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2021.7.18“真夜中の五分前”行定監督舞台挨拶レポート at横浜シネマリン(前編)

『行定監督の舞台挨拶をどうしても拝見したい!』
この一念で真夜中の5分前からドキドキしながらPCの前にスタンバって、ありがたくもラッキーなことに大切な日のチケットを購入することができました。実は関内は仕事でしょっちゅう行っているのです。なのでチケット予約前日に立ち寄って、その様子を確認したり、スタッフさんに詳細をお聞きしたりという力の入れようでした(笑)
もし、ネットで取れなかったら『当日チケットだと、始発は当たり前!』と長年の宝塚ファンの親友からも言い聞かされていて、それは避けたい…と根性なしの私は思っていたのです。

この一周忌の舞台挨拶を聞きたかった方がたくさんいらっしゃると思います。私の聞きおぼえで拙いものですが、できるだけ詳しく、当日の様子をお伝えできればと思います。

横浜シネマリンの様子

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昭和感漂う小さな小さな映画館です。
地下1階に降りると、ロビーにはすでに人がいっぱいで、入口から階段の途中まで並んでいました。私が想像していたより、ずっとずっと大人のご婦人が多いこと。私もじゅうぶん大人なので馴染んでたと思います(笑)

パンフレットを購入するために、ロビーの中でぐるっと蛇行している列に並びました。パンフレットを購入することで、監督のサイン会に参加できるのです。

その列の途中で突き当りの壁に貼られたポスターを撮影。

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小さいながらも映画館が頑張ってくれたのが分かりました。
列に並んでいた皆さんも同じで、きちんとおひとりずつ待ってから撮影されてました。皆さんSNSなどに投稿されるのかもしれませんね。

そしてパンフ購入後はスクリーンへ。
102席の小さな空間に、補助席のパイプ椅子が24脚。
私の隣(私は一番端の席だったので)に座った当日券の方は、やっぱり朝1番に来られて並んで整理券をもらい、前後の皆さんと時間をつぶされていたようです。やはり、友人の行った通りに始発が必須だったようです…。


映画終了後、舞台挨拶へ

14:05に映画が終了すると、スクリーンの前に椅子と透明の仕切りが準備され、行定監督と横浜シネマリンの館長さんが登場されました。

私、てっきり時間が時間なだけに、14:10に黙祷するって思ってたのです。
でも無いまま、時間の制約があるらしくバタバタっと館長さんの司会で舞台挨拶が始まりました。

実は私自身は14:10に自分の心で黙祷してたので、はじめの出たしを聞き逃してしまいました。
舞台挨拶の内容は、私が聞いたことを伝聞調でお伝えしようと思います。
ただし、聞き逃しや聞き間違いなどもあることと、監督が話したそのままを書いておきたいので少し文章としておかしなところがあります。その点はご容赦頂ければ幸いです。

館長さんの質問に監督が答える形でインタビューが始まりました。

一周忌を迎えて、三浦春馬さんに対しての気持ち

この映画は“孤独”をテーマにしていて、ひとりの人間が愛と向き合うか?という物語でもあるので、その意味を生かすために俳優は彼ひとりで、監督とスタッフも日本からはかなり少ない人数で上海へ行ったようです。

そんな濃密な時間を(春馬と)一緒に過ごしながらも、監督は映画のことばかりで、彼自身の個人的な部分はあまり見ることができてなかったそうです。
ある時はコーヒーを一緒に飲んだり、お茶をしたり、他愛もない話をしたり…。あと撮影の途中でいろんなことがあったのだけれども、それも全て幻のように感じるとおっしゃっていました。

実際には日常的なくだらない話もしたけれども、こうなって、もっといろんな話をしておけばよかったと思うのが人の常ですよね、と。
彼がいなくなったと言われても、何かあまりそういう感じもしないそうです。人間っておそらく、幻と向き合っているんだなと。

だから、われわれは今、生きていて、隣にいる人たちや一緒に住んでいる人たちがいるんだけれども、それもすべて常に幻と化する。そういうことから、今度は自分が教えを乞うというか、教えられた感じがしていて、なるべく人とシンプルにちゃんと今できること、やれることに向き合わないとと思われたそうです。

『ただひとつだけ、映画がすごいことは、映画を観るとですね、確実にいるじゃん、春馬いるじゃん、ここにいるよね。
それが俳優として実際にいたという存在証明を映画ができた瞬間であり、映画ってそういう力もあるんだと、常に思う1年でしたね。』


メインキャストを三浦春馬さんに選ばれた理由

実は監督の個人的な理由から始まっているようです。
お嬢様が三浦春馬くんのファンで、当時は高校生ぐらいだったとか。
ブラッディマンデイをしきりに見入る娘を見て、監督は三浦春馬という俳優を知ったそうです。

『こういう感性なんだ。あの子はたぶん、国内だけではなく世界に出ていけるような空気感のある俳優だな。で、品がいいですよ。僕からすると三浦春馬というのは、すごく品がいい。
その表情の動かし方とか、声の出し方とか上げ方、喋り方とか声がキレイですよね。』

そんな春馬の魅力をさらにこうおっしゃいました、微妙にその美しさだけではなく、その奥に裏打ちされたなんか闇みたいなものを表現するのが上手いと。決して分かりやすくない物語のときに、彼のような謎めいた雰囲気でミステリアスな感じがとてもマッチするということです。

共同でシナリオを書いていた方と、『三浦春馬はイメージです』と共有できていて、当て書きのように彼のためのものでもあり、何ものでもないけど品のよい感じのイメージで作ったようです。

最初からそういう方向性で、物語も分かりにくい結末、そして観客が考える作品ではあったけど、当時はとにかく分かりいい映画が増えていた時代だったので、そうじゃないものを三浦春馬の表情も含めてそこにあやかりたいなと思って作られたそうです。
また、結論はあるはずもない作品だから、何を愛として受け止めるのか?彼自身がそれを体現する、そんな物語を作ろうとしたようですが、なかなか成立しなかったそうです。ちょうどその時アミューズさんも彼をアジア進出させて世界に売っていきたいという感じだったので、一緒に海外の企画コンペに出すことになったとか。そうしたら、中国の出資者たちがたくさん来た!

「主演は誰だ?」と聞かれて「三浦春馬だ」と答えると、中国の人たちは“恋空”を知っていて、恋空の彼はいかにすごかったか!というのを説明してくれて熱狂されてたそうです(笑)
三浦春馬が演るんだったら出資したいと、監督たちが想像していた出資額を上回り、ぜひ上海でということで、ALL上海という流れになったようです。

その時、監督が春馬だけを連れて行くのがよいと思ったとのこと。あとは世界の中国圏の俳優たちとちゃんと共演させることが、彼にとってのステップアップになると思われたということでした。

            ♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥

監督がとても春馬のことをよく見ていて、彼のためにそして作品のためにできることを考えて…という気持ちがたくさん詰まったお話をお聞きしました。

かなり長くなってまいりましたが、この後、撮影現場でのエピソードや当時の春馬について感じたこと、中国4,000スクリーン規模のお話、監督からのメッセージと、まだまだ続きます。

今回は前編ということで、後日にまた後編を投稿させて頂きます。
しばらくお時間を頂きますが、お楽しみにお待ち頂けると嬉しいです♡

後編はこちらです↓


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