第二章「石の港」
第一節
「そろそろ港じゃな」波に揺られて早六日、遠くを見据えて放たれたアルファの声に、うずくまっていた頭をゆっくりと上げる。
船には慣れたつもりだったけれど、大船と小舟ではまた揺れかたが違う。こちらも大分吐かなくはなった。でも、ぐわんぐわんと大きく船体が波打てば、それを追うように頭がたわむ感じがする。
「リィレや、ちぃとばかり漕ぎ手を代わってくれんかのう。アウリン風に変装をせんといかんきに」そういうとアルファは櫓の位置をぼくにたくして、顔一面になにかを塗りはじめた。
「ミリテスであることを隠さないといけないんですか?」
「うむ、此の港の者共は、異種族に敏感というか、自分らと違う見目の者にあまり良い顔をせんでのう…。嗚呼、汝は見目が普通のアウリンと変わらんから、すんなり受け入れてくれるじゃろうな。安心せい」ただ念の為、翼は隠しておくんじゃぞ、ほれ。と、化粧の合間をぬって、ばさりと外套を渡される。
「なんか、嫌だね。そういうの...」渡された外套を羽織りながら呟いたことばに、アルファはすこし苦笑いをしながら、「我も思わん事はないが、過去に異種族から海賊行為でも受けたんじゃろうて」顔、首元、うなじ、腕…次々と慣れた手つきで塗っていく。
「グリテスには特に厳しくあたる様を見るに、恐らくバーディン海賊団が主な天敵ではなかろうかのう。全く、此方としては良い迷惑じゃい」塗りのばした化粧の上に更に細かい模様を描いていく。
「あいつら、頻繁にこの辺りに現れるんですか?」
「否、昔は数も多かった様じゃが、ここ数十年はナリを潜めて居るのう。汝らを襲ったのもバーディンだったか?珍しく現れたと思えば、また遠い所に出たもんじゃ」
よし、こんなもんかのう、とアルファがいうと同時に手でいくつかの印をむすび、その流れで両頬をたたく。その瞬間、全身の化粧がぼわり、と勢いよく煙をはなち、煙が晴れたころには、ぼくの目の前にはアウリンの青年が姿をあらわしていた。
「す、すごい!本当にアウリンに見えますね!」おどろきの声をあげると、「そうじゃろう、そうじゃろう〜」と得意そうにアルファがのけぞった。
「魔力の篭った白粉の上に陣を組む事で発動する魔術じゃ。魔素ではなく魔力の状態で粉に力を定着させるのが技要りで在るのと、こうして発動の準備に手間こそかかるが、ミリテスにも容易に扱える優れものでのう。何より発動してしまえば三日は保つし、水で濡れ落ちる事も無い。我の祖先が編み出したものなんじゃが」
「アルファのご先祖さまが?」
「エルフとミリテス、双方の血を引く者故の発想よな。我が祖先ながら敬服の至じゃ」
***
港につくと、アルファは馴染みの宿屋があるといい、まずは船着き場からすぐの宿屋に向かった。
六日ほど水浴びもせず小舟の上にいたから、ぼくらの体は少し、いや、正直かなり臭う。
港の船乗りさんたちからは、「オレ等からすればちびっと汗臭い程度だぜ」と笑われたけれど、こんなに長い間水浴びをしなかったのは生まれてはじめてだ。
「ザーヴァン、二ヶ月ぶり?程かのう?あれから腰の具合はどうじゃい」
「おうアルファ!どうしたオメェ、いつもの仕入れにしてはえらく間隔が短けぇじゃねえか。なんか仕入れ忘れたか?」腰はオメェの処方してくれた湿布薬のお陰でだいぶ良くなったぜ、と、樽のように体格のいいおじさんが顔を出した。
「此奴はザーヴァン、港の商会を仕切っておるオヤジじゃ。ザーヴァン!来て早々に済まぬが風呂を貸し切ってはくれんかのう?」ぼくに軽く紹介をすると、アルファはそのおじさん――ザーヴァンさんの方に向き直ってお風呂のお願いをする。
「おう?そいつぁ構わねぇが、オメェいつからそんな風呂好きになったんだ??それともそこの坊主が潔癖症かなんかなのか」
「うむ、ちぃと成り行きで貴族筋の送迎依頼を受けてのう。今回は買い出しでは無く、此のボンをレインティアまで送り届けるんじゃ」
「カァーッ、レインティアっつうと、山向こうの聖地じゃねぇか!また随分と遠出な依頼を受けたもんだなぁ」ガキどもは放っておいて良いのかよ?驚きながら、つるっとした額を一叩きする。
「なに、前回の買い出しでルダに舟道は教えたでのう。彼奴らも体はそろそろ立派な大人じゃい。精神的にも自立させんとドドやレイに顔向け出来んわ。兎にも角にも、風呂は貸し切りで頼むぞい。金はしっかり払う故!」アルファが目をつむりながら手を合わせると、ザーヴァンさんはアルファの背中を叩きながら、
「なんだい、水クセェ。オレとオメェの仲だ、宿泊料だけで勘弁してやらぁ!丁度あと数刻で風呂は掃除が入る時間だ、ちゃちゃっと入ってきちまいな!」
「おお、其れは有り難いのう!少なくない額を持って来たつもりでは在るが、路銀は多いに越した事はない故」
アルファがいうと「違ぇねえ」とザーヴァンさんはガハガハ笑った。
更衣場の戸を閉める時、「おお、そうだ坊ちゃん」とザーヴァンさんは思い出したようにぼくに声をかけた。
「この商会長ザーヴァンの直営宿は、港で一等の風呂が売りだからな!長湯はさせてやれねぇが、サッパリ楽しんできな!」
第二節
扉を開けると、むわっと暖かな霧がぼくを包んだ。
あたり一面湯気の泉だ。もしかして、この港ではお湯を使って水浴びをするのだろうか。
ぼくがもじもじと戸惑っていると、「応、もしかして、リィレは湯浴みが初めてで在るのかのう?」とアルファが顔を覗き込んできた。
「は、初めてです…火傷とか、しないんでしょうか」そう聞き返すとアルファは「あっはっは」と微笑ましそうに笑い飛ばした。
「慣れん者はするかも知れんのう〜」と続け、それから大浴場のすみにある泉をゆびさして、「もし不安で在るなら、あの湯槽を使うと善かろうて。彼れは肌の弱い者達の為に、ぬるま湯が溜めて在るきに」
アルファに勧められた湯槽にむかい、恐る恐る足先をつけてみる。じんわりと、温かな感覚がつたわる。
腰のあたりまで沈み、通気窓の側のふちに腰掛けると、スッとした磯の香りと涼風が鼻や額をなでた。
いつものひやっとした刺激がないぶん、意外にも体がすんなりと受け入れてくれる。柔らかくふやけていくような感覚は、普通の水浴びより好きかもしれない。
これは長く入っていられないのが惜しいな、と思いながら、ぼくはアルファに声をかけられるまで初めての湯浴みを楽しんだ。
***
早朝で宿の食堂は丁度仕込みの時間だったので、ぼくらは朝食を見繕うために市場へ向かった。
そこには見たことのない果物や野菜がたくさん並んでいて、色とりどりの絵の具を飛ばしたような光景は、人々の声に負けず劣らずの賑やかさがあった。
乾物類は故郷への帰路に耐えることができたので、半年ごとに交易団がたくさん買い付けてくれていたのだけれど、長旅に耐えられない生鮮食品はおみやげ話を聞くにとどまっていた。だから、自分の目で見られたことにひとしおの感動をおぼえる。
「うむ、感涙している様で何より。此方も連れてきた甲斐が在るというもんじゃ」
「…ぼく、そんなに顔に出てました?」
「港に来てからは割にキラッキラのお目目じゃのう」
よく分からないけれど、なんだか恥ずかしくなってきた。これからはなるべく顔に出さないように気をつけよう。
顔を気にしながら市場を眺めていると、見慣れた果物をみつけ足が止まる。
「ルルベルの実だ」ぼくがつぶやくと、アルファは興味あり気に横から顔をだす。
「果物の乾物じゃのう。汝の島でも採れるものか?」
「はい、ぼくの島でも扱っている交易品のひとつです。これと同じように乾燥させたものや、発酵させてお酒にしたものをたくさん船に乗せているのを見たことがあります」生で食べると中々個性的な味なんだけど、と付け加えながら、幼い日の渋顔をしたぼくを思い出した。これはじいやの好物だ。生モノを食べる習慣がないぼくらなのに、あまりおいしそうに食べるものだからしつこくせがんで、ひとくち分けてもらった記憶がある。記憶の中のおぼろげな味が鼻先をかすめ、思わず苦笑いする。
「ふむ、果実酒か…。折角じゃからついでに買って置くとするかのう。リィレにとっては故郷の味じゃ、汝には乾物の方を一袋見繕おう」
「あ、ありがとうございます…」あの一件以来、ルルベルの実は口にしていないのだけれど、アルファの好意を受け取らないのも…とひるんでいると、ぼくの手に一袋の乾物がわたされる。流れるような手さばきで会計が済まされていき、ぼくは只々お礼をいうことしかできなかった。
あれからずいぶんと経っているし、これは乾物だから、味も多少は違うはず…もしかしたら、おいしいと思うかもしれない。後で、挑戦してみよう。うん、あとで。
第三節
朝食を済ませると、ぼくたちはそのまま伝言屋さんと手紙屋さんに行くことにした。まずは伝言屋さんだ。
市場の突き当たりを左に曲がって、三回階段を上がった先の通路を二つめの角まで進み、そこから右手の階段を十五段下りたところにある、らしい。なんだかややこしい。
道の途中、視線を感じたような気がして目をむけると、おくの通路を大きな猫が通った気がした。
伝言屋の老夫婦は優しい笑顔で伝言をことづかってくれた。
街についたらまずは伝言屋に寄ること。これは国から国へ旅をする者たちの決まりごとらしい。万が一はぐれてしまった時のためにと、旅に出る前にじいやからも教わっている。まさかこんなはぐれ方をするなんて、夢にも思っていなかったけれど。
***
次に手紙屋さん。こちらは伝言屋さんの裏にある細道から、ちょうど街のまん中にある広場へ出たあと、文房具屋さんの隣の階段を二回下りて右の踊り場、だそうだ。
「ふむ、手紙屋に行けば道具は一通り揃って居るが、旅の途中で何かしらを書き留めたい事も在るやも知れぬな。リィレや、欲しい道具が在れば遠慮なく言ってくれい」アルファがそういってくれたので品物を見てまわっていると、一冊の日記帳が目にとまる。真鍮細工がきれいだ。みょうに既視感を感じるのは不思議だけれど、これに似た日記帳を、兄が持っていたのかもしれない。
「お気に召されたものはありましたか?」文房具屋の店主さんがニッコリと声をかけてきたので、「ええと、この日記帳とか、きれいですね」と返した。
「いいですね!この日記帳、私もお気に入りなんです!一説には、昔砂漠に住んでいた少数民族の紋様との話もありますよ」
「砂漠の民族…」砂漠というのは砂でできた海のことだと、昔じいやに聞いたことがある。砂漠にも島があるのだろうか。なんの気もなしに、窓から砂の海を眺めながら日記をつけるぼくを想像した。
日記帳といくつかの便箋、万年筆を買い、文房具屋さんを出たところでまた視線を感じる。
女の子だ。大きな猫ではなく、黒ずくめの女の子。よく目を凝らすと、黒い頭巾からは銀色に光る髪と白い獣耳が垂れている。ぼくは絵巻の中でしか見たことがないけれど、猫のような特徴にアウリン的な体つきはおそらくクーガー族だ。
こちらが目を凝らしたことに気づいたのか、女の子はまた、スッとおくの道に消えてしまった。
***
あと数刻で太陽が真上に輝くころ。この町での用事をすべて済ませたぼくらは、ザーヴァンさんの酒場で食事を楽しんだ。
食べた料理はすべておいしかったけれど、中でも宿屋で一番の人気料理だという魚とオリーブ油のスープはすごかった。
まるまる一尾を使ったスープは見た目も大迫力だし、皮もパリパリに焼かれていて、にんにくの効いたスープに絶妙な香ばしさをあたえてくれる。
島でも麓までいけば魚料理は食べられたけれど、こんなに刺激的な料理はなかったと思う。交易団の人たちは食べ慣れているだろうから、この料理が麓の村にないのは島での再現がむずかしいからかもしれない。なんとか代用品で作れないかなぁ。
「話も聞いてくれないの?ちょっと横暴がすぎるんじゃないかしら」
食事を終えてお腹を休めていると、なにやら酒場の入口の方で店員さんとお客さんが揉めているようだった。
「何が横暴なもんか。害獣の吸う空気はここにはねぇぜ、さあ帰った帰った!」
「納得がいかないわ。あたしはただ、迷子になった妹を捜しているだけよ。何も危害は加えていないし、加えるつもりもない」
「加える加えないの問題じゃねえんだよ!お前みたいなのが店に入ってきたら、他の客が出ていっちまう。それだけでも立派な害だぜ」
女の人は先ほど見かけた少女に似た、銀髪と白い毛並みのクーガー族だった。
「おうおう、俺の店で揉め事起こす奴はどいつだ?」喧騒の中でも一際響く野太い声で、ザーヴァンさんが酒場の奥からどすどすとやってくる。
「ザーヴァンさん!こいつ、獣人のくせに店の中にズカズカ踏み込んで来やがったんです」
「どんな奴でも金を払えば客だろう?俺は対価に見合った対応をするまでだぜ」そう店員にいって女の人に手を差し出すザーヴァンさんに、女の人は銀貨を数枚わたそうとするが、「じゃあ俺はこいつを追い出すのに銀貨十枚だ」「俺も銀貨五枚を出すぜ。獣くささが飯に移っちゃたまらねえ」他の客たちが割り込んできてその手に自分たちの銀貨をのせていった。
ぼくが顔をしかめる となりで呆れた顔のアルファが首を振り、「やれやれ…。其処な御仁、話はザーヴァンの代わりに我が聞く故、一度町の外に出て腰を落ち着けようではないか」
「言いたい事がない訳でもないけど、ここは大人しくそうした方が良さそうね。わかったわ、先に門の外で待ってる」そういうと さっさと外套で全身を隠して、女の人は出ていってしまった。
「すまねぇな、アルファ。町の奴らも大分穏やかにはなったんだが、こういうのが完全に無くなるにはまだ時間がかかりそうでよう」日常を取り戻して活気づく酒場の声に潜めるように、ザーヴァンさんは小声で耳打ちするように謝った。
「なに、我には術が在るでな、あの娘には悪いがあまり気に病むでないぞ。それに三十年ほど前に較べれば、アウリン以外の者が町中を歩けるだけでも大進歩じゃて」
「俺としてはそろそろ異種族への偏見も捨てて欲しいところなんだがなぁ…あの姉ちゃんにはお前さんから謝っといてくれ」そういって姉ちゃんへのお詫びの品だと差し出してきたお弁当の包みを、アルファはまた苦笑いをしながら受けとっていた。
***
町から街道へつづく門へ出ると、門からすこし離れた木の陰に、さっきの女の人が寄りかかっていた。
「ザーヴァンから謝罪と詫びの品を貰ったぞい。随分癒えては来たが、あの町は海賊共から受けた傷がまだ残っておる故、ああいう過激な者も少なく無い。汝は壱分も悪くは無いのじゃが、どうか赦してやって貰えると有り難いのう」そうアルファが謝ると女の人は首を振って、
「こちらも情報不足だったわ。最近は私の故郷からあの港へ買い付けに出る人もいると聞いていたから、てっきりもう差別はなくなってるものと思ってた。妹の占いにも払拭の相が出ていると聞いていたし、柄にもなく油断したわね」
「ほう、妹君は占い師か。そういえば酒場でも妹君の事を話して居ったが、話と云うのは妹君の行方の聞き込みかのう?」
「あら、話が早くて助かるわ。そうなのよ、あの子、しょっちゅう ぼうっとしてるから…。あたしもあまり目を離さないようにはしていたんだけれど、食糧の買い付けをしている間にふらっと居なくなっちゃって」ため息をつきながら眉間を抑える。
「あの…ぼく、その妹さんを見かけたかもしれません」
「本当に!?なんてこと、ようやく手かがりを見つけたわ!あの子はどこに居たかしら?」
「伝言屋の途中の道と、文房具屋の近くで見ました。目があったらすぐに奥へ隠れてしまいましたが…」毛の色が同じだし、たぶんあの子であっているはず。
「あの子、そんな奥まで行ってしまっていたのね。すぐ探しに行かないと」急いで町に戻ろうとする女の人を、アルファが「まあ待てい、娘御よ」と制止する。
「昼飯時もそろそろ仕舞いじゃ。先程の酒場の者共と鉢合わせる事も在るかも知らん故、妹君の捜索は我等に任せて、汝は此処で此の弁当でも広げて待たれるが善かろう」
けれど女の人は眉をしかめて「悠長に食事をしている気にはなれないわ。それこそあの子が、酒場の奴らみたいな差別主義者に絡まれていたらと思うと気が気じゃないもの」
「ううむ、難儀じゃのう…。相分かった、急ぐ故に部分的な処置にはなるが、汝に我の変化術を授けよう。毛深い者にも効けば善いのじゃが…」そういうとアルファは化粧の道具を準備しはじめた。
第四節
イザベラと名乗った女の人と、アルファ、そして ぼく。
変化の施術後、この三人で手分けしてイザベラさんの妹さん――ハーニャさんというらしい――を捜すことにした。
伝言屋さんと手紙屋さんの時にも思ったけれど、この街はすこし無意味な段差や脇道がおおい。ぼくの島にも階段は多かったから、上り下りはそんなに苦に思うことはない…にしても、上った先で、すぐ同じくらい階段を下りたりするのはなぜなんだろう。
恐る恐る街の人にハーニャさんのことを聞いてみた――さいわい、差別的な人には出会わなかった――けれど、全員獣人の女の子は見ていないようだった。
最初に見かけたのが裏路地のほうだったので、ぼくは人通りの少ない細道を中心に探すことにした。
細道に入ってしばらく捜すと、道の端にちょこんとうずくまっている、鞠をかかえた女の子を見つけた。お昼に見かけたあの子だ。
「君は、もしかしてハーニャさん?」
「…ハーニャ、名前、です」こちらを見上げて数秒見つめたあと、自分に指を刺しながら答える彼女。
「よかった…!お姉さんがずっと捜してたんだよ、一緒にお姉さんのところへ戻ろう」安堵の気持ちで手を差しだす。
くきゅるるる。
ふいに子猫の叫びのような、可愛らしい音で彼女のお腹がなった。イザベラさんの話によればお昼前から迷子になっているのだから、当然といえば当然だ。何か食べさせてあげなきゃと周囲を見わたすけれど、ここは住宅街の小道みたいで、食べ物を売っているお店は近くになかった。
「えっと…ルルベルの実の、干したやつなら持ってるよ。よかったらどうぞ」そういえばと今朝アルファが買ってくれた乾物があることを思い出し、ハーニャさんに差しだす。彼女は恐る恐る鼻を近づけてくんくんと匂いをかぎ、おずおずと受け取った。
「…おいしい、です」
「そっか、よかった」
「あり、がと…」
彼女の口には合ったみたいだ。
残り二、三個まで頬張ったあとに、はたと気づいたように袋を僕のほうへ差しだし返す。ちょっともじもじしている様子から察するに、ぼくが食べていないのに全部食べてしまうのは気がひけたのかもしれない。
人に食べさせて自分は食べないのは、なんだか要らないものを都合よく処分しているような気持ちになるので、ぼくも一粒つまみ上げて口へ放り込む。
ぎゅっと詰まった甘味と酸味が口の中に広がる。芳醇な果実の香りは、幼い頃のえぐ味のある味とは大きく違っていた。
「おいおい、こんな所にも害獣がいるじゃねえか」
ふいに、がらの悪いおじさん達がぼくとハーニャさんに話しかけてきた。
「色が同じだなァ、あの獣女の家族かぁ?」どうやら酒場でイザベラさんを追い出したやつらの仲間みたいだ。
「か、彼女に手を出さないでください」
「なんだァ?このがきんちょは。アウリンの癖に獣に味方しようってか」
怯えるハーニャさんを庇うと、強めに手首を掴まれ捻られる。痛い。
顔を歪めるけれど、そのとき、突然小石が飛んできて、手を掴んできたおじさんのこめかみに勢いよくぶつかった。
「ぐぁッ」おじさんは短い悲鳴をあげて倒れこむ。
残ったおじさんがぎょっとして小石が飛んできた方を向くと、細身の青髪の人が ぬっ…とぼくたちとおじさんの間に入ってきた。
アウリンの髪色は大抵、金色・亜麻色・栗色などなので、青い髪の人を見るのは初めてだ。初めてのはずなのに、ぼさぼさの青い髪をなびかせるその後ろ姿に、何故かひどく懐かしい気持ちを覚えた。
「な、なんだぁ?この毛玉野郎!」
「不気味な奴め、やるってのか!?」
口々におじさんたちが威嚇するけれど、青い人はまったく動じずに腰を落として構えはじめた。
一瞬ぼうっとしたけれど、はっと我にかえると「ぼ、暴力は だめです!」と咄嗟に青い人を止めてしまう。
すると青い人は「だめか、そうか」とひと息考え込んで、
「では逃げよう」
そういうとぼくらの手を引いて、くるりとやってきた方へ走りだした。
上ってはすぐ下り、角をまがって、細い路地裏を何度も抜ける。青い人が率先して道を走ってくれるけれど、ぼくとハーニャさんの足ではおじさんたちから逃れきる速さは出せそうになかった。
「ああ、もう、どうして、こんなに、入り組んでる、の!」息切れの合間をぬって思わず叫ぶと、青い人は数秒考えたあと、ぼくとハーニャさんをひょいと抱えて走り出した。
「登ってすぐ降れば、攻めに迷いがうまれる。細い通路も敵の各個撃破にむいている。地理の把握さえしていれば、こういった土地は身をまもりやすい」走りながら、淡々とこの地形の"良いところ"をあげていく。
「この狭さなら、飛行も困難だ。小回りのきく種族は別だが、もしグリテスあたりが相手なら、足腰が強くないので尚有利に戦えるだろう」
グリテス――ああ、そうか、海賊対策のための地形なんだ。
やっぱり少し解せない部分はあるけれど、酒場でのあの異種族の嫌い様とアルファの言葉を思いだし、けっこう根深い問題なのだと納得してしまった。
***
「助けてくださってありがとうございます。ぼくは、リィレといいます」
おじさんたちを振り切って、門を出たところで下ろしてもらう。あんなに走ったのに息のひとつも乱していない。街の人ではなさそうなのに地形にも詳しそうだったし、一体なんの人だろう。
「シャルヴィス。礼には及ばない。匂いが違うお前たちなら、話が聞けるかもしれないと思った」
「お話ですか?」
「人を探している。でも、住民からは何も聞けなかった」今日はよく人探しに立ち会う日だ。この街がふくざつだから?また迷子だろうか。
「探してる人の手がかりは得られなかったという事ですか?」
「わからない。話しかけると、みな逃げていく」顔はよく見えないけれど、もさもさとした頭がしゅんとする。
「…とりあえず、聞き込みをするなら少し髪を整えた方がいいかも…」
鞄から くしを取り出して渡したけれど、扱い方がわからないようだったので代わりに髪をすいてあげた。
多少の汚れはあるけれど髪自体にはそんなに傷みがなく、初めはぼさぼさしていた塊も くしを通せばすんなりと解れていく。なんだかまた懐かしい感じだ。なんでだろう。
髪をすいている最中、アルファのように耳が尖っていることに気づく。瞳の色は髪と同じ透き通るような青色だ。多少特徴の差はあるけれど、彼もアルファといっしょで、ハーフエルフなのだろうか。
「感謝する」
「いえ、このくらいは…それより、探している人というのは?」
「翼持ち」
翼持ち。一瞬どきりと心が跳ねて、兄の顔が浮かぶ。
「待っている人がいる」
彼は淡々と続けて、「名前を貰った。記憶があいまいだが、彼女のために翼が必要だ。もうずいぶんと翼を持つアウリンを探し回っている」遠くを見すえる瞳には一点の曇りもない。深くきらめくその青さからは、待ち人を助けるという強い意志を感じた。
「あの、ぼく、旅の途中なんです。よかったら一緒に…」
"ぼくの翼が役に立つかも"そう思って旅に誘いかけたその時、「此処に居ったか!捜したぞボン!」アルファが大声で駆けつけてきた。
「うちのリィレが世話になった様じゃのう。礼を言うぞ」
「かまわない。翼持ちの情報を得るための行動だ」
「ほお、翼持ちとな」
シャルヴィスさんが先ほど ぼくに話してくれたのと同じ説明をするのを、アルファはほうほうと相槌をうちながら聞く。
「して、汝の名は」いつかのぼくに聞いた時のように、少しだけ温度が低い声色でアルファがシャルヴィスさんに問いかける。
「シャルヴィス」
彼が再び名乗ると、アルファは少し にやついた拍子で「ほおおん、"愛しの彼"か。なんともむず痒い名前じゃ」と身じろいだ。
「してシャルヴィスなる者よ、好奇心から一つ聞くが、翼持ちに逢えたとして、その先は如何するんじゃ?」
「剥ぎ取れと言われている」
「は、はぎと…!?」物騒な表現に、ぼくは思わずびっくりして うわずった声をあげる。外套の中で背中の羽が萎縮した。
「翼を剥いでくれば、彼女は助かる」出来事を思い出すようにシャルヴィスさんはうつむいて、「ひょろ長い男が、己が目覚めたときにそう言った」と口元に手をやった。
「また物騒な話じゃのう…剥ぎ取られる側からすれば堪ったものでは無かろうに。まあ我らはお役に立てなそうじゃし、無事彼女とやらが助かる事を祈るのみじゃ」
アルファの"お役に立てない"という言葉から、ぼくの翼のことはシャルヴィスさんには内緒にする意図を感じた。できれば助けてあげたいけれど、羽をもがれると聞くとやっぱり怖い。アルファはぼくを守ろうとしてくれている。
「ああ、そういえば」ぼくが少しだけ歯痒そうにしたのを気にしたのか、アルファは思い出したような口調で
「西の山を越えた先にある夕霧の海域には、メロウとグリテスが暮らす楽園があると聞いた事があるのう。もう百五十年と前の話で在るから、現状が如何なっているかは分からぬが、翼といえばグリテスじゃ。翼を持ったアウリンの事も何かしら情報が掴めるかも知れぬぞ」と付け加えた。
再びお礼をいった後、ぼくらはシャルヴィスさんと別れた。
第五節
「いやあ、あのシャルヴィスとかいう男、如何やら単純な奴で助かったわい」
イザベラさん、ハーニャさんと共に、野営で夕食を食べる。
「西の方のってお話、ずっと昔の話なんですよね?」
「我らは経路的には北の山を越えるでの。西の方にやっておけば一先ずは安心かと思うた」目を閉じて仕方がなかったといった風にしんみりしたあと、「嗚呼然し、楽園だったという話は嘘ではないぞ?」と言いながらザーヴァンさんのお弁当をつまむ。あのあとぼくとアルファだけは一度酒場にもどってザーヴァンさんに報告をしたのだけれど、その時に昼のグレイスさんの分とは別に、新しくお弁当と貸付用の荷馬車をもらったのだ。
「我が鼻垂れの小僧で在った時分、我等は腰を落ち着ける場所を探し旅をしておってな。トラットス島にも寄っておる」百五十年前に子供…エルフが長寿なのは知っているけれど、彼は一体何才なんだろう…。
「確かグリテスのヒヨッコ共と、フルメイアとかいう別嬪さんのメロウが、歓迎の歌と舞を披露してくれたのう。島で一番の歌姫だそうじゃったがの、それはまあ美しい歌声じゃった」
「へぇ…一度聴いてみたいわね。野生の子は随分前に絶滅したと聞いていたけれど、メロウも確かかなりの長寿種よね、この旅が終わったら連れて行ってくれない?」イザベラさんが興味深そうに乗り出す。
「応、そんな事になって居るのか…構わんが、リィレの家族探しがレインティアまでの道のりで叶うか分からんからのう…案内してやれるのは何時に成るやら」
「あら、それなら大丈夫よ。ハーニャの占いにかかれば失せ者探しなんて直ぐだわ」
「なんと、其れは誠か!」
ぼくの前にきて目を閉じ、かかえていた花模様の鞠をすっと持ち上げるハーニャさん。
「手を、…」と言われるままに鞠にぼくの手を添えると、そのまま何やら声でリズムをきざみ始めた。
鞠の中の水晶がわずかに光って、ぼくの羽がざわりと震える。
魔力を使った占いのようだ。
「ほぉ、魔占術か」
「術って程でもないけれど。あたしの一族に伝わる導唄という古歌よ。ハーニャには才能があったみたいで、ああして魔具を使えば望む道の先をある程度示してくれる」
唄が終わるのと同じくらいに、羽のざわつきも落ち着く。ハーニャさんがゆっくりと目をあける。
「お兄さん、会え、ます」
あ え る ―――。
その一言で、突風が吹いて目の前がすっと晴れるような気持ちになった。
生きてる、んだ。 生きてる。
「ほ、ほんとに…!?」
「まだ遠い、けど…邂逅の、相…。導きのまま、すすむだけ…」
「おおお、善かった、誠に善かったのうリィレ!!」ぼくの目頭の熱さと同じくらいの勢いで、アルファが号泣しながら手をにぎってきた。そうだった、アルファは家族の話に弱い。一瞬びっくりして涙がひっこむけれど、先の見えない暗路を信じて進むはずだったことを考えると、その灯りは、とても深く目に染み込んでくる。
「あ、りがとう…ございますっ…ぼく…ずっと、不安で……、十二年…、」
「泣くにはまだ早いわよ、涙は再会の嬉し泣きに取っておきなさい」ふふっと眉を少し下げながら、ぼくの涙を拭ってくれるイザベラさん。
「あたし達もあなた達の旅についていくわ」突然の申し出に、
「いいんですか?」鼻をすすりながらきき返す。
「導唄の占いはあくまでも指標、確定した未来ではないわ。一つの事象につき占えるのは一度きりだけれど、手を替え品を替えで精度を出す事はできる…それに、あたし達なら他にも色々役に立てるわよ?」そういうとイザベラさんは胸元のバッジを指さす。質のよさそうな真鍮細工のそのバッジには、クレオメの花をあしらいに錠と鍵のシンボルが描かれている。
「成る程、噂屋か。此れは断る理由がないのう」
「よろしくお願いします、イザベラさん、ハーニャさん」
「さんだなんて――『イザベラ』、『ハーニャ』でいいわよ。仲間になるのだもの、姉妹だと思って気軽に接してちょうだい」
「は、うん…わかった」
お姉さんと、――ハーニャは妹だろうか?兄以外に兄弟はいなかったし、ずっとひとりで育ってきたから、なんだか胸のあたりがむずむずする。
「あ〜〜〜、いいのぉー、初っ端から敬語無しとは、実に羨ましいのぉーーー。我と話す時分もそろそろ『ですます言葉』が抜けんかのぅ〜〜〜?」アルファがくちゃくちゃとお弁当をかじりながら じと目でこちらを見てくる。こういう所はちょっとどうかと思う…。けど、確かにひとりだけ敬語というのも、なんだかおかしい気持ちがした。
「わ、わかった、わかったよ!がんばるから、とりあえずくちゃくちゃはやめようねアルファ」
希望と安心感を得た状態での談笑。それがこんなに楽しいとは。
今日は久しぶりによく眠れそうだ。
第二章「石の港」 完
余録
おまけマンガ
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