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自分にとって「美意識」が注目ワード

最近、私の中には「美意識」という言葉が刺さっています。

女性誌などで「美意識」という文字と共に、最新の化粧品トレンド、美容施術、エステやマッサージ、何かの酵素、腸活など、さまざまな観点での「美意識」が語れらている。

ただ、今回私が向き合っている「美意識」とは、そういうトレンディーとか、すぐに作り出せる美意識ではない。

なんというか、「品性」「知性」「自分の足で立っている」「自分の言葉で語る」「歴史」「美術」「芸術」「目に見えないものの価値」「本質」「ぺっらぺっらじゃない」「安い・早い・便利の対極」とか、そういった人間美、歴史あるもの、そこに息づくもの。
そういう意味での美意識、に触れたり考えたりする機会がありました。

私が尊敬しているインスタグラマーの方がいて、その方の発信する内容、美的センスに啓発していただきました。
彼女の、本質を見る考え方や審美眼に触れ、自分がいかに、ぺらっぺらではりぼての世界で生きていたかに気づかされました。

早い、安い、効率、使い捨て。
そんなものと一緒に生きていると、時代を経た味わい、苦楽や辛酸を経た豊かさ、手間ひまかけてやっと作られた美、そういう価値観や物を見る目が失われてしまうんだと、気づかせていただきました。

その方は、私より3-4歳若いけれど、その本質が分かっている。その本質や美意識に基づいた生き方、考え方、ものの選び方をしている。
本当に素敵で、私もそういう豊かさや美しさの中で生きていきたいと思い、自分にとっての「美意識」とは何か?向き合っています。

ただラグジュアリーならいいってもんじゃない。
実際、私は5つ星のMariott 系列のホテルに美意識は感じない。
ただ単に高いものを選べばいい、お金をじゃんじゃん払ったものが美ということではない。

色彩、バランス、材料、空間、コンセプトそのすべてのバランスがとれているものが、美しい。もちろん、あえてのアンバランスが美しさにつながるときもある。
そういうバランスを見たり、ものの可憐さ、はかなさ、歴史、こだわって愛情深く創られたか、など、そのものの裏にある味や真心、意味、そういうものすべてを見ての美しさ、だと思う。

今31歳。
ありがたくも、そういう美意識を考える機会に恵まれた。
その方がインスタで薦めていた本もゲットした。
「前田義子の美しい女性の条件 前田義子」

Foxeyを創立された前田義子さん、美意識が高く、洗礼された考え、言葉、物、生活の選び方に、心が洗われ、自分も、そういう意味で「人として、女として、美しくありたい」と感じさせていただきました。

洗礼された美意識。
今出会ったこの時が、私が学んでいく、一皮むけていくタイミングだ。
美しいものを見て、食べて、言葉にして、読んで、美意識高く生きていきたい。

もともと「コスパ」とか「タイパ」とか、そういう言葉が嫌いだった。
なんでかと言われると上手く説明できるか分からないけど、敢えて言うなら、「卑しさ」を感じるからかもしれない。

「この金額を払ったんだから、それに見合うものを見返りとして求める」
正しいんだけど、全部が全部そういう考え方って、なんだか心が豊かじゃないな、余裕がないなって。

例えば芸術。この金額の絵の具や画材を使ったからこの値段、とはならないですよね。
作家の、凡人には持ち合わせない感性に対して、喜びや悲しみも味わって魂を込めて描いた豊かな時間や思いや人生に対して、そういうものを総合して、何百万、何千万、億、とかの価格がついたりしますよね。

ホテルとか、レストランも、最近は「コスパコスパ」とどこもかしこも評価してるけど、シェフがお客さんに美味しく食べてもらいたいという思い、こだわって選んだ食器、空間のデザイン、内装への美意識、美味しく安全な食材を選ぶ、ホスピタリティある接客、など、とても価格をつけるのは難しいけれど、そういう視点で考えると、すべてが「コスパ」という考え方では決められないんじゃないかと。

コスパは、「今」しか考えていない、というところも私が好きではない部分です。
「今、この金額を出して、これだけのサービスや品物を得る」

お金や時間をかけて、初めて生まれる唯一無二のもの、オリジナルなもの、美しいものってたくさんあります。
我が子に「あなたの教育費いくらかかったんだから、それを回収できる仕事に就きなさい」とは考えないですよね(一部の人は考えそうだけど。。)

そういう、見返りを求めず、自分が美しいな、素敵だな、愛おしいな、という気持ちに、清々しくお金や時間を使う。
そういう生き方をしたい。
その時間やお金の積み重ねが、いつの間にか、思いもかけなかった方向に導いてくれたり、誰にも真似できない経験や作品ができたり。そういう豊かさはコスパにはないんじゃないかと。

また、「コスパ」に囚われている限り、その先の、目に見えない価値や美、思いに出会ったり味わったりすることは、できない人生になってしまうんじゃないかと。

もちろん、日常でパッと買う文具、消耗品の生活用品とかは、メーカーによる価格とクオリティを比較して、コスパ、と考えるのは良いと思うけど、全部が全部コスパの生き方は、美意識と反対の世界に行ってしまうと感じた1日でした。

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