第九回 amazarashiと哲学

こんにちは 筋肉んです

今回解説する曲は「海洋生命」です。
amazarashiの曲には大別すると三種類あります。
一つは物語仕立てのものです。具体的には、「しらふ」「スワイプ」「鴉と白鳥」などが挙げられます。
二つ目にタイトルに沿った情景が歌われる曲。具体的には「境界線」「ヒガシズム」などで、多くがこのタイプの曲な気がします。(ソース無し)
そして三つ目が歌詞の内容がかなり詩的で、一見すると脈絡の無さすら感じる物です。具体的には「アダプテッド」「吐きそうだ」そして今回紹介する曲である「海洋生命」もこの曲に当てはまると思います。
早速歌詞の内容を見ていきたいと思います。

結論から言うと、この曲は暗さ、絶望、悲劇の中でamazarashiが、希望とは言えなくても一歩でも前に進める助けになろうという決意の曲だと考えました。
まず冒頭で「安心を売るならば干からびた不安へ」「不安がないなら電波でばら撒いて」と歌われます。
これは合理主義、資本主義による格差の拡大とSNSの発達による格差の拡散による悲劇が歌われていると考えます。
皆さんもネットなどを見ていて自分と他人のギャップに苦しんだことは一度や二度ではないと思います。これは現代特有の苦しみであり、近代ではありえなかった辛さを我々にもたらしています。
また「譲歩と同調を患った、巻かれた長いもので首を括るつもりか」で合理主義のもう一つの問題である、自我性の喪失を歌っています。
ハイデガーの言ったダスマンのような概念ですね。
これらを鑑みるとAメロでは現代社会の問題を粛々と現実に即して歌っていることがわかりますね。
こう言った内容は「メーデーメーデー」などでも一貫して歌われる問題で、秋田ひろむ自身がかなり問題意識を持っているのだと思われます。
実際彼は「しらふ」でも歌われているように近代合理主義の被害者でもあるわけですからここまで響く歌詞が書けるのかもしれないですね。
そしてサビの歌詞。この曲の歌詞のわかりにくさというか、難しさの八割がサビだと思っているのですが、このサビは本当に深いです。詩的表現により現代の不条理やしんどさが歌われています。
この曲では社会全体としての概念を「惑星」や「海」といった言葉で表し、そこに生きる我々を「海洋生命」と歌っているのだと思うのです。そう考えた時、「惑星の壊死、海の生い立ち」とは古代、中世、近代、現代と連綿と続いてきた人類史の流れで今まさに惑星、つまり今生きている社会が壊死しそうになっていると言うことなのではないでしょうか。その具体的な内容がのちに歌われています。それを箇条書き的に解説していきます。
「折れ線グラフと蟻の自害」
折れ線グラフとは合理主義のメタファーだと考えます。株やFXなどの金で金を生み出すという仕組みに、マルクスは資本主義の限界と絶望を見出しました。
蟻の自害は単純で、蟻は社会性昆虫としてよく知られます。その自害ということでこれは我々人間の自殺が歌われていると感じました。
「神経拒食ニルアドミラリ、良心の銃創」
ニルアドミラリとはラテン語で「何にも驚かない」といった意味です。
拒食症になってしまうほどの異常性を発揮する事象が日常になってしまっている社会では、驚くことがなくなっているということだと解釈しました。
そして良心の銃創とは、現代社会では良心という個人が抱える倫理道徳の基盤が傷つき、ボロボロになってしまっていることを描写しているのです。
「切断と盲信のクチナシ」
クチナシの花言葉は「とても幸せです」
つまり偽りの幸せを盲信し、他人との関係が切断されていく、反抗を叫ぶ口すら奪われた我々のメタファーなのではないのでしょうか。
Bメロに入ると詩的表現は加速していきます。
私が注目したいのは「奪われたから奪うは脱せない円観、許すことで得るはず相応な哲学」という歌詞です。
ここでこの曲の歌詞の中で初めて方向を示すような歌詞が出てきます。
この歌詞が示していることはつまり、前半で散々歌われた悲惨な現代社会から一抜けて生きていくためには、他人のことを許せるような、ニーチェの言うライオン的な強者になる必要があると言うことです。
他人を許すということは並大抵のことではなく、強者にのみ許された特権です。
その強者を目指すことでこの現代社会を抜け出そうというメッセージなのではないでしょうか。
「降下する深海は母親のメタファー」
ここで秋田ひろむが考える理想の社会観が表れています。社会とは本来人々が寄り添いいつでも、そしていつまでも帰るべき場所である母親のようなものであるべきだと考えているのではないでしょうか。ヘーゲルが言った国家のような概念ですね。
そしてCメロ、ここでは秋田ひろむなりの決意が読み取れます。
「泣き喚く代わりに慟哭を書き溜める」「ここは〜同志たちが集う洞穴」「乱射する弾丸が射抜いたのは虚無主義」
ここ、つまりamazarashiに集う虐げられた同志たちを、amazarashiが歌う言葉によって虚無主義が打ち抜かれることにより、前も向いて生きていけるようにする。これがamazarashiのイデオロギーである、と歌われているのです。
「それを言葉という」で言葉は銃弾であると歌われていることからも、割と説得力はあるのかなと思います。

いかがだったでしょうか。僕もこの曲を初めて聞いた時、わかりにくい歌詞に戸惑いましたが、よくよく聴き込んでみるとamazarashiなりの火種が燻っていることに気付きました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。解説してほしい曲などありましたら、ぜひDMまで送っていただけると嬉しいです。

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