見出し画像

謙遜の坂道に乗って

冬休み、学校の講習も終わり、あとは遠征三昧なんて思って、休み明けのテストなんて忘れて布団に寝転がり、「ああ今日は何時から塾だっけか」とか思いながら世にいう無駄な時間を満喫した。
夜になってまた無駄な時間を過ごしたことに後悔する。とりあえずインスタのストーリーでも更新しとこう。
ふと、LINEのとある友人とのトーク画面を見ていた。その人は私がスナップを撮り始めるきっかけになった大切な友人であり、よく写真を送ったり雑談したりしているのだが、私の応対は基本敬語である。別に多少は親しいのだしもう少しラフに話してもいいんじゃないかと誰が見ても思いそうなトーク履歴に、自分の謙遜の意志を感じる。
世の中、誰かを尊敬し、その人に追いつこうとして成長する人と言うのはどのジャンルにおいても多いのだろう。そしてその尊敬される人も…という場合もあれば、我が道を切り開いてその尊敬を得た者も多少なりいるのだろう。前者の尊敬の繰り返しが全体の発展に繋がるか、パターン化、マンネリ化に繋がるか、その方向性は分からないが、きっとどちらかに向くのだろう。私は「謙遜の坂道」という言葉を発想した。
私にとって、いや、人を尊敬する全ての人が求めるのは、自分にとってその進む向きが結局鉛直上向きになるという理想だろう。自明のことかもしれないが、そうだとするとしっかり広く周りを見て進むべきなんだろう。しかし、家の部屋の狭い空間から私はまだ飛び出せずにいた。

D7200 TAMRON SP35mm f/1,4

(考察思案03)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?