アルヴァレンチ:光学時代-誰が為の-
兄貴が死んだ。
本当は俺が死ぬ筈だった。
この国を支えるエネルギー、それは人の命だ。
決して豊かとは言えないこの小国では、数年に一度、生贄を要するそれは必要不可欠な装置だった。
いつしかその装置は、弱者や つまはじき者を都合良く屠る装置ともなっていった。
生贄を捧げなければいけない間隔は、捧げた人間の精神の強度により変わってくる。エネルギーの生成メカニズムなど俺が知る由もないが、兄貴から聞いた話によれば、自我の強い者ほどよく耐えるというシステムらしい。
現王の名の下、今年の生贄は俺に決まった。
好き勝手に反逆的な歌ばかり歌っていた俺が鬱陶しかったんだろう。
やれるものなら やってみやがれと息巻いたが、兄貴に薬を盛られた様で、目覚めた時には全てが終わっていた。
兄貴は王の側近だった。
身体の弱かった兄貴はよく激務に押され体調を崩していたが、そんな時は双子である事を利用して入れ替わり、俺が業務をこなしていた。性格は違えど、兄貴のフリは幼い頃から慣れている。
兄貴は王に心の底から仕えていたが、その場その場の感情に流されて事を下す姿勢が、俺はどうにも好きになれなかった。正直に言えば身体が弱い事を予め告げなかった兄貴にも責はあると思うが、一番傍に居た兄貴の身体の事も見抜けないような王だ。なぜ兄貴はあんな王に仕えたいと思ったのか。それだけが未だに分からない。
***
ある日、俺の家の近所をうろつく怪しいガキを捕まえた。
窓から覗き込んだり ぐるぐると家の裏手へ回り込んだりするもんだから泥棒の類かと思ったが、話を聞いてみると天涯孤独な迷子の旅人のようだった。
ポスティナと名乗ったそいつは、まるで悠久の時を生きてきたかの様な与太話を語る。
ポスティナはここまでの道すがら、かつて神々が暮らしたというあの聖なる大陸で様々な種族と関わりを持ったらしいが、人間の無差別的な侵攻によって今や あの大陸には他種族の居場所は無い。
「声のする方に歩いていって、ねむくなったら その場でねむって、それから目をさますと、もう けしきが 全然ちがうんだよ」
「鉄だらけのまちで お兄さんに心配されたり、機械人間のみやこで つかまって機械にされそうになったり」
「機械人間?」
「つい300年くらい前に、海を越えた大陸の方で開発が進んだ技術じゃの。騙るのであれば呼吸や発声の動作をうまく真似る必要があるが、髪から皮膚まで ぱっと見は人間とそう変わらん」
兄と共に暮らしていたこの家の大家をしているエルフの爺さんが、唐突に話の間に入ってきた。この大家は、俺の代わりに兄貴が死んだことを知っている。兄貴が事前に話をつけていたようで、兄貴が死んでからは俺の後見人のような存在だ。爺さんは僅かな頭髪をぼりぼりと掻きながら、たいして興味がなさそうに 持ち出した文献を放り投げる。
文献によれば機械人間の都市は100年ほど前に、集団で自発的な機能停止をして滅んだらしいが、このガキの与太話を信じるなら、コイツは少なくとも100年以上は子供の姿で生きている事になる。
言動はイマイチ釈然としないが、もしコイツが「人ならざる者」ならば、密かに計画をしていた事を実行するために利用できる事に気がついた。
「ポスティナ、しばらく此処に留まってくれないか。協力して欲しい事がある」
***
「陛下」
表情筋を無理やり動かし、普段通り兄貴の真似をする。
口角は、常に20度上がった逆への字口。
目尻は気持ち気だるげな表情になるよう細める。
声色は明るめだが淡々と。不快感は与えない。思慮深く深みのある発声。
「我が国に不法入国した者を捕らえました。尋問をした所、流れの盗賊のようです。国民から犠牲を出さずに済みますし、贄にするには丁度良いかと」
「む。確かにそれはそうだな。お前も常々装置の犠牲者を減らしたがっていたし、民から裁きの要望が出ている者達も今年は得票数が同率だ。同率である者から一人選ぶと角が立つかもしれんし、国外からの害悪を贄にするのも悪くはなかろう」
「ご理解をありがとうございます。ではそのように手配しておきましょう」
ほら。お前は気づかない。兄貴がこんな、貴賤によって人の命を軽んじる提案なんて、する筈がないのに。
やはりこんな奴に国の舵を任せてはおけない。
兄貴じゃなくて、コイツが生贄になるべきだったんだ。
つつがなく事が運ぶ事にいっそ苛立ちを覚えながら、地下の牢屋へ向かう。
一番奥の人目に付かない牢獄の前に立ち、小声で中の人影に話しかける。
「ポスティナ。協力ありがとう。不衛生な場所で過ごさせてごめんな」
「だいじょうぶ。こういう所でねむること、たまにあるよ」
「たまにあるとしても、俺がお前に同じ仕打ちをして良いという理由にはならないだろ。今晩は俺が牢の番を買って出たから、皆が寝静まったら装置の間に王を捕らえるワイヤーを仕掛けるのを手伝ってくれるか?それが終わったら引き上げ牢にも細工をする。明日、装置の間へ引き上げの際にその細工を利用してうまく抜け出してくれ」
「わかった。あとでやり方、おしえてね」
数日話し込んで分かったが、ポスティナはふわふわしてるが素直な良いヤツだ。そのうえ教えた事はすぐに吸収して、その時々の生活に活かせる。単に自我が希薄なだけで、能力自体は高いのだろう。
***
翌日。贄の儀式。
民が一堂に集まり、レクター王が荘厳な立ち振る舞いで演説を始める。
演説が終わり引き上げ牢がガタガタと音を上げて昇ってくるが、中身はもぬけの殻だった。ポスティナはうまく抜け出せたみたいだな。
「……む、アルフレイア。贄の者が見当たらぬようだが……」
「ご安心ください、しっかり用立てております」
この時を待っていた。怪訝な顔をして振り返るレクター王を尻目に、勢いよく装置の捧げ口を開くレバーを下げる。
「贄になるのは、陛下です」
瞬間、昨晩仕掛けたワイヤーが王の足を捉え、絡めとり、締め上げる。
王はそのまま為す術もなく引っ張り上げられ、まるで振り子のように揺れながら捧げ口の真上に吊るされた。
「乱心したかアルフレイア!!」
群衆の見守る中、レクター王のひしゃげた叫びのみが木霊する。
ここまでだ。もう兄貴のフリをする必要は、ない。
嘘で固めた表情筋が、雪崩のように崩れ去る。
俺は一呼吸、ゆっくりと空気を肺に取り込んでから、一言一句噛み締めるように言葉を放った。
「まだ判らないか。俺はアルフレイズ。アルフレイズ・ブラックベリーだ」
***
どれだけの時間が経っただろう。いや、もしかしたらほんの数秒の沈黙かもしれない。
みるみると青ざめていくその髭面は、それは愉快なものだった。無理もない。長い間腹心だと思っていた男が、数年前に殺した男と入れ替わっていたのだから。
「兄貴は心からあんたに仕えていた。だがあんたは兄貴の気持ちを無視して俺を消そうとし、結果兄貴は俺の代わりに犠牲になった。いい加減気付いただろう。あんたは腹心を裏切ったんだ。これはその報いだ」
「…け……」
「計略だ!!これは私を貶める為にお前が講じた陰謀だ!」
レクター王は打って変わって顔を真っ赤に染め上げ、唾が飛び散る勢いで捲し立てる。
「お前がアルフレイアを身代わりにしたのだろう!心優しいアルフレイアだ、実の弟に頼まれるなり脅されるなりすれば、応じてしまうに違いない!」
「俺が望んで兄貴が死んだなら!!こんな事はしてねぇんだよ!!!」
「兄貴は俺がこんな事して喜ぶような奴じゃない!!俺があんたに復讐するって事は、兄貴の行動を全部ふいにするって事なんだよ!兄貴の!想いを!!踏み躙ってんだよ俺は!!!そうまでしてでもあんたが許せなかったんだ!!!あの兄貴が、身体の弱かった兄貴が血反吐吐いてまで守ろうとしたお前に、俺に!そんな価値があったのかよ」
「返せよ、兄貴を、 返せ…!!」
目玉が痛い。穴という穴から液体が滴っている。きっと今の俺は生まれてこの方、一番の酷い顔だ。
兄貴、ごめん。折角兄貴が庇ってくれたのに 俺、 我慢できなかった。
重すぎる沈黙。張り詰めるような静寂。
レクター王の顔から赤みがすっかり引いた頃、王は目を伏しながら鼻で大きく息を吸い、項垂れたように呟いた。
「……私も、アルフレイアを失うことは本意ではなかった。故に私は甘んじて、この結末を受け入れよう。だが、どうか一つだけ、約束をしてほしい」
「私が消費され切ってしまう迄に、この国を、こんな装置など必要としない国に変えてくれ。それはアルフレイアのかねてよりの願望であったし、私も心は痛めていたのだ。つまはじき者を体よく排除する仕組みとして利用している……そのような声は裏から度々耳に入っていたし、近年は実際、世論に流され そういう者たちを優先的に贄にしていた。嗚呼そうだ、その通りだ。我が祖先、我が王家が目指した より良い統治は 民の暮らしを豊かにしたが、同時に民の心は貧しくしてしまった。それを私は、認めたくなかったのだ」
そう言い終わると、レクター王は民衆に向かい檄を飛ばした。
「民たちよ!装置の停止は我が国の文明を間違いなく退化させるだろう!だがこの装置を際限なく使い続ける事は、同時に国そのものの滅亡に繋がるだろう!私は思考を放棄して問題を先送りにしてしまった。この呪いを育んでしまった事に対しては、もはや酌量の余地は無い!故に私は罪を背負い、同時に此処に願おう。私の命が尽きるその時まで、どうか彼を支えてやってはくれないだろうか」
民衆が困惑した表情でざわつき始めるが、王は構わず続ける。
「装置を停止した上で少しでも文明の退化を食い止めるには、国民が一丸となり問題解決に取り組む他に道はないのだ。無理に己が何かを成そうとする必要はない。また対極の立場にある者を感情のままに殲滅する動きも悪手だ。君たちはただ、彼と共に最悪を回避する術だけを模索し共に歩んでくれ」
***
***
***
朝日が眩しい。
思わず腕で光を遮り、目の前に映った皺枯れた手を見つめる。
あのレクター王の処刑から50年。
ついに装置が次の生贄を欲っする時がやってきた。
ずっとこの日の為に身を粉にして手を尽くしてきた。
先王の言を守り装置の停止に協力的な者もいれば、与えられた豊かさを失う事に耐えかね逃避をする者も居た。
避けられぬ現実と課題を前にして、何を優先するのかを決めるという事が斯くも難しい事というのは、今までの民たちであれば想像する事も難しかっただろう。それだけ俺たちは、惰性で生きる事ができる環境に飼い慣らされてしまっていた。
レクター王の最期の言葉のお陰で大多数の国民は未来を考えるという決断に至ったが、本当に全ての民が一丸になれた訳ではない。人はそう簡単に己の価値観を捨てられるものではない。理解しようとする意思の無い者もいれば、理解したくとも理解が及ばない者も大勢いる。俺だって、あの最期の言葉だけでアイツを許せた訳じゃない。なけなしの誠意だと言わんばかりに装置は異例の年数でエネルギーを生産し続けたが、完全には足並みの揃わなかった50年で、十全の用意ができたとはとても思えない。
それでも、辛うじて飢えずに生きていけるだけのエネルギーを確保する算段はついた。代表者に踊らされた意思ではなく、一人一人の意志を反映させた、国家全力の策だ。ここからまた、少しずつ豊かになるための努力を重ねていくことになる。
やれるだけのことはやった。あとはもう、成るようにしかならないのだ。
たっぷり時間をかけて深呼吸をした後、俺は 装置に手を伸ばした。