第一回 amazarashiと哲学

こんにちは、筋肉んです。

私はamazarashiというバンドがもう大好きで大好きでたまらないのですが、それと同時に哲学も大好きなんです。しかし周りには哲学好きがあまりにも少なく、どうにかして増やせないかと考えた結果、amazarashiの歌詞にたまに出てくるあまり一般的でない単語、大体は哲学用語なのですが、これを解説という名の布教活動をすれば同志が増えるのではないかと考えたわけですね。
自分のどうでもいい背景は置いておいて早速布教したいと思います。

まず初めに何を解説しようかと考えた時、amazarashiの哲学的側面を支える一つの大きな考え方が、分かりやすくかつ楽しめるのかなと考えました。
ズバリそれは実存(じつぞん)という考え方です。
実存?実在とは何が違うの?そもそも本当にそんなことamazarashiの歌詞に歌われてる?大丈夫です、一つずつ解説します。
まずamazarashiの歌詞に歌われているかどうかですが、もうピンと来た人もいるかもしれません。ヒガシズムにてサビ後に実存と繰り返し叫ばれています。最高ですね。
ここから本格的な解説に入っていきます。まず実存とはなんなのかざっくり解説しますと、1800年代に考えられていた人生モデルのことなんです。
つまり人生ってどんなものなんだろうと昔の人が考えた結果なんですね。
1849年にキルケゴールが死に至る病という本を出版してから実存という考え方は始まりました。もう書名からして暗いですね。そこでキルケゴールは実存、つまり人生とは、「獣に追いかけられ逃げるため井戸に飛び込んだはいいものの井戸の下にはまた違う獣が大口を開けていて、慌てていどの壁にあった紐を掴むも実はそれは切れかけのツル植物で、、」というものです。整理すると、上と下からは獣に追い立てられ、肝心の命綱は切れかけ。そうです、詰んでるんです。それが近代における実存という考え方なんですね。また端的に表した一節もあり、「人生は悲劇である」というもので、なんとも暗くやるせなく感じますよね。
ただみなさん共感できる部分があるのではないでしょうか?amazarashiが好きという方なら泣きはらした夜もあったと思うんです。そんな人たちにそっと寄り添ってくれるのがamazarashiなんだなと深く思います。
ただ哲学者達はこのままでは終わりません、各々がこの絶望の克服の仕方を考えていきます。しかしここから哲学者個々の思想を紹介するととんでもない量になってしまうので今回はここで終わります。興味が出てきたなという方は是非お近くの書店で現代思想の冒険という本を手に取ってみてください。ここまで読んでくださりありがとうございました。


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