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まとめノート
まとめノートを作るのが好きだった。
中学の時、テスト前にノートを提出していた。まとめノートを作ったら、一緒に提出して良かった。全員ではないけれど、そこそこの人が別ノートを提出していたと思う。
小学校の授業内容は全然覚えていないけれど、中学に入って、教科書に書かれていない話を教師がしていた。雑談ぽかったり、解説だったり、小話だったり。板書されないその言葉をノートの罫線の上に、そういう言葉だとわかるように書き留めていた。(公式ではない言葉はあまり繰り返されずに、さりげなく語られることを知ったのは、つい最近のことだった)
まとめノートでは、板書と教師の話を、色を変えたりしながら混ぜ込んでいた。ようは復習を促されていただけなのだけれど、ノートを作るのは好きだった。
言葉を書くと、自分が何を書いているかわかっているのかわかっていないのか、鮮明にわかってしまう。時折よくわからなかった教師の言葉は、まとめノートからそっと削除された。
勉強する、というのは、私にとってずっと「まとめノート」を作ることだ。
学生じゃなくなってもまとめは続いた。特に高知にいる時は、事前にこういうことを想定してこういう準備をする、実行する、想定とどこが違うか、偶然の要素とそもそも間違っていた部分とをまとめる、予習と復習のダブルコンボになっていた。
そういうことを繰り返してきた。
そういうことをしていると、必ず言われる。「真面目だね」「すごい」
その言葉に含まれる冷やかさ(学校行事に真剣になる人への冷めた目線のような)を、昔から感じていた。資格取ってそれがあなたの幸せなのかな、学ぶことじゃなくて交流することが目的なんで、そんな言葉さえ耳に入った。
最近気づいたのだけれど、堪え性がないから惰性で過ごすことができないだけのような気がしている。少しでも楽をしたいし、楽をするために知識を得たいし、飽きないように色んなことを知りたい。
教師の言葉を書き留めていたのは、飽きないようにしていたんだと思う。
1日8時間、週5日。その時間を惰性で過ごすことは退屈すぎて、耐えられない。
この耐えられなさに、15年近く振り回されてきた。
この耐えられなさと、何者かになりたい欲求はあまりにも相性が良かった。もっと自分に相応しい場所がある、とよくある方向に拗れていた。
接客業も飲食業も、そう言えばまとめノートを作ったりしていなかった。その場その場でのやり取りが重視される接客業は、まったく向いていなかったけれど、ある程度の繰り返しが要求される事務職では「まとめノート」が役にたった。
村田沙耶香の『信仰』を読んで、(あ、私才能ないわ)、とすとんと腑に落ちた。ちっとも通らない審査結果に悔しがるよりもずっと、(あ、)ってなった。
たぶん耐えられなさで、書き続けていた部分もある。それは惰性とも言える書き方だった。
でもなんか、エッセイ的なものならお金が貰えなくもないことがわかっていて、今送っているものは、ちょうどエッセイから小説に入れないかと試みたものだった。つまりだから、妙な意地を張らずに私小説を書けばよかった。
耐えられなさは、すぐにすべてを手放すことに繋がっていた。
それが今、まだこうして繋がっている。
最近、同じタイミングで入社した派遣の、たった一人の同期が「もっとやりたいことがある、ここで3年働いても」と一年足らずで退社していった。「もったいないよ」と私に言って。
惰性で3年過ごしたら、そうだね、と言った。まとめノートは更新され続けている。
動揺を見透かすように、そのタイミングで時給が上がった。
とりあえず今、カフカを読んでいる。
二十歳そこそこの頃に読んだときのことをもう何も覚えていないけれど、たぶん、Kの「正しさ」に飲まれていたと思う。耐えられなさをどうにかして耐える、そういう物語はまだ読めなかった。
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