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思考・判断・表現

この言葉はよく学生に嫌われる(かくいう私も嫌いな)言葉なわけだが、学習という言葉の意を突いているのかもしれない。どんな時だってこの3プロセスで理論を覚えることができると言えよう。と言われても面倒だからやらないというのが人間の性である。実際ここまで文章を書く間にこの先の文章から何を思考し判断して表現しようかと、考えることもなくだらだらと主張だけ述べているわけだ。長ったらしく意味わからないことをほざいているが、今日は作風とRAW現像の話だ。ちなみに結論から言うと結論は出ずにだらけた思考が続いている。よくこんなものを公に出す気になったものだ。

作風

写真表現における作風とはなんだろうか?私が多少尊敬しているふぁらお国王が過去に公開していた意見にヒントがあったような予感がしたので、そこから自分の思考を見つめてみることにした。「自己を確立するとは、界隈で唯一無二の存在になること、綺麗な写真は誰でも撮れる、まだやられていないことを洗い出し、親和性のあるものを見つけ、自分で加工して独自のスタイルに落とし込んでいく。あくまで写真の掛け算。」(写真をバズらせる方法。そしてご報告。より)さてここから私は自分の作風を見つめるためにどのような「思考・判断・表現」をすべきだろうか。考えてみる。先ず自分の作風の確立とはやはり誰もしていないことを自分がやる、そんな概念と思っていいのだろう。そしてそれはどうやら周りを見ることで見えてくるらしい。と思考し判断した(?)ところで、次は表現、結論という訳だが、ここで一旦止まって自分の作品を現像してみる。

D4s NIKKOR-P Auto105mm f/2.5(Ai改)

典型的なただ綺麗なだけな作品が出来てしまった。つまり今のところの現像から見る私の作風はコントラスト強め、ビビット調、ここで納得がいってしまうのが(親和性はあるのだろうが)悔しいもので、自分がこれ以上の追求を避けていることが分かる。結論が出ないのでこの書き散らしと思考は宿題へ。今日はもう寝よう。

(考察思案01)

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