新規性が無くなった」と表現していたように、一般的にはスマートフォンの普及した2015年頃を皮切りに淫夢は停滞・衰退していると表現される。一方で、「淫夢語録」のような文化については既に(時にはポルノビデオ発祥という認識から離れて)オンライン空間に根強く浸透しており、こうした実践に関しては2015年以降もSNSや動画投稿サイトにおいて極めて日常的に目にするものとなっている。また、オフライン空間におけるオンライン空間の文化の普及によって、淫夢に関するオフライン空間における実践が注目を浴び始めたのもこの時期であった。
一方で、特に目立ったメインストリームや人々の認識の変化も記述される・語られることが無いため、現代の淫夢を取り巻く環境としては概ね変わっていないと考えてもよいだろう。動画やテキストによる交流は依然として続けられている一方で、新規のポルノビデオや出演俳優、またそれらに関するスキャンダル等が新たに表出しなくなったことによって、SNSでの交流とビデオを基としたn次創作が主な実践として認識されるようになった。
前述したように、本項は正確な歴史の記述が目的ではなく、実際にインフォーマントらの間でも認識に相違点が見受けられることもあった。しかし、掲示板でのテキスト交流から動画投稿サイトでの創作に移行し、近年はSNSでの交流が主流であるという変遷に関しては多くのインフォーマントが共有している流れであり、オンライン空間それ自体の変遷と共に維持されてきた文化である事は読み取ることが出来る。
3-3 淫夢に関する先行研究
淫夢は上述のようにオフライン空間では言及されることの少なかった文化である一方、オンライン空間におけるその影響力から、オンライン空間をフィールドとした文献においてはその存在について半ば避けられぬ形で記述されることもあった。筆者の確認できる限り、直接的に淫夢について言及した文献は3件のみであるが、まずはこうした文献を先行研究として取り上げたい。
文化批評集『ビジュアル・コミュニケーション 動画時代の文化批評』より「野獣先輩は淫らな夢を見るか?〈真夏の夜の淫夢〉概説(以下、「概説」)」では、竹本によってオンライン空間における『動画文化』の一つとして淫夢が取り上げられている(竹本ほか2015: 331-355)。概説では、量的なデータを示すことで淫夢の抱える影響力や長い歴史について触れたうえで、実際に投稿されている動画のカテゴリや、文化としての特質について詳細に記述している。特筆すべきは、竹本が「淫夢のカルチャーとしての特質」として提示した「語録」「認定」「素材化」「汚物」という4つの要素だろう。アダルトビデオの台詞を模倣した「語録」、関係のないコンテンツを淫夢と見なす「認定」、そうして認定したコンテンツを創作の素材とする「素材化」、外部に向けて汚さを強調する「汚物」というこれらの特質は、後述するインフォーマントらの語りにも強く表出していた。一方で、竹本本人も述べていたように、概説におけるこうした分析はあくまでも自身が淫夢厨である事による認知と第三者目線からの情報収集を基盤とした「文化批評」であり、竹本は執筆に伴って淫夢厨らの話を参照したわけではない。そのため、文化の概説としては評価できるものの、その文化を実践・維持している筈の人々の存在については描写されていない。
平井は『「くだらない」文化を考える ネットカルチャーの社会学』において、第四章「インターネット上のアマチュア動画に見られる「カルト動画」」で淫夢について言及している。平井は、淫夢が権利や倫理において問題を抱えている事に触れながらも、ネットユーザーが積極的に関与してきた様態は議論しうるものだと述べ、考察の対象としている。平井は、これまで語られることのなかった文化を議論の対象とすることで、学術的な研究の拡張や、広義の文化研究、政治経済とユーザー生成コンテンツといった貢献が見込まれると述べた。一方で、現状の学術研究において淫夢を扱う課題として、「動画の分析不足」「関与する者たちの位置づけに関する考察の不十分さ」「倫理的な問題」を掲げた。上記の竹本同様に、平井は動画文化としての淫夢に着目しており、そのため当書の中ではやはり文化の当事者に関する記述は厚くない。詳細は4章で後述するが、多くの人々が積極的に自称していた『淫夢厨』という語彙を「当事者達から忌避される者」として記述するなど、筆者の調査対象らの語りとは異なる記述も見られることがあった。しかし一方で、平井が「カルト動画」として淫夢等の文化を扱う動機として述べた「なぜ、物議を醸し、言及がはばかられる出来事、騒動、作品、人物がコンテンツへと組み込まれ、一部のネットユーザーに愛好されるのかを理解しなければならない」という目的は、本研究とも強く共鳴する考え方であり、相互に補完すべきアプローチだろう。
淫夢の動画文化としての側面に着目した上記2つの文献とは異なり、語録という言語的な側面に着目したのが、三瀬と岡本による共著論文「「Vて、どうぞ」―SNSにおける陳述副詞「どうぞ」の拡張的用法―である。当論文では、淫夢語録である「○○して、どうぞ」とその派生スラングを対象に、言語学の視座から分析を行っている。一方で、当論文において該当のスラングは「「Vて、どうぞ」という表現は、主にTwitterを中心に近年使用されるようになった表現である」(出典)や「この表現が普及した背景には、映像作品『真夏の夜の淫夢』の影響があると言われており、登場人物が人を招き入れる際に発した「入って、どうぞ」というセリフが元となっている」(出典)という記述からも読み取れるように、淫夢そのものの詳細については非常に曖昧に触れている。「物理的な距離の存在しないSNSにおいて、どうぞという投擲的な表現を使うことで他者と常に繋がってる感覚を持つことが出来る」(出典)という考察は、後述する淫夢の実態と近しい要素でもあり、非常に興味深い一方で、淫夢語録の持つ背景をおよそ無視して研究を展開するのは危うい手法でも無いだろうか。当論文は、オンライン空間に広く普及した事で淫夢が様々な学術研究において言及の必要性に迫られているという現状をよく表しているとも捉えられる。
3-4 研究目的
以上の先行研究における議論をふまえたうえで、本研究の目的は、大きく二つに分けられる。
まず、「オンライン空間において、ゲイ男性向けのポルノビデオが創作やコミュニケーションのベースとなり、広く波及したのは何故か」という問いへの解答である。上述のように、先行研究では当事者に関する記述は充分になされてこなかった。そこで本研究では、実際に「淫夢」に関する創作やコミュニケーションを実践している人々の場に参与し、話を聞くことで実践そのものの記述と、その当事者の視点からの考察を試みる。
なお本章で述べてきたように、「淫夢」は無断転載されたアダルトビデオを無許可に基とする文化であり、淫夢に関連する実践にはそれらの著作権や肖像権を無視した実践が多々確認出来た。本研究にはこうした行為を肯定する意図はない。一方で、「淫夢」を無条件に否定する事を目的としている訳でもなく、あくまでも、誰によって何がどのように行われているのかを記述し、何故行われているのかを考察する事が目的である。そのため、前章で参照したニュースメディアの切り口である「同性愛者への侮蔑」や、オンライン空間における人やコンテンツの「権利や侵害」といった課題に対する問題解決的な議論もまた、本研究の対象とする範囲ではない。
並行して、筆者が強調したいのは「オンライン空間に対して、参与観察やインタビューといった人類学的アプローチはどう対応すべきか」という本研究の方法論的な側面である。オンライン空間の発展・普及に伴い、そうした場における交流や文化はその規模や影響力が増し、人類学の研究対象もオフライン空間だけで事例が完結している事はほとんど無くなった。しかし、2章でも述べたように、多くの先行研究がオフライン空間と同様の文脈・手法を自明のものとしてオンライン空間に適用してきた点を筆者は指摘する。オンライン空間で様々な実践が可能になり、オフライン空間に関与しない交流を実践する人々が存在し、多種多様なプラットフォームを複数同時に扱う事が日常となった現代において、既存の調査アプローチはその手法全てをそのまま適用する事が出来るのだろうか。こうした問題を背景としているため、本稿では調査アプローチについても一定の紙幅をもって記述することとした。
4 調査概要
4-1 調査者の背景
本研究で扱う資料は参与観察、もしくは聞き取り調査における事例であり、このようなデータの収集には、調査者である筆者の主観や認識が影響を及ぼしている。研究対象がティーンエイジャーという差異こそあるものの、オンライン空間での交流において、オフライン空間における地理的な近接性の他に、オンライン空間に参加した時期や、活動するオンライン空間における近接性が重要な因子である事は既にブルックら(Brooke et.al. 2009)によって主張されている。実際に、インタビュー調査において、会話の中で「オンライン空間で交流を始めた時期」や「過去に交流していたプラットフォーム」が共通である事が発覚したインフォーマントらとは、その後の語りにおいて、それ以前と比較すると詳細、流暢な語りを交わすことが出来たように感じた。また、インフォーマントがそれまでは説明をしながら用いていたスラングを、以降は補足することなく多用するようになるなど、「どこまで説明が必要か」というインフォーマント側の意識にもこうした近接性は作用していたと考えられる。
上記のように、タイムラインに表示される情報に対する解釈や、インタビューにおいてインフォーマントらの「何をどこまで語るのか」という意識には、オンライン空間における調査者の遍歴が影響を及ぼしていた。そのため、本研究のテーマである「淫夢」と、メインフィールドである「Twitter」「ニコニコ動画」に焦点をあて、オンライン空間における調査者の遍歴を簡潔に記述したい。
筆者がオンライン空間で他者との積極的な交流を始めたのは、具体的な時期こそ記録していないものの、2011年頃であったと記憶している。当時は「淫夢」に関して積極的な実践を行うことは無かったものの、「ニコニコ動画」は頻繁に訪問していたため、まだ未成年であったが、淫夢の語録や創作の概要についてはある程度認知していた。また、不定期ではあるが、オンライン空間への参入初期は匿名のテキスト掲示板で不特定多数との交流も行っていた。2013年には、当時プレイしていたゲームの情報を受信・発信するために「Twitter」に仮名で参入した。この際に登録したTwitterアカウント(以下 非調査用アカウント)は2022年現在でも使用しているが、10年ほど運用している事もあり、現在のタイムラインの情報はゲームや淫夢といった特定のコンテンツに依拠したものではなく、ある程度固定化された既知のアカウントらとの日常的なやりとりが主な目的となっている。そのため、非調査用アカウントでも淫夢に関する情報に触れる機会は幾度かあったものの、調査者は本研究に関して言及していない。同様に、調査用アカウントにおいても非調査用アカウントの詳細に関しては言及しておらず、非調査用アカウントで交流経験のあるアカウントに調査用アカウントがフォローされた際も、特別な対応は行わなかった。
筆者がもっとも淫夢に触れていたのは2015年頃である。「Twitter」等におけるコミュニケーションで語録を用いられた際は、語録を用いて返答をしていたが、明確に淫夢に関与するようになったきっかけは、ゲームに関する動画を視聴する中で、淫夢の動画創作物に辿り着いたことである。当時は「ニコニコ動画」を使用し、淫夢に関する動画創作物を積極的に閲覧していた。2017年頃には「淫夢」そのものに関する実践は行う機会が大幅に減少したものの、オンライン空間自体は利用していたため、前述したように完全に情報が断たれていたわけではない。むしろ、淫夢だということを強く意識することなく語録や創作物に触れていた事実は、淫夢がある程度日常化していたとも解釈できる。
こうした背景が示すように、調査前後含め、筆者自身を「淫夢」に関して無知、あるいは中立的な立場であると主張する事は出来ない。しかし、多くの文化実践がオンライン空間の特定領域のみで行われ、オフライン空間や他のオンライン空間からは文脈を理解することの難しいオンライン空間上の文化に対しては、調査者が研究開始以前から知識や理解を得ている事が、研究設問を立ち上げる上で必須だとも考えられる。例えばオートエスノグラフィのような、深重な自己省察の過程がオンライン空間での調査において重要である点は否めないが、本研究ではあくまでも後述する調査用アカウントによるフィールドワークとその成果という形式をとる事とする。
4-2 調査手法
筆者は2022年5月にTwitterアカウントを作成し、12月現在に至るまで約半年間のフィールドワークを行った。Twitterを調査の始点とした理由としては、先述したように筆者が調査以前から設定や操作などに馴染み深かった事と、オンライン空間への参与という観点から、名前やアイコンといった個人識別要素を獲得したかった事が挙げられる。また、先述したように、淫夢は多様なオンライン空間で実践されている文化ではあるが、一方でオンライン空間においては地理的な距離が存在しない故に、始点はどのプラットフォームであっても調査に支障は無いと考えられる。むしろ、多様なオンライン空間を横断的に調査しなくてはならない状況に直面した際、個人識別要素を調査の早期段階で確立しておく事は優位に働くと考えた。本稿の調査中においても、Twitterの機能では不可能な交流を他のオンライン空間を用いて行った事が何度かあり、その際はTwitterの登録名が筆者と調査者を相互に認識させるための記号として機能した。
Twitterアカウントの作成後は、事前に上述の非調査用アカウントで相互にフォローしていたアカウントから淫夢に関する言及の多かったアカウントに調査の概要を説明したうえで、どのようなアカウントをフォローすべきか意見を求めた。この際に例示してもらえたアカウントをまずフォローし、その後の1週間ほどはTwitterの「おすすめユーザー」機能にて提示されたアカウントから、プロフィールや日常的なツイート内容に淫夢が含まれていると筆者の判断したアカウントを選択し、1日10人ほどのペースでフォローアカウントを増やした。当初は発信するツイートの内容などを精査していなかったが、不定期に参考文献や発表資料などをツイート内で紹介することによって、自身の調査の知名度向上や、研究内容に興味のあるアカウントの収集を図った。2022/12/1現在、筆者のアカウントはフォローしているアカウントが181、フォローされているアカウントが142となっており、これらのアカウントの90%ほどは「淫夢」に何らかの形で関与しているアカウントである。「人類学」や「大学院生」といった「淫夢」以外の要素からフォローを交わしたアカウントも少数ながら存在しているが、本研究においてはフォローしたアカウントらによって構成されるタイムラインを一つのフィールドとして捉える意図があったため、そうしたアカウントに対してはリスト機能とミュート機能を使うことによって、淫夢とは異なるタイムラインとして別個に閲覧できるように設定した。
本研究は、参与観察とインタビュー調査をもとにしている。参与観察は、上述のTwitterアカウントから見られるタイムラインでの閲覧と交流、動画サイト「ニコニコ動画」における動画とそれに付与されたコメントの閲覧と投稿を主に実施した。一連の参与は明確に時間を規定して行ったわけではない。Twitter上での閲覧・交流に関しては、調査期間中、定期的にタイムラインのツイート数やその内容の量的な収集と整理を行い、多くのアカウントが情報の発信や他アカウントとの交流を実施していた17時から翌1時までの時間帯を主な調査実施時間とした。
インタビューは、Twitterで能動的に調査協力の旨を示して貰えた現在進行形で淫夢の実践に関わっているX名と、次段で詳細を述べるY名の計Z名を対象に実施した。前者のX名は全員が調査アカウントと相互フォローであるが、後者のY名はTwitterにおいてフォローをしてもされてもいないため、タイムラインで交流することは無かった。インタビューは全て日本語で行われ、A名はテキストチャット、B名は音声通話、C名は初めテキストチャットでやりとりを行ったが途中から音声通話に変更を行った。
上述のY名は現在進行形で淫夢に関与している淫夢厨ではなく、「かつては淫夢に関与していたが、現在は関与していない」インフォーマントである。インフォーマントらの語彙を借用し、本稿ではこうした状態を「脱淫」と表現する事とする。脱淫した人と調査用アカウントで接触するのは困難である事が予想されたため、このY名とは筆者のオフライン空間における知人を伝うことで調査の同意を得た。調査の手法自体はX名の淫夢厨と同様であるものの、調査用アカウントでの筆者の活動は目にしていない可能性が高い事を予め述べておきたい。
4-3 プライバシー、倫理的配慮
本研究の調査において行ったプライバシー、倫理的配慮について記述する。
本研究で用いたインタビュー調査では、テーマである「淫夢」の抱える性質故に、筆者から能動的に調査の協力を持ち掛けてはいない。本研究におけるインフォーマントは、脱淫済みのインフォーマントY名を除きTwitterのダイレクトメッセージ機能やリプライ機能などを用いて調査用アカウントに協力の旨を自発的に提示して頂いたアカウントである。また、聞き取りの形式に関わらず、インフォーマント全員に対して「質問に対する拒否権」「あらゆるタイミングで発言が撤回可能である事」「匿名化したうえでの論文への引用可能性」「論文以外で引用する際の報告と確認」を調査実施前に提示し、音声通話での調査協力者に対しては追加で「会話の録音許可」を確認し、Z名全員から了承を得た。
また、調査用アカウントに関しては報告や発表などの機会で毎回TwitterIDとプロフィールの映ったスクリーンショットを公開しており、教員や他の学生が任意で確認できるように常に共有した。上述の匿名化に関して、インフォーマントのプライバシー保護と調査用アカウント公開との両立には限界があったため、本稿には事例を提示する際に筆者が意図的に抽象化した記述が含まれている事を述べておく。
5 記述
本章では、前述のインタビュー調査によって収集した資料の提示と、参与観察によって把握できた淫夢という文化圏の実態を記述する。インタビュー調査は、主に「淫夢に関して何をしているのか」「淫夢を認知したきっかけ」「淫夢に感じる魅力」について尋ね、これらに対する回答によって続く内容を変更する非構造的な手法によって実施した。また、多くの先行研究で重視されてきたであろう実年齢や性別、地域等の、オフライン空間における個人情報は、オンライン空間というフィールドにおけるモラルを考慮し、調査者から能動的に尋ねる事は行っていない。そのため、オフライン空間における情報の範囲に関してはインフォーマントらの自発的な提供に依拠しており、また所謂“事実性”の確認も行っていない。
原則、記述においてインタビューの内容を参照する際は、テキストでのインタビューを実施したインフォーマントの場合は出来る限り原文のコピーペースト、音声通話を使用したインフォーマントの場合は筆者による文字起こしからの引用という形式をとり、どちらも『』で括ることで対応する。また、何らかの事情でインタビューの内容を筆者が要約して参照する際は「」を用いることで対応し、主語や目的語などの補足が必要である、もしくは誤字であると筆者が判断した場合は、()によってそれらを補足する。この都合上、インフォーマントがテキストチャットにおいて使用した()は全て()に置換した。
5-1 インフォーマント
本章では、インフォーマントらのデータを記述する。尚、インフォーマントの仮名として用いるアルファベットの組み合わせは、調査者が無作為に割り振ったものであり、省略や法則性によるものではない。例外として、脱淫したY名のインフォーマントは、文中で判別がしやすいようにD+数字を筆者が恣意的に割り振った。
インフォーマントの記述は、主にインタビューを行った「手法」、淫夢を認知した「経緯」、淫夢における「関与と自認」、淫夢に対して「魅力と倫理」からどう考えているか、といった要素である程度区分を行った。これら以外の事項については「その他」としてまとめて記述した。
【事例1】CL氏
①手法
CL氏とは計2回のインタビュー調査を実施した。1回目の実施時は筆者の調査計画がまだまとまっていなかった時期という事もあり、TwitterのDMにおけるリアルタイムでのテキストインタビューのみを手法として提示し、それを実施した。対して、2回目の調査依頼時は、調査計画の方針変更を説明したうえで音声通話とテキストの両方を改めて提示したところ、『(テキストでは)ある程度考えて取り繕ってから回答してしまう、もとい直感的な回答にならない可能性がある』と述べたため、音声通話での調査を試行する事とした。
②経緯
CL氏は、約10年前の中学時代に友人から『面白い動画があるよ』と言われ、そこで見せられた動画をきっかけに『ハマっているのに巻き込まれた』という。淫夢を認知してから3年間ほどは積極的に動画を視聴していたが、以降は好きなコンテンツに関する淫夢動画を視聴する程度に落ち着いた。その後、好きなゲームの動画を見ている最中にふと淫夢を思い出し、再び調べて視聴する中でまた惹かれ直したという。CL氏は当時の心境を『そういえばこういうのあるよねっつって、しばらく見てないBB劇場とか見て、あぁやっぱおもろいよねって感じ』と説明した。そうした経緯を経て、ここ2年では視聴意欲がまた盛り返してきたという。また、かつて自身が好んでいた非淫夢の動画コンテンツが淫夢の関連コンテンツに『侵略』された経験を語り、『ものすごい居た堪れなくなった』『フラットな気持ちではちょっといられない』などと述べていた。
③実践・自認
淫夢に関する実践としてCL氏は、『淫夢に関する動画の視聴と、匿名掲示板での書き込み(そこでの他者との交流?)、そして所謂淫夢動画の製作、投稿』を提示した。CL氏は淫夢厨らの間では“投稿者”と呼ばれていたコンテンツの生産者側でもあるインフォーマントであり、自身で淫夢動画を制作し、ニコニコ動画に投稿している。初めは自身がプレイしていたゲームの動画を『ある程度作りやすい』フォーマットに沿って編集して投稿していたが、動画編集に慣れてからは様々なジャンルの淫夢動画を制作・投稿している。自身の認識については『あんまり、なんかピタッとくるのは無いなってのが正直なところなんですけど、まああえて言う、なんか必要に迫られたときは淫夢厨って言ってるかなって感じ』と述べており、日常的に強く依拠する語彙はないものの、主張しなくてはならない時は淫夢厨と名乗る事を説明した。尚、こうした性質は淫夢に限らず、他のコンテンツにおいても同様の傾向にあることを述べた。また、“自身を淫夢厨として強く意識する経験はあったか?”という筆者の問いに対し、『(調査者の送信した調査の概要DMに対して)いらんこと(語録で反応すること)考えてしまったり、(オフライン空間において)そういう時じゃないのに日常で(語録が使える状況に面すると)余計な事考えてしまったり』と述べたように、語録に関してはTPOを強く意識しているようだった。
④魅力・倫理
淫夢に惹かれた理由として、CL氏は『面白い』という感情を強調しており、具体的な面白さの事由として『正直今も同じような感覚がありますが、比較的シリアスなトーンで話すと絵面との差で笑えてくる部分』と説明した。動画の制作側としては『題材選びがほぼ自由(ストーリーのある動画であれゲーム実況という形であれ)かつ金銭的なしがらみが少ないのが魅力的』だと語った。また、淫夢が法律に反しているという話題の中で『そこ(社会倫理としてよくない)を否定する気はないかなってのが一番ある』ことを述べた上で、しかし『正直法律違反かどうかって話に関しては多少議論の余地があるかなって思ってる』とも述べていた。関連して、淫夢がゲイ男性向けのアダルトビデオを基盤としている事に関して『いつか(性差別の文脈で)EUに名指しでぶん殴られるんじゃないか』『社会で働いていると気を使わなきゃいけない状況があるのにこういうこと(淫夢に関する実践)をしているのが欺瞞なんじゃないかと思うことがある』なども述べており、CL氏の語りには淫夢に対する好感と社会規範上での葛藤が顕著に表れていたと考える。
⑤その他
『(淫夢の非倫理的な側面について)時期的に、その何時、から、何時どういう事をしてたのかってのはだいぶグラデーションとしてある』『最初と今じゃだいぶ(淫夢全体の)性質が変わったなってとこはあって』といった語りから、CL氏は淫夢の非倫理・規範的な側面についてはその『時期』を重視していると解釈できる。
【事例2】YH氏
① 手法
YH氏とは計3回のインタビュー調査を実施した。インタビューは3回とも、TwitterのDM機能を用いたリアルタイムでのテキストのやりとりによって実施された。事例1のCL氏と同様に、初回の調査時にはテキストのみを手法として提示していたため、2回目の調査開始前に再度音声とテキストの選択肢を示した。『テキストのほうが話しやすい』との事だったため、再度TwitterDMでインタビューを実施した。2回目のインタビュー中、予定していた時間を大幅に超過してしまったため、数日後に3回目の調査として続きを実施した。そのため、質問事項について2回調査を実施した他インフォ―マントと大きな差異はない。
② 経緯
YH氏は淫夢に関して、ある程度有名なネタに関しては『ネットやってる以上目にするネタ』だと認識しており、淫夢を自発的に調べる前は『「はぇ〜」が淫夢語録だと知らず「なんでみんな同じ感動詞でしゃべってるんだろ」と不思議に思ってました』といった経験を語った。実際に、『他のアカウントでフォローしていたゲイのアカウントのツイートがほぼ淫夢語録でツイートされ(て)おり、また他のゲイの方と淫夢語録で会話してて「ゲイの淫夢厨っているんだ?!」と知り、とても驚きました。そして「淫夢語録ってよく言われてるけど、知らないな。ゲイの淫夢厨もいるんだからそんなヤバいものではないだろう」と思ってなんとなく淫夢語録について調べ始めたのがきっかけ』との説明が示すように、YH氏はオンライン空間を利用する過程で既に淫夢に関してはある程度認知していたようだ。上述の経緯より、YH氏は『淫夢厨になってまだ2年くらい』と述べたものの、認知自体はもう少し昔だと分かる。
③ 実践・自認
淫夢に関する日常的な実践として、YH氏は動画の視聴とTwitter上での情報発信、他の淫夢アカウントの閲覧、二時創作イラストの創作を挙げた。また、動画投稿はしていない事も併せて述べた。YH氏は自身の事を『淫夢厨』もしくは『淫夢腐女子』と認識しており、語録の使用時や動画の視聴時にそれらの自認を意識すると語った。Twitter上では“YH氏”名義の他にもアカウントを所有している/していたが、『このアカウントやってる時が淫夢の意識が強い時』だと述べ、頭に浮かぶことこそ多々あるものの、オフライン空間や他アカウントでのコミュニケーションでは語録を使用する事はないと述べた。
④ 魅力・倫理
YH氏は自身も現在うつ病で通院している事を述べながら、『淫夢厨にうつ病患者が多い』と語った。「語録を使うことでコミュニケーションが容易となる事や、創作動画が豊富に存在してい(る)事、珍しい体験談に触れられる事、単純に笑える事」等を魅力として挙げ、これらに惹かれる理由としてさらに『現代社会で疲れてる』『自分だけだと言葉に出来なかったモヤモヤした気持ちを淫夢語録に当てはめることによって気持ちが整理される』といった要素を語った。オンライン空間において淫夢が『見る抗うつ剤』と呼称されるもある事に触れながら、『うつ病と時に唯一笑えたのは野獣先輩(淫夢の出演俳優に付けられた渾名)だというブログ』や『淫夢語録を知って生きやすくなったと言う人』を例示した。YH氏自身もうつ病の淫夢厨を頻繁に目にするようで、YH氏にとって淫夢は心理的に不調な際の支えとしての印象が強いように見受けられた。また、他のインフォーマントと比較すると、YH氏には淫夢のネガティブな要素を自虐するような語りが見られなかった。
一方で、調査者側から能動的に淫夢の『悪いところ』を尋ねたところ、他インフォーマントと同様の「そもそも無断転載、18禁作品のゾーニング破り、無許可加工、ゲイというセンシティブな部分、マナーが悪い』といった要素を挙げていた。また、調査者からの『淫夢に関わるうえで、反社会的(道徳的?)な自覚は持っていますか?』という問いに対して『ありますねえ!本当はこんかこと(こんなこと)やってたらダメだというのは思います』と答えるなど、決してそれらの側面を無視している訳でもなかった。こうした点について、YH氏自身は『私は淫夢厨になる前から腐女子なので、ゲイではないのに男性同士の恋愛や性行為を見ているという点においては、あまり変わらない』と分析していた。
⑤ その他
YH氏から提供して頂いた『あるアカウントが、「◯◯ is 神」って書いた直後に淫夢について否定的な意見をRTしてるの見たことあるんですね。おそらく淫夢語録だと気付いてないんだと思います。あと、淫夢は嫌いって言ってる人が淫夢語録だと気付かず書いてるのはたまに見るので、(略)』というエピソードは、淫夢語録の浸透度合いを示す良い事例だろう。
【事例3】EO氏
① 手法
EO氏とは計1回、Discordを用いた音声通話でのインタビュー調査を実施した。当初はテキストでのインタビューを予定していたが、開始直後にEO氏が『一つ一つの回答が長くなりそうなんで通話に切り替えてもらってもよろしいでしょうか?』と述べたため、形式を変更した。尚、インタビューの際に調査者が“自認”に関する質問をし忘れてしまっていたため、これに関しては後日TwitterのDMで簡単なやりとりを行った。
② 経緯
EO氏が後述する現在の形で淫夢に関与し始めたのは2016年頃だが、概念としては学生であった2010年頃には既に認知していたという。EO氏は『明確な淫夢に入ったきっかけ』として2つの事例を提示した。一つ目のきっかけは『やる夫スレ』と呼ばれる、主に2ちゃんねるのニュー速VIP板にて実践されている『AA 使って漫画みたいなことやる界隈』だという。EO氏がこの『界隈』にいたのは『末期』の頃であり、自身で創作をしていたわけではなかったものの、積極的に創作中である特定の淫夢ネタを使う人がおり、その影響を強く受けたと述べた。二つ目はEO氏が『普通の淫夢動画』と説明した創作カテゴリである。EO氏自身、こうしたカテゴリでの創作を行っていたことがあったものの、「アニメとかのどこかノンケがかった 淫夢動画」に『淫夢にこういうの流行らしたいみたいな、ちょっとやましい流れ』を感じ、対抗して過激な創作を意図するようになったと述べた。
③ 実践・自認
EO氏は淫夢における実践について、『政治的な事をやっている』と述べた。初めは上述の『普通の淫夢動画』を投稿していたものの、『何年かやってるうちにコツが分かってきて、(動画の再生回数が)5桁とか1万くらいはある程度出せるようになって』『動画とか作って人とか集められるけどその力で何か出来ないかって思ったんですね』とEO氏が述べたように、徐々に多くの人々が関与する淫夢の影響力の利用に関心が移ったようだ。『淫夢の人たちを動員して、現実世界の方で何か出来ないかと思ったんですね』と述べたように、EO氏は自身の抱える政治的な問題意識について淫夢動画を通して多くの人々に訴え、政治運動を引き起こすことが目的だと主張した。また、自身に対する呼称については『淫夢厨あるいは「ホモ」と認識しています』と述べ、『淫夢民やインマーといった呼称には抵抗があります』と続けた。また、ここで例示された『淫夢民』については『”淫夢民”という呼称に抵抗を感じるのは、それにカタギのサブカル”コンテンツ”や”〇〇民”と同列でありたい、という卑しげな願望を感じるからです。淫夢がその前衛性や反社会性からして普通の”コンテンツ”ではない以上、”〇〇民”と(上下はともかくとして)対等ではないし、対等であってはいけないだろう』と述べ、『インマー』については『単にヒカマー(特定個人のYouTuberを基盤として淫夢と同様の創作や交流を行っている人々の呼称)ふぜいに変な呼び名を付けられるのがムカつくからです(怒)』と主張した。
④ 魅力・倫理
EO氏は淫夢厨について、『サブカルがなんか嫌なんだけど、サブカル以外に行く場所が無いから仕方なくサブカルに来た』傾向があると考えており、EO氏自身も『そういう感覚から淫夢に来たんだと思います』と認識していた。EO氏は「オタクやサブカルは社会に居場所が無いが、淫夢はそのオタクやサブカルにも居場所が無く、しかし淫夢自体はオタクやサブカルに含まれている」といった旨の考えを語り、上述した自身の“淫夢の政治化“欲求について『そういう中で政治的な事をやることでサブカルを脱そうとしてるって訳なんですね』と説明した。また、淫夢の”良いところ“を尋ねたところ、『良いところなんかあるのかなぁと思いますけど』と前置きしたうえで、『世の中のしょーもないネトウヨとかポリコレとかそういう方向に行かないだろうなと、そういうのに対してなんか懐疑感がある』『自分と同じタイプの人間がいるだろうという、そういう確信というか』と述べた。また、並列して「ダサいものを逆に追及してるようなセンスの良さ」も挙げており、『社会の感覚というか、時代精神みたいなものを表してるんじゃないかって思うんですよね』と説明した。
【事例4】KW氏
① 手法
KW氏とは計2回のインタビュー調査を実施した。インタビューは、初回がSkype、2回目はDiscordを用いた音声通話によって実施された。KW氏が使用端末の容量の都合で、Skypeをインストール出来なかったため、プラットフォームを変更してインタビューを実施した。
② 経緯
自身を『古参のオタク』と表現したように、KW氏はオンライン空間を古くから利用しており、『ファンアート載せて交流するためのサイトだとかニコ動とかも、出来た当初から見てた人間』だと語った。そのため、KW氏の語る淫夢への関与の経緯は長期的かつ段階的なものであった。KW氏が初めに淫夢を認知したのは2005年頃で、『“TDN(発端となった元プロ野球選手に付けられたあだ名)のガイドライン(2ちゃんねるのスレッド名)“ってのがその時すごい流行ってたので、それをたまたま読んだ』ことで淫夢を知ったという。『創作をする、そのイラスト描いたりするためのジャンルとして淫夢っていうものを見たことが、あの、ハマった時はそういう目で見なかったんですよ。単にその、まあ、言い方悪いですけど、その当時で言われてるホモの人をネタにしたスキャンダルと、そのまぁ、なんだろ弄り方みたいなのが単に笑えるから見てたって感じなんですよね』と述べたように、認知した当初、KW氏はゲイ男性をネタにする『ネットミームの一つ』として淫夢を捉えていた。
その後、2010年頃にニコニコ動画で淫夢の音MAD動画 を視聴する機会があり、それを面白いと感じたことで『そこから先ちょっとニコ動見る時は絶対淫夢を見る』ようになったと語った。また、5年ほど前にプライベートでのトラブルで精神的に落ち込んでいたKW氏は『(淫夢とは全く関係ないアカウントで)Twitterやってて、何かで、そのフォロワーさんがRTしたツイートから、あ、そういえば淫夢笑えたなぁあれ見てみよっかなってなって見てみたら結構元気をもらえた』ことをきっかけに再び淫夢動画を視聴するようになったという。その際、淫夢動画に『出てくるその出演者に、何人かすごくあの、好みの人がいた』ことで、動画の視聴だけでなく、「出演者のブログや日記を閲覧」したり、「”腐向け淫夢“という名前のタグをPixivで認知し、それを閲覧」したりするなどして『ときめきを得ていた』と語った。
③ 実践・自認
淫夢に関する日常的な実践として、KW氏はイラストと小説での二次創作を挙げた。特に、KW氏は特定の出演男優に『ガチ恋』をしていると語り、二次創作は主にその男優を対象としていた。尚、KW氏自身が提示する事は無かったものの、前項で述べたように掲示板の閲覧や動画の視聴は他インフォーマント同様にKW氏も行っていると考えて良いだろう。また、語録でのコミュニケーションについても、インタビュー内で調査者が“語録はやはり話しやすいのか?”と尋ねたところ、『使いやすい』と返している他、日常的なタイムラインでも語録を使用しており、言及こそしていないものの実践はしていると捉えられる。
④ 魅力・倫理
KW氏は淫夢について『単なる出演者がキャラ付けされてく経緯が面白い』『実在の人物をネタにして“ここはこうだったんじゃないか”みたいなのを考察する』と語っており、二次創作における出演俳優の性格や描写の解釈に『面白さ』を見出していたといえる。一方で、インタビュー当時にKW氏が主に関与していた“腐向け淫夢”に関与する人々のTwitterでは『CP(カップリング)とか地雷(自身の解釈とは異なる設定やCP等)とか』を発端としたフォロワー同士のトラブルが多く、アカウントの削除や作り直しが頻繁に見られる事を語った。また、上記の『面白さ』に関しては淫夢の抱えるネガティブな要素と『表裏一体』だと述べ、『当たり障りないファンアート描いてる時はあんま考えて無いんですけど、腐向け描いてる時は罪悪感がある』ことを述べた。KW氏はこの罪悪感から、自身は『人権侵害でありながら当たり障りが無いように活動』することを心掛けているとも語った。KW氏は、近年の淫夢それ自体に女性向けや学術など、『笑うモノではない見方』が生まれつつあるように感じているという。
⑤ その他
“淫夢の何に惹かれたのか”という問いに関して『全員夢厨共通の疑問』と表現しており、KW氏自身はグローバルな流行にも触れたうえで『定型が気持ちいい』『間違いなく笑えるものっていう認識』『アジア人である事の親しみやすさ』などを挙げていた。また、事例2の④でも先述した『見る抗うつ剤』という表現について、脳科学の研究を引用して淫夢と筋トレや格闘技との近似点を語った。
【事例5】PS氏
① 手法
PS氏とは計2回のインタビュー調査を実施した。初回はDiscordを用いた音声通話で聞き取りを行い、その内容についてTwitterのDM上で確認・修正する形で2回目の調査を実施した。また、PS氏の意向により、初回のインタビュー調査における定型的な質問事項は事前にTwitterのDM上で共有し、調査を実施した。
② 経緯
PS氏は、2017年頃に自身が好んでいたゲームのコンテンツから、所謂『侵略』や『風評被害(淫夢に関する何らかのコンテンツとの類似性を主張されることによって本来は淫夢と関係のないコンテンツが“淫夢”として普及する現象を指す)』によって淫夢と見なされたコンテンツを経由することで淫夢の存在に辿りついたと語った。当時は動画視聴サイトとしてはYouTubeが拡大期で視聴者数が多く、ブームになっていたことを前置いたうえで、『浮世離れやコメントが動画に流れるニコニコ動画の独自性や雰囲気』からニコニコ動画を主な視聴サイトとしており、結果として淫夢に触れる機会が多かったという。
③ 実践・自認
“淫夢に関して普段何をしていますか?”という調査者の問いに対し、PS氏は『どちらかと言うと視聴者側である』と述べた。また、『本スレ(2ちゃんねるにおける淫夢のメインスレッド)とかは見てない』ことを理由に、自身を『ライトな方』と表現した。自身の立場を『クズ』という表現から否定的に見ており、『淫夢厨としてそのような自覚を持つべきであると考えている』と語っていたように、 PS氏は“淫夢厨である事“に対してネガティブなイメージを強く抱いていたように捉えられる。この発言からは、PS氏が自らも含め淫夢に関与する人々を「淫夢厨」として認識していることも分かる。ネガティブな発言の一方で、日常的なツイートは語録で発信していたり、大学生としての最後の日に淫夢のロケ地に訪れた経験を語ったりするなど、PS氏は淫夢に対して自嘲的ではあるものの、完全に嫌悪している訳では無いようであった。
④ 魅力・倫理
PS氏は淫夢について『同性愛者に対する未知を理由とした新しい刺激や物珍しさ、非日常』を魅力として掲げた。また、そうした要素と日常的に触れることで『多様性への壁がなくなる』とも述べた。一方で、『ネットがどういうとこか知る時に「こういう連中しかいねぇんだ」ってことを知れる』とも述べており、関連して『一般的な社会理性が無くなる』と語った。
⑤ その他
PS氏はオフライン空間において教育関係に奉職したことや、社会科教員免許を有していることを述べた上で、日常的な教科指導の中で『職業上の理由から歴史としての継承性をもって後世につなげるべき』だと考えるようになったことを語った。その際には『淫夢は根底』であり、『ニコニコ動画を授業で扱うのであれば教科書に記載される』と指摘していた。また、オンライン空間の文化が以前より多くの人々に扱われ始めた事については「誹謗中傷権利侵害コンテンツでいつ消えてもおかしくないという特性から、表の方は来ないで欲しい」とも語っていた。
【事例6】LB氏
① 手法
LB氏とは計2回、Discordを用いた音声通話でインタビュー調査を実施した。LB氏との日程調整の前に、調査者が調査用アカウントで人類学の先行研究における聞き取り調査の多くは音声データを収集していたことに言及していたため、『人類学のあれこれは詳しくないのですが、通話(discordにて)の方が都合が良いとのことでそのつもりでいます』と申告して頂いた。そのため、LB氏との調査形態に関しては、必ずしも本人の希望という訳ではない。
② 経緯
LB氏が淫夢に触れ始めたのは2014年頃で、匿名テキスト掲示板“2ちゃんねる”を閲覧しているうちに、スレッド内で頻繁に見かける『フォーマット』に気が付き、自分で調べていく中で淫夢を知ったという。淫夢を『初めは気持ち悪い』と感じたものの、触れているうちに惹かれていったと語った。2016年頃からは『Twitterの界隈で知り合ったりとか、あるいはそこからDiscordに行ったりだとかあとは実際にリアルでオフ会(オンライン空間での知り合いがオフライン空間で集うこと)をした方々も結構いますし、あとはそうですね、これは自分の時代に特有の事だったと思うんですけど、(中略)インターネットで知り合った人たちがLINEのグループ機能を使ってコミュニティを作っていた時期がありまして』というように、様々なオンライン空間で淫夢を発端とした人間関係を築いたという。オフ会に関しては、知り合った人と無差別に会ったというわけではなく、『年齢、立場が近い人とは会いました』と述べたように、オンライン空間でのやりとりを経てオフライン空間でのステータスが近しいと分かった人に対して行っていたと説明した。オフライン空間で語録を使う訳ではなく、淫夢抜きでもオフ会の人々とは仲が良いと語り、淫夢については『補助輪』という認識だと述べていた。
③ 実践・自認
調査者の“普段淫夢に関して何をしているのか?”という問いに対し、LB氏は『所謂動画を作ってニコニコとかに挙げたり、何かコラ画像を作る生産活動っていうのは一切やってなくて、アップロードされた動画だとかコンテンツをひたすら消費する』と述べた。自身の認識については、『少なくとも厨ではないなって思ってるんですよね』と語り、その理由について『厨っていうのは結構インターネットでマナーの悪い人々を指す言葉として機能してるなってのがあると思いまして』と説明した。LB氏のこの認識は、かつてLINEグループで見かけた『淫夢の名を借りた荒らし』に由来するという。LB氏は自身を『厨ではなくて民とか、最近生まれた新しい呼称で言えばインマーとか』と説明した。
④ 魅力・倫理
LB氏は淫夢に惹かれた理由について、『内輪の形成』という表現を用いて語った。『色んな界隈の人が知ってる、どこにでも分布してる』故に、LB氏は淫夢を『繋がりを確かにするためのコンテンツ』だと捉えており、そうしてつながりを作る意図については『内輪の形成に快感、誇らしさがあったんじゃないか』『共通の知識、言葉で「俺達は仲間だ」って意識』と分析していた。また、表には出せないコンテンツであるがゆえに、『(淫夢を)知ることで互いに親しみを強く持ちやすい』と語り、また『ポピュラーコンテンツ(LB氏は例として野球とサッカーを挙げた)に比べて、一人一人との繋がりを大切にしようとする気がする』とも語った。また、③で記述したように、LB氏は自身を『マナーの悪い人々』とは差別化して認識している一方で、『淫夢が人権侵害コンテンツだってことは自覚してるんですが』と述べ、しかし『少なくともそれを盾にして誰かを叩いたりとかはしていない』とも続けた。
⑤ その他
調査者が、淫夢を離れることを意味する“脱淫”について経験はあるかLB氏に尋ねたところ、『おこがましい』表現であり、それは『作り手の言い方』だと表現した。コンテンツの消費側である自身を『無産の民』であると表現するなど、LB氏の語りからは創作者に対する敬いを感じることが多かった。自身が創作側に回るつもりはないのか?という調査者の問いに対し、LB氏は『機材があるならやってみたいという気持ちはある』『(創作に使いたい)アイディアはある』と語った。
また、インタビューの最中、LB氏は『界隈』という語彙を頻繁に用いていた。調査者もニュアンスは理解しているものの明確な説明が出来ない事を話したところ、LB氏も『(ニュアンスは理解しているが、説明となると)ちょっとよくわからない』と語った。『界隈』はオンライン空間において所謂“コミュニティ”に近い意味合いで用いられていたが、明確な定義があるわけではなかった。
【事例7】QD氏
①手法
QD氏とは計1回、Discordを用いた音声通話でインタビュー調査を実施した。また、インタビュー時の録音において調査者に不備があり、開始数分の再生が出来なかった事により、後日“自認”と“淫夢を認知した切っ掛け”に関連する質問をTwitterのDMにおけるテキストチャットで尋ね直した。そのため、本稿においてはそれらに関する語りのみ、テキストでのやり取りを参照している。
②経緯
QD氏が初めて淫夢を認知したのは2020年頃で、『当時長年付き合った彼女にフラれたショックで投げやりになっていたことである種の社会不適合者の掃き溜めと聞き及んでいたネットでも趣味にしようかと思った』事が切っ掛けだと語った。『ウェブサイト上で淫夢民の書き込み群を見たとき』に初めて淫夢に触れたQD氏は当時の自身の心境について『書き込みを見た当初は淫夢にも淫夢民にも嫌悪や侮蔑の念を抱いていました』と述べ、しかし『ニコニコ動画で実際に淫夢動画をしばらく見ていると淫夢は大変くだらないし下ネタまみれだがそこが面白いことに気づきハマりました』と語った。
③実践・自認
QD氏は自身について『投稿者ではない、視聴者』だという事をまず述べ、コンテンツの視聴と語録でのコミュニケーションを挙げた。語録に関しては、『対面では語録は使わないけれど、知ってる同年代には使う』と述べた。また、調査者が“淫夢のインタビュー故に語録で話すべきなのか悩んでいる”という旨の話をしたところ、『ちゃんとした調査だから無いとは思うけど、語録で話されたらそれで返す』と語っていた。QD氏は自身に対する認識について『淫夢のみが趣味というわけでも投稿者でも出演者でもなく、淫夢の影響力が及ぶ範囲内で淫夢動画や語録を楽しむ淫夢に関与する人の中では外縁部に位置する淫夢民だと自分では思っています』と述べており、調査者が質問の際に“呼称の例”として示したものが‘淫夢厨“と“淫夢民“であったことを踏まえると、淫夢厨という概念に対しては”内縁“的な認識をしていると考えられる。
④魅力・倫理
②で述べた背景を踏まえ、QD氏は淫夢に惹かれた当時の自身について『淫夢のバカみたいなくだらなさ面白さにハマったのも今考えるとその当時からの『もはや人生なんかどうでも良いし人間の良心なんてクソ喰らえ』という、やけっぱちの厭世観と積極的な破滅願望とでも言うべき心理状態が強く影響していたのかな』と分析していた。また、QD氏は淫夢には『秩序を投げ捨てられる空気がある』と述べ、『現実にはもう消えつつある』『混沌とした、地元の祭りっぽい』雰囲気が魅力ではないかとの考えを語った。ただし、『社会秩序に、まあ、真っ向からでは無いけども、沿う形のコンテンツではない』事は魅力と『裏返し』の欠点でもあると指摘し、『人なり物なりを弄繰り回すってのはアレですから』と語った。
⑤その他
語録に関してQD氏は『淫夢ってのはある種、標準語と方言みたいな、もう一つの第二言語みたいなもんじゃないですか』と述べており、また、人々が『地域性ではなく言語にアイデンティティを感じる、帰属していると感じる』という言語学の研究成果を引用し、淫夢において語録が占める重要性にも触れていた。また、QD氏は東北地方出身で在り、調査者が東京出身である事を話すと、『東京の若い淫夢の人たちは語録をリアルに発声してたりするんですかね』と尋ねてきた。調査者が自身の経験から“方言ほど日常的なものではないが、親しい間柄であればそれなりの頻度で登場する”と答えたところ、QD氏は『(東北の方言とは違い)東京には標準語しかない、自分たちの言葉が無いから、東京の人は何処に帰属意識を求めているのか気になっていた』『今の人はその、淫夢に自分を帰属させてるってのがあるんだなって』と述べていた。
【事例8】FG氏
① 手法
FG氏とは計1回、TwitterのDMを用いたテキストチャットでインタビュー調査を実施した。インタビュー終了後、FG氏はこの方式での調査実施について『テキストの方が文字を打ちながら考えを整理できるので、こっちの方が良かったなと思います。多分通話だと発散してたと思いますね』と述べた。
② 経緯
FG氏が淫夢に触れたきっかけは、なんJまとめサイト(なんでも実況ジュピターという2ちゃんねる内のカテゴリと、そのスレッドを引用・要約したサイト)で淫夢語録が使われているのを目にし、調べたことだと語った。尚、FG氏自身はまとめサイトでの閲覧が主であり、『なんJ民と言えるかどうかは怪しいところです』と述べた。
③ 実践・自認
FG氏は淫夢に関する実践について『淫夢動画の視聴です。ニコ動で淫夢MAD動画やBB劇場のようなものを視聴します。あとは、Twitterでの淫夢考察ツイートぐらいですね』と述べた。また、『私のリアルの友人が、私に合いそうとのことで友人の友人を紹介してくれました。(中略)紹介されるときから「彼も淫夢好きだから」と言われました』と述べたように、友人に『淫夢好き』を紹介してもらった経験があり、以来3人で飲みに行くことがあると語った。自身を表現する語彙として、FG氏は『「淫夢好き」ではないかなと思います。民と言えるほど「定住」はしなくなりましたから』と説明した。『しなくなりました』という過去形の表現が示すように、淫夢を知った直後は、『毎日のように淫夢検索してましたね。ちょうど淫夢全盛の10年代中頃でしたから洪水のように、毎日情報が更新されて、定着せずにはいられなかったです』という。
④ 魅力・倫理
自身が淫夢に惹かれた理由として、FG氏は『汎用性の高さ』と「ツッコミどころと、謎の多さ」を挙げた。前者は語録に対する評価で、『元はホモビ の一セリフでしかなかったものが、どんな状況でも同じ言葉を用いて表現できる』点を興味深いと評していた。後者は主に③で記述した動画の視聴と考察ツイートに関する評価である。『「このシーンは何の意味があるのか」「なぜ撮りなおさないのか」という疑問がわいてきますし、それに対して考察や大喜利?のような回答が面白いですね』と述べたように、映像としてのアダルトビデオのクオリティや、それに対して様々な引用や『こじつけ』を駆使することで理由を創作する形態にFG氏は魅力を感じたと捉えられる。
また、淫夢の“良いところ”を尋ねたところ、FG氏は『視聴者に笑い・感動をもたらしている。「見る精神安定剤」。淫夢関連から別の知識、コンテンツを知る機会になること。淫夢民同士のオフ/オンラインでの交流』と述べた。対して、“悪いところ”は『人権侵害。「淫夢」を錦の御旗にしたイジメや嫌がらせ。若年層のモラル崩壊』を挙げた。FG氏の述べた『若年層のモラル崩壊』とは、『淫夢動画で男優たちの映像が切り取られ、使用される機会が増えるにつけ、人を「晒す」こと、晒した人を執拗に弄ることに抵抗がなくなってきてるように思います。私の感覚ですが、00年代などはネットに人を晒すことは「犯罪級のとんでもないこと」でしたが、今では晒すことに軽薄になってきてると感じます』『淫夢の範疇ならまだ許されたとして、男優の切り抜きと同じ感覚で一般人が切り取られ晒されるのは、感覚が麻痺してるように思います』という事であり、オンライン空間における『晒し』に対する感覚の変化を示していた。
後者からは淫夢の非倫理性への無自覚さが読み取れるように思える一方で、淫夢を学術的に扱う調査者の研究について『(淫夢から)教訓でも得ないと救いようのないものになります』と述べていたなど、“根本的な非倫理性には自覚的であるものの、普及してしまった現状についてはどうにもならない”諦観のようなものが垣間見えた。FG氏の『制御不能なコンテンツとして恐怖さえ感じます』という表現は顕著な例といえるだろう。
【事例9】VA氏
① 手法
VA氏とは計1回、TwitterのDMを用いた随時返信形式でのテキストチャットインタビュー調査を実施した。VA氏は調査者がDMで送信した調査概要に対して『(前略)ですわゾ、よろしくオナシャス!』と語録で返事を送信してきた。そのため、例えば“それじゃあ始めていくゾ~あっそうだ(唐突)随時形式だとむしろ僕の方が返信遅れてしまうかもしれません…申し訳ナス“といったように、調査者も語録を交えながらインタビューを進行した。
② 経緯
VA氏は淫夢に触れたきっかけとして、詳細は覚えていないものの『友人やネット民が語録を使ってたのがきっかけですねぇ!』と述べた。『最初はホモフォビックなミームだと思って良く思ってなかったけど語録等ミームに触れてるうちに実際の淫夢厨の中ではそれほどホモフォビックな要素は淫夢の根幹を成していないんだなということに気付いていったというか…』と語ったように、VA氏は淫夢に対して嫌悪感を持っていたものの、調べていく中で『根幹を成していない』と感じ、自身も実践に関与するようになったという。
③ 実践・自認
VA氏は自身の行っている実践として、語録の使用、Twitter上での創作イラストの閲覧、稀に動画の視聴を創作イラストの制作を挙げた。語録の使用に関しては、『(Twitter以外では)ソシャゲの淫夢ギルド(!?)とかでは使うけどそれ以外の所はTPO的に…ね? (確信)とか下品すぎない語録はツイッター以外でも自己判断で使いますよ〜』と述べるように、基本的に淫夢を認知している事が前提のオンライン空間で使用していた。VA氏は、ゲーム内で所属する集団を『迫真とか淫夢とかのワード』で検索を掛けることで『淫夢ギルド』を探しているという。また、VA氏は自身について『淫夢厨とかホモガキとかは迷惑キッズの呼称ということになってるけど淫夢の一太刀である時点で全うとは言えないので自虐も込めて自分の事をホモガキとか淫夢厨とか言うゾ』『そんなに深い知識も無いし、語録で馴れ合ってるだけのニワカ』と述べた。また、VA氏は自身も『セクシャルマイノリティ』であるといい、オンライン空間でもその情報を特に隠してはいなかった。
④ 魅力・倫理
VA氏は淫夢の魅力について、ミームとしての魅力とアダルトビデオ本編についての魅力という2つの要素に分けて説明した。前者は「共通の語録によってコミュニケーションの敷居が下がる、よそよそしさのないコミュニケーションができるようになる事」であり、後者は『流行ったキッカケはホモへの奇異な目であったとしても、ホモを身近に感じることでホモに感じる抵抗感を和らげてノンケとの壁を打ち破る効果も多少はあった気がする』だという。また、『気軽な二次創作の発表や鑑賞ができる事』も淫夢の評価できる点であり、『版権の二次創作』と比較して優れている点だと語った。一方で、『著作権侵害や肖像権侵害や無断転載ありきで成り立っている(絶望)』とも述べており、『あくまでアングラコンテンツとして楽しむぶんには目を瞑ってほしいけど、Tシャツ等のグッズを販売して利益を得るようなことはしてはいけない(戒め)』と続けた。
⑤ その他
VA氏は、淫夢の出演俳優がTwitterアカウントを設立した際の『本垢で誰も平野店長をフォローしてないのを見た時は“あ~俺だけが淫夢厨なのか”って思いましたね…』といった経験を語った。調査者の調査用アカウントの場合、該当アカウントとの共通フォロワーは94つであり、この数は逆説的に、調査用アカウントが当初の目的に沿って淫夢厨と繋がれていた事を示していると言えるだろう。例えば、4-1にて先述した筆者の非調査用アカウントはおよそ1000のアカウントをフォローしており、その中には平野店長のアカウントも含まれているが、共通フォロワーは9つのみであった。
【事例10】JZ氏
①手法
JZ氏とは計1回、TwitterのDM機能を用いた随時返信形式でのテキストチャットインタビューと、Discordを用いた音声通話でのインタビュー調査を実施した。当初はテキストでのインタビューを実施していたが、一通りやり取りを終えた後に調査者が“テキストと通話で語りに差異はあったと感じるか”と尋ねたところ、『テキストと喋りでは脳の使い方が変わる感覚もありますし、推敲の結果内容が変わることもかなりあるという点では違う話になることはあると思います』述べ、夜であれば通話が可能な旨を提示して頂いた。そのため、基本的な質問事項はテキストで行ったが、その日の夜に通話で詳細を尋ね直す形で調査は実施された。
②経緯
JZ氏が初めて淫夢に触れたのは2005年頃で、『2chのガイドライン板』だという。その後も主に2chで淫夢に触れてはいたが、『明確に淫夢厨になったといえるのは2010年以降で、第一次淫夢ブーム(と勝手に呼称してますが)が終わって第二次淫夢ブームが始まっていた2010年頃で、ついったでMUR コピペが流れているのを見てなんだろうと思っていたところでニコ動でも野獣先輩を見かけるようになり、そこから以前よりもハマっていったという流れです』と述べたように、JZ氏は自身が淫夢にハマったきっかけ自体はTwitterで淫夢に関するコンテンツを目にし、動画を閲覧するようになったことだと認識していた。
③実践・自認
JZ氏は自身を『淫夢厨』と表現し、その上で『2017年ぐらいまで現役の淫夢厨だった』と語った。当時の実践としては高頻度での動画の視聴と語録を多用したコミュニケーションを挙げた。後者は『Twitterをメインに僕がコミットしていたほとんどのサービス』や『仕事上等のある程度かしこまった作法が求められる空間以外』といったように、様々なオンライン空間やオフライン空間でコミュニケーションを実践していたと述べた。また、『現在では淫夢動画を視聴する頻度はかなり減りましたが、淫夢語録を使用したコミュニケーションは今でもわりと行っています』と語ったように、JZ氏は『現役の淫夢厨』ではない現在でも語録はそれなりの頻度で使用している事を説明していた。
④魅力・倫理
JZ氏は淫夢の魅力として『元ネタのあらゆる要素をネタとしてピックアップし、二次創作的に再解釈を与える要素が強かったという部分』『下劣だったりローコンテクストなネタと高度に再解釈されたハイコンテクストなネタが混在している点』を挙げた。一方で、『現役の淫夢厨』ではなくなった要因として『元々好きだった動画投稿者たちがその時期から動画を上げなくなってきたこと、そもそも動画投稿サイトにアクセスする頻度が減ったこと、見るにしてもsyamuの割合が増えたこと』を挙げ、『今の淫夢は「触れたい」がなくなった』と語った。『syamuの割合が増えたこと』については、JZ氏が『当時付き合っていた彼女が、その、淫夢は明らかに嫌いで見ないんですよ。でもsyamuなら見れるっていうので、淫夢の代わりにsyamu流してたっていう』と語ったように、JZ氏本人の意向というよりは、オフライン空間での事情が強く関与していたようだ。『それがあるかもなぁ、それちょっと大きな理由かもしれないな』とJZ氏が述べていた事から、やりとりの中で過去を振り返ることで、『当時の彼女』が最大の理由である事を認識したようだった。
一方で、JZ氏は淫夢を『社会的な問題と個人的な問題』に分けて考えており、前者の視点では淫夢は『かなり悪いコミュニティ』であり『明確に差別行為』だと捉えていた。しかし、JZ氏は『万人の万人に対するネタ化』こそが理想だとも考えており、『ゲイという属性や特定の個人をネタにし馬鹿にする行為が許容される』淫夢は『全否定もできないし、個人的には大好き』だと述べた。また、JZ氏は淫夢に対して『悪いものが悪いものであるが故に人を救うという良さ』という表現も用いていた。
⑥ その他
JZ氏は『これは日本的現象ですが、冷笑的なスタンス故に基本的には政治的に「中立」であったことも自分にとっては居心地が良かったですね この点は淫夢が反体制の象徴として作用している部分もある中国とはかなり状況が違っていて興味深いです』とも述べていたが、この語りからは“中国への伝播とその認識”や“オンライン空間の文化における「政治」の存在”を前提としているとも解釈できる。
【事例11】D2氏
①手法
D2氏とは計2回のインタビュー調査を実施した。1回目はTwitterのDMにおけるリアルタイムでのテキストインタビューを、2回目はDiscordを用いた音声通話でのインタビューを実施した。
②経緯
D2氏は淫夢について、『浪人時代にニコニコ動画を見漁っていくうちにたどり着いた気がします』と述べ、具体的なきっかけは覚えていないものの、当時見ていた『MADや RTA(biim) 動画にネタとして使われていたことが淫夢を知るきっかけ』だと認識していた。『ネット検索というよりかは、淫夢動画をたくさん見るようになって知識?がついた感じですね』『芋づる式に色々な語録や俳優を知っていきましたね』と述べたように、D2氏はネット検索などを使うのではなく、様々な淫夢動画を見ていく中で徐々に知識を身に着けていったという。
③実践・自認
D2は当時の淫夢に関する実践について、動画の視聴と語録での会話を挙げた。前者については主にニコニコ動画のランキング機能から視聴を行っていたこと、後者は主に大学に入ってからサークルのメンバーと会話していたことを語った。加えて、D2氏はスマートフォンアプリのオンラインゲームで、不特定多数とのマッチングを行う際のパスワードを語録にすることによって「事前に示し合わせることなく淫夢厨である事は分かってる知らない人と一緒に遊ぶ」といった実践を行っていたことも説明した。また、D2氏は自身の認識について、『よくわかんない』「淫夢厨ではあったと思うんですけど、別に、お互いに淫夢を知っている人との会話でも所謂淫夢語録とかをふんだんに使ってはいたので、そういう点では淫夢厨ではあったのかもしれませんね」といったように、非常に曖昧な語りで答えていた。
④魅力・倫理
D2氏は淫夢の魅力について『自分は基本全部ニコ動』であったことを踏まえ、『コメント(ニコニコ動画ではコメントが動画上を横切る)が一番面白かった』と述べており、『実在する人を馬鹿にするのは面白い』『人を批判する(馬鹿にする)ことには何かしらの気持ちよさがあって、それが集団心理によって増幅している』とも述べた。D2氏は淫夢に『流行り』がある事や、『皆が面白コンテンツとして消費しているから実態以上に問題視されていない』事を指摘するなど、上記の『集団心理』に重きを置いているようだった。また、『倫理とか、人道的な側面から見たら、どう考えても擁護されるというか、正しいものではないので』と語ったように、D2氏は淫夢の倫理的な側面も強く意識しており、そのような文化に関与していた自身について『クズであるとは思うけど、自分自身は産みだしていない、見てるだけ、知らない人にノリを押し付けたりはしてない』『いじめを止めはしないけど自分からすることはないのと似たような感覚』とも語った。
5-2 実態
前項でも述べたように、淫夢に関する実践は創作や消費、侵略や脱淫と多岐にわたっていた。また、『ニコニコ大百科』のような語彙の定義を記述したサイトで『淫夢』は定義されているのにも関わらず、その定義はインフォーマントらによって細かな差異が見られた。例えば、事例3のEO氏が『きっかけとなった淫夢ネタ』として例示した【ある特定の淫夢ネタ】を、事例7のQD氏は『でも【ある特定の淫夢ネタ】は淫夢じゃないと思う』と述べていたのが典型例だろう。こうした認知の差異については、事例6のLB氏に淫夢の定義を尋ねた際に『持論だけど』と前置いて語ったように、あるいは調査用アカウントのタイムライン上で頻繁に『【ある特定のコンテンツ】は淫夢である/淫夢ではない』といった旨の論争が起きていたように、「淫夢の定義」が非常に曖昧で、かつ主観に依拠しているものだという事はインフォーマントらの間にも共有されていた。
事例4のKW氏は調査用アカウントと非常に多くのアカウントを共通フォロワーとしており、これは他アカウントと比較しても相当多い数であるものの、しかしKW氏の語った『私の周り』で起きた問題を、調査者はKW氏の語りから初めて認知した。また、調査中、タイムラインには淫夢に関する“争い”の情報が頻繁に流れてきたものの、その多くが調査用アカウントとは接点のないアカウントらを当事者としたものであり、こうした情報に関して言及したのは2名のインフォーマントのみであった。しかし一方で、ときに主語を「我々」や「淫夢厨」に置換して語らうインフォーマントらには「淫夢」という枠組みの認識が存在しており、その中に自身を置いていた事も確かだったといえる。調査における調査者の視界に関して殊更に言及する意義は無いように考えられるが、本稿では調査用アカウントのタイムラインでの観察と交流、ニコニコ動画での動画とコメントの閲覧、調査協力者とのインタビューのみによって描く実践の記述を“実態”と表現する。
淫夢に関する実践は、大きく「生産活動」と「消費活動」に二分する事が出来た。前者は主にオンライン空間上のデジタルコンテンツとしての創作を対象としているものの、手芸や工作技術を用いてオフライン空間上での創作活動を行う人々も稀に見られた。オンライン空間上での創作として最も多く見られたのは動画制作で、実践の場としては『ニコニコ動画』を中心としていた。音声や映像をトリミングしてそれらを組み合わせる『MAD』という形式を基本としており、音楽創作の側面を強調した『音MAD』や映像と字幕による物語を主軸とする『BB劇場』、ゲームのプレイ動画に合わせて映像や台詞を挿入した『淫夢実況』等といった形式に細分化されていた。一方、Twitterにおいてはイラストやコラージュといった静画制作が主流であった。淫夢の出演俳優をそのまま描いたものの他に、他コンテンツのパロディの形式をとられている事が多かった。また、調査者の参与期間中は文芸創作が特に流行しており、通常の二次創作文芸の他に、出演俳優のブログ内容を学習素材としたAIによる自動文章作成が頻繁に行われていた。このAIによって作成された文章はそのままテキストデータとして発信されるのではなく、音声読み上げソフトを用いることによって、動画創作と同様『ニコニコ動画』を主な共有の場としていた。動画投稿サイトにおいて生産活動を行う人々は『投稿者』と呼称される傾向にあり、インフォーマントでは事例1のCL氏や事例3のEO氏などが該当する。尚、事例2のYH氏や事例9のVA氏のような、SNS上で静止画を投稿している人々が『投稿者』と呼ばれる場面に調査者が遭遇した事は無く、インタビューにおいても、インフォーマントらの語る『投稿者』は基本的に「ニコニコ動画への動画投稿」を実践している人々のみを指す語彙として用いられていた。
同様に、「消費活動」もまた主に動画の視聴を指して用いられることが多かった。動画の視聴は聞き取りを行った全てのインフォーマントが実践しており、事例11のD2氏や事例10のJZ氏が自身を淫夢厨ではないと判断した理由として「語録は稀に使うが淫夢動画は見なくなった」と語ったように、動画の視聴は『淫夢厨(もしくは淫夢に関与する人)』としての消費活動の中核を成しており、ある種の前提として共有されていた。また、動画だけでなく静画の閲覧やそれらへのコメントも「消費活動」として認知されていたものの、自発的にそれらを挙げたインフォーマントは少なく、特に後者のコメントに関してはD2氏のような『脱淫』を自認していたインフォーマントが「淫夢厨の当時もしていなかった」事を述べるために言及した限りであった。
語録に関しては、事例2のYH氏が『ネットやってる以上目にする』とも述べていたように、オンライン空間全般において日常的な実践であった一方で、調査者含め多くの淫夢厨は「相手」や「場所」、あるいは「空気」を意識して使っていた。具体的には、調査者が経験した「調査者が送信した調査概要に対して語録で返ってきた場合はこちらも語録で返答した」事や、タイムライン上で目にした「リプライは顔や身振り手振りが見えないから語録を使うことで言ってることが冗談だと分かるようにする」作法などが挙げられる。実際に、事例6のLB氏が『内輪ノリ』と表現していたり、事例7のQD氏が『方言』として認知していたりしたように、語録を『淫夢』の文化圏で使用する事はインフォーマントらの間では一種の規範と見做されていた。そのため、淫夢を知らない、あるいは淫夢厨ではない人々に対して語録を執拗に用いたり、無関係のコンテンツを淫夢だと見做す『侵略』のような行為を行う人々は事例9でVA氏が述べた『ホモガキ』という蔑称で表現されていた。事例11のD2氏が知人に『ジャブ』を行ったように、文章や文脈が不自然にならない範囲で語録を用いることで、「淫夢を認知しているのか?語録で会話しても良いのか?」という確認を取る手法は、こうした規範にも強く影響されていたと考えられる。
6 考察
以上、インタビューに基づくインフォーマントの語りと、参与観察を踏まえた淫夢に関する実践の記述を行ったところで、本章では、初めに提示した「何に惹かれたのか」「何故関与を続けるのか」について考察を試みる。また、方法論の観点から、本研究の調査で浮かび上がってきたオンライン空間におけるバーチャルコミュニティの在り方についても、併せて考えたい。
多くのインフォーマントは淫夢を基となったビデオから認知した訳では無く、「掲示板等で見かけた文言から何らかの様式を発見し、自発的に検索をした場合」と「他のコンテンツの動画を視聴している最中に使われた淫夢要素から他の淫夢動画も視聴し始めた場合」の2パターンに大きく分けられた。この際に発端となっている行動は、「テキストの閲覧」「動画の視聴」という、オンライン空間においては日常的かつ受動的な行為である。その後の「文言の検索」「関連動画の視聴」は能動的な行動でこそあるものの、オンライン空間において特異な行動だと主張する事は出来ないだろう。つまり、淫夢を認知する段階において、インフォーマントらに何か特別な因子を見出すことは困難である。ここで、問題は本研究の研究設問でもあった「何に惹かれたのか」に帰結する。インフォーマントらが惹かれた要素として筆者がまず主張したいのは、オンライン空間における淫夢の「受け皿」的な役割と、それを支え維持するための語録の「境界」としての機能である。
6-1 境界としての語録
5章で記述したように、淫夢はその定義や領域が非常に曖昧な概念であり、場合によっては侵略や認定といった行為によって自身の嗜好を反映させることも出来た。そして、その曖昧さ故に、人々は各々で拡張・収縮した定義を淫夢として認識することが出来る。コンテンツを創作する技術があるのであれば、その定義を主張することも可能であった。実際に、事例4のKW氏による『単なる出演者がキャラ付けされてく経緯が面白い』という語りに反映されているように、個人が創作した出演俳優に対する設定が、それ以降の創作では基本的な設定として受け入れられている事例は創作の形式に関わらず多数存在していた。また、事例6のLB氏による『やってみたい』『アイディアはある』といった語りのように、時間や技術の都合上創作は行ってないが、モチベーションや題材としたいものがあるといった旨の語りはよく見られた。淫夢に関する創作は、創作者がそれを「淫夢」だと主張する事で消費者もまたそれを「淫夢」だと受け入れる。そして、コーンスープの缶詰を作る工場の動画を無編集で投稿したとしても『ホモと学ぶ』と銘打つことで語録を中心に2000近いコメントが投稿されたように、淫夢によって創作者は自身のコンテンツに多くの人々を関与させることが可能となる。とはいえ、境界のないものを認知する事は出来ない。ここで、曖昧な境界と淫夢の認識を両立させているのが淫夢語録だといえるだろう。上記の動画も、語録によるコメントが無ければ「コーンスープの缶詰を作る工場の動画」であり、タイトルによって淫夢だと認識した不特定多数が関与する事で「淫夢動画」として成立していた。
語録による境界の認識は、様々な状況で目にすることが出来た。例えば、『自身を淫夢とは異なる界隈のホモ』であるインフォーマントの一人は、調査者とのテキストインタビューを語録で行っていたものの、日常的なツイートでは語録をほとんど用いていなかった。また、調査中の語録使用に対して『ちゃんとした調査だから無いと思うけど』と述べた事例7のQD氏や、『余計なことを考えてしまう』と述べた事例1のCL氏等も挙げられる。これらの事例は、筆者の調査やインタビューが「語録を使うべき場面」もしくは「語録を使うべきではない場面」として各々の日常的な状況と区別されていたことを表している。つまり、日常的に語録を用いてないインフォーマントであっても「淫夢に関するインタビュー」では語録を使うべきだと判断する事がある一方で、QD氏とCL氏のような日常的に語録を用いていたものの「研究調査のインタビュー」では語録を使うべきではないと判断したインフォーマントも存在していたと解釈できる。
動画創作においても、語録は淫夢の境界を示す指標として機能していたと考えられる。先述のように語録はオンライン空間全般に広く普及している。それ故、淫夢とは関係のない動画であっても、「ネットスラングの一つ」として語録が用いられることは頻繁に見られる。こうした語録使用の際、特に『ニコニコ動画』でよく見られるのが、該当シーンの部分でのみ語録コメントが投稿されている現象である。他シーンでは通常の日本語や他スラングでコメントが投稿されている中、該当シーンでのみ語録コメントが流れ、その後はまた通常のコメントが流れるようになる。尚、こうした動画では淫夢をカテゴリとして提示されている訳では無いため、『侵略』として成り立ちかねない可能性を考慮し、淫夢を主題として扱っている本稿における具体的なURL等の引用は控えた。
関連して、本稿でも何度か触れた『侵略』についても考えたい。多くのインフォーマントは、『侵略』についてネガティブな評価を下しており、淫夢に関与する者として「すべきではないこと」だと認識していた。一方で、自身の好むコンテンツを淫夢に関与させる実践については、淫夢の魅力や自由度の象徴として提示されることが多かった。一見矛盾しているようにも捉えられるこうした語りは、語録の境界的な作用を前提とすることで説明が可能になる。『侵略』は他コンテンツに語録や創作を持ち込むことで対象を淫夢だと認定する行為である。例え、侵略先の文化圏で活動する人々が淫夢厨としての側面も備えていたとしても、日常的に語録を用いないオンライン空間は淫夢の実践の場ではない。一方で、製作者に淫夢として提示されたコンテンツでは、初めから語録による関与が行われる。ニコニコ動画であればコメント、Twitterであればリプライや引用RTといった形で現れる反応は、基本的に語録で実践され、それらが『侵略』だと批判されている様子も無かった。自身で淫夢実況を投稿しているCL氏が、非淫夢のコンテンツを『侵略』された際に『フラットな気持ちではいられない』と語ったのも、こうした意識によるものだと解釈できる。
6-2 受け皿としての淫夢
上項で記述したように、淫夢はその曖昧な境界を語録によって維持している文化圏だと捉えられる。それを踏まえ、認知の次の段階として「惹かれた理由」を考察したい。まず、インフォーマントらが“淫夢の魅力“として挙げた要素をある程度綜合して整理したものが以下の箇条である。
・面白い
・語録による交流
・関与している人が多い
・創作が自由
・表に出ない/出せない事
「面白さ」は最も多く挙げられた要素である一方で、『単純に面白い』『上手く言語化は出来ない』といったように、他の要素と比較すると抽象的に提示されることが多かった。そのため、本要素に関しては「遊び」概念についての先行研究を参照して考えたい。ホイジンガ(1973)は、「面白さとは、それ以上根源的な観念に還元する事ができないもの」だと述べ、そうした「面白さ」を本質とする「無条件に根源的な生の範疇の一つ」として「遊び」という概念を提示した(ホイジンガ p20)。ホイジンガのいう「遊び」とは、自由な行動であり、定められた空間・時間で完結したものであり、絶対の秩序をもち、不確定さ故に緊張を生み出すものだという(pp31-38)。
こうした「遊び」概念を踏まえ、小川(2003)はホイジンガが「根源的」と結論付けた「面白さ」について、「何なのか?」という問いを再提示した。小川によれば、「面白さ」とは個人の情報処理能力と情報の量、質から求められる情報負荷の程度に依拠しており、「手に余る状態」と「もの足りない状態」との中間程度に値する最適な情報負荷によってもたらされる感覚だという。ここで再度インフォーマントの記述に戻ると、例えば事例2のYH氏の挙げた『創作動画が豊富に存在してい(る)事、珍しい体験談に触れられる事』や、事例8のFG氏による『「このシーンは何の意味があるのか」「なぜ撮りなおさないのか」という疑問がわいてきますし、それに対して考察や大喜利?のような回答が面白いですね』といった表現は、「面白い」の代替表現として仮借できる。前者はそれぞれ量と質に対応した情報負荷の上昇を述べており、後者は対照的にもの足りない情報の量や質に対して自身の情報処理能力を発揮させることに魅力を感じている。
「関与している人が多い」という事は、「表に出(せ)ない事」と強く相関していた。例えば、事例9でVA氏の述べた『淫夢ギルド』に関する語りや、事例11のD2氏が述べた『スマートフォンアプリ』に関する語りは、上記の魅力が顕著に表れている事例だと言える。まず、淫夢に関与している人は非常に多い一方で、前述したように、彼らの多くが常日頃からあらゆる場所で無差別に語録を使用している訳では無い。例えばギルドの名前に淫夢を想起させる名前を付けたり、語録を基にしたパスワードを設定したりするなどして、淫夢の実践の場を形成している。そのような場は多くのオンライン空間に存在しており、それ故に語録や淫夢の関連コンテンツを用いたコミュニケーションは様々な場で行うことが可能であった。また、こうした事実は多くの淫夢厨らが暗黙の了解としていた。広大なオンライン空間において、どのようなプラットフォームであっても、淫夢に関連するコミュニケーションの場が存在しているという『確信』は、確かに魅力と表現できるのではないか。
「創作が自由」は、前項で述べたような淫夢の定義の曖昧さを表現しているのと同時に、淫夢ではないコンテンツへの導線としての役割も示唆している。淫夢が多様な派生や拡張を有している事によって、淫夢に関する交流では互いの趣味嗜好や局所的な話題をスムーズに共有することが出来る。例えば、調査者とインフォーマントの一人は“淫夢で何を見ているか?”という話題から“ホラー淫夢”の話に移行し、さらに特定の動画に言及することで、お互いがある特定の映画監督のファンである事を理解した。また、事例5のPS氏とは“小学生の語録事情”を経由する事で互いの教育現場での悩みを共有することも出来た。調査用アカウントのタイムラインにおいてもこうした会話の流れは頻繁に見られ、「創作が自由」である事はそのまま交流の量や質と直結していた。特にTwitterのようなSNSにおいては、文量の都合やアカウントの用途による都合から、そのアカウントの扱うメインジャンルでない要素に関してはなかなか言及が出来ず、結果としてオフライン空間の関係性や単一の趣味に依拠した関係性を生成しやすい傾向にあるだろう。そうした状況下において、淫夢をつながりの軸とするアカウント群は、多様な話題を多様なままに扱うことが可能となっていた。
こうした魅力を踏まえ、筆者は淫夢をタイムライン上の表現から引用し「受け皿」と表現したい。オンライン空間での交流において、自身が依拠するコンテンツやジャンルを求められる状況は多い。テキスト掲示板はその多くでスレッドが話題によって区分されており、元の話題から大きく逸れた交流は「スレチ(スレッド違いの略)」と称し忌避される。SNSでは「○○垢」のように何かしらの依拠先を主張しなくては新規に交流を生み出すことは難しい。こうした状況下で、淫夢はその曖昧な定義と語録による明確な境界によって、本来零れ落ちてしまう情報を拾い上げ、それを堂々と発信する権利を与える。淫夢の文脈で共有する事によって多くの人々の目に触れさせることが可能で、しかしメディアやオフライン空間等で大々的に扱われることは無い。竹本が「淫夢のひとつの傾向として、アングラでありながら拡散を指向する(竹本ほか2015 :224)」と評したように、淫夢に関与する人々の間には淫夢が「表に出してはいけないもの」という認識と、「拡散されてほしいもの」という認識が両立しているように感じられた。こうした相反する認識は、受け皿という役割と、その視覚的なイメージによって合点がいく説明が可能である。受け皿は鉢の底に敷かれており、上に置かれた鉢を参照する際には通常言及される事がないが、受け皿が広がることによって鉢の種類や数を増やすことが出来る。オンライン空間において、例えば「写真撮影」の愛好家が集うコミュニティで「特定の文芸作品」に関する言及は避けられる傾向にあるため、「特定の文芸作品」のファンを探すのは困難だろう。「写真撮影」という鉢の上では「写真撮影」に関してのコミュニケ―ションが実践され、文芸作品に関するコミュニケーションはその文芸作品の鉢で実践されるからである。一方で、淫夢においては、「写真撮影」や「特定の文芸作品」を淫夢として取り込む=受け皿の上に載せることで、容易に愛好家やファンとの繋がりを構築できる。淫夢によって関与可能な領域が広くなる事と、しかし関与の対象が「表に出せるもの」であり、尚且つ個々に独立して存在している概念である事は、同時に成立する。
6-3 コミュニティ認識
ここで2-2で述べたオンライン空間上のコミュニティについても言及したい。5章の各記述における⑤で述べたように、本研究のインタビュー調査の対象者たちは必ずしも互いに共通のアカウントをフォローしている/されている訳では無く、例えばLB氏のような、筆者の調査用アカウント以外に共通するアカウントがいないアカウントも中には存在していた。しかし一方で、彼らは全員が筆者による「淫夢についての調査」に対して能動的に協力を申し出たアカウントであり、例えば『淫夢厨』のような、各々が自認している表現で「淫夢に関与する人々」の一員である事を強く認識していたこともまた事実であった。オンライン空間におけるこうした集団の形態は、先行研究のようなオフライン空間からのアプローチでは見逃されてきた「新しいコミュニティの在り方」だと解釈することも出来る。2-2で引用したパパチャリシ(2011)の「バーチャルコミュニティは期待されているほどバーチャルではない」という記述に代表されるような、オンライン空間に対するある種の“期待外れ”という視座は、オフライン空間の文脈に則った解釈によって導かれたものだとは考えられないだろうか。オフライン空間上の文脈やステータスに依拠した考察や、キーワード検索のような当事者の日常性から切り離された調査では、「淫夢」のようなオンライン空間上で実践される曖昧な領域の文化やその当事者を認識する事が困難である事を、筆者はあらためて主張したい。
尚、こうした考察をするうえで、多くのインフォーマントが用いていた『界隈』という表現が極めて重要になると筆者は考えている。『界隈』の語彙とその定義や扱われ方については、今後の課題としたい。
7 おわりに
本研究では、オンライン空間における「淫夢」という文化を対象に、参与観察とインタビュー調査によって得た質的資料を基に記述と解釈を示した。淫夢は、反規範・社会的な一面を強調されることや具体的な言及を忌避されることの多かった文化であったが、オンライン空間での交流や当事者からの聞き取りによって、本研究では淫夢の抱える「語録という言語表現によって維持される流動的かつ残余的な文化実践の場」という側面を主張することが出来た。
一方で、「オンライン空間において参与観察を行う」というアプローチについて、本研究は明確な指針や意義、また成果の共有方法を提示出来たとは言えない。インタビュー調査においても、テキストや音声といった手法の差異が与える回答や応答への影響や、インタビューの相手であるインフォーマントの個人情報に対する意識など、質的調査として言及すべきであった点は多い。また、調査対象である「淫夢」に関しても、多くの課題を挙げることが出来る。まず言及すべきは倫理的な観点の欠如だろう。本研究では今後の研究へ向けた足がかりとしての記述を重視した結果、意図してそのような視座を引き離したが、特に「淫夢に対する外側からの影響」という観点には、こうした要素が多大な影響を与えていた事が容易に想像できる。関連して、多くのインフォーマントが言及していた『うつ病』や『発達障害』といった語彙と淫夢厨との相関も多様な研究の方向性を示唆していたものの、本稿では詳細に言及・考察する事は出来ていない。また、未成年や外国語圏の人々の淫夢への関与については、調査の中で度々話題にあがったものの、本稿の研究範囲に含めることが出来なかった。同様に、本研究ではY名のみインフォーマントとして含められた「脱淫した人」や、オンライン空間で稀に見られる「淫夢を過剰に嫌う人」のような視点からの語りも重要になるだろう。
上記のように、本研究はオンライン空間の文化研究にアプローチを提示するものであり、これまで触れられてこなかった淫夢という文化を学術的な場に提示するものでもあり、そして様々な課題に直面した過程の共有でもある。「人間とは何か」という根源的な問いを掲げる学問を専攻する学生として、「オンライン空間」という新たな場と、「淫夢」のような忌避されてきた文化と、そしてそのような文化に関与する人々とどのように向き合っていくべきなのか。今後も考え続けていきたい。
参考文献
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1995『バーチャル・コミュニティ―コンピューター・ネットワークが創る新しい社会』三田出版会
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三瀬凪乃・岡本雅史
2021.6「「Vて、どうぞ」―SNSにおける陳述副詞「どうぞ」の拡張的用法―」『日本語用論学会第23回大会発表論文集』 pp81-88 日本語用論学会
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2009.1「Will You Be My Friend? An Exploration of Adolescent Friendship Formation Online in Teen Second Life」『59th Annual Conference of the International Communication Association』
https://www.researchgate.net/publication/228772640_Will_You_Be_My_Friend_An_Exploration_of_Adolescent_Friendship_Formation_Online_in_Teen_Second_Life
Zizi Papacharissi
2010.8「A Networked Self Identity, Community, and Culture on Social Network Sites」Routledge
Tom Boellstorff
2015.8「Coming of Age in Second Life: An Anthropologist Explores the Virtually Human」Princeton Univ Pr
謝辞
本研究を実施するにあたり、得体の知れないアカウントをフォローしてくださった皆さま、リプライやDM、RT等で応援して頂いた皆さま、そして何より聞き取り調査に協力して頂いた皆さまに感謝申し上げます。聞かせて頂いたお話やご助言、期待などの全てにお応え出来た訳ではありませんでしたが、7章で述べたように、筆者はこれから先も皆さまと研究を続けていく所存です。今後もお声がけさせて頂くことがあるかと思いますが、どうかよろしくお願いします。本当にありがとうございました。
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