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【第一章‐Ⅰ】毒薬を使う用意はあまりに簡単に整った

対象範囲:新潮文庫「海と毒薬」31ページ~44ページ

舞台は戦後の東京から、戦時中の九州に移ります。

医学生の勝呂戸田は、結核の治療を担当する医局に所属し、日々研鑚を積んでいます。医学生には直接関係ないものの、医大の中では、次期医学部長をめぐる勢力争いが勃発しています。

「おやじの回診は何時に変ったんや」

「おやじ」というのは、勝呂と戸田の医局のボスである橋本教授のことです。(おやじという愛称、どういうニュアンスなんでしょうね。ちょっとこれはよくわかりません。)

「あさましい世の中や。そんなにみんな、医学部長になりたいものかな」

若き日の勝呂のピュアさ

戸田と勝呂は仲良しコンビで、今日もいつものように研究室で作業しながらくっちゃべっています。彼らが担当する大部屋患者も個室の患者も、15時までは絶対安静というルールがあり、彼らは毎日昼下がりに駄弁りながら標本作成だのなんだのしているんでしょうね。

勝呂は同じ研究生の戸田と話をするときは何時も片言の関西弁を使う。学生時代からいつの間にか二人の間ではそういう習慣が作られていた。昔はそれも彼等が自分たちの友情を暗黙のうちに証明する符牒だったのだ。

この二人は、お互い関西人でもないくせに、二人で話す時はエセ関西弁なのです。かわいいなあ。映画版「海と毒薬」でも二人のシーンはわたしでもわかるほどのエセ関西弁で、ほんとにかわいいです。若いというか幼いというか。本音を語るのに、ちょっと言葉を捻らないと恥ずかしかったりしたんでしょうか。

えっ、「昔は」って書いてありますね!?今は…?

はい、今は、戦時中の医業という特殊な状況のなかで、二人の価値観が食い違っていることがこの先で描かれます。

「おばはん―――の」

勝呂は、自分の受け持ちの患者さん(勝呂にとって担当する初めての患者さん)を親しみを込めて「おばはん」と呼んでいます。おばはんは施療患者(貧しくて無料で医療をうけている患者)で、病状もあまりよくありません。

「変な感傷はよせや。一人だけ助けても、どうなるねん。大部屋にも個室にもダメなやつはごろごろいてるやないか。なぜ、おばはんだけに執着するのや」

これは戸田のセリフです。全ての資源は限られているというのに、経過が芳しくないおばはんのためでも試薬や工数といったコストを惜しまない勝呂に対して、戸田は批判的です。

勝呂はドライな戸田に対して「(俺、あの患者が俺の最初の患者やと思うとるのや)」というピュアな胸の内を告げることが、恥ずかしくてできません。おそらく勝呂は、特殊な理由によっておばはんに執着しているのではなく、単純に目の前の患者を切り捨てることができない善人なのです。むしろ、きれいな女性や、幼い子どものような、「特別救いたい患者なのね!」と思われるような患者像ではないことにより、勝呂の人の好さが一層強調されています。若き日の勝呂は、そんな憐憫が今の時代の医者に求められていないことも害になることもわかっていながら、それでもそこに居る患者を救おうとしてしまう善人なのでした

「みんな死んでいく時代やぜ」(中略)「病院で死なん奴は、毎晩、空襲で死ぬんや。おばはん一人、憐れんでいたってどうにもならんね。それよりも肺結核をなおす新方法を考えるべし」

これも戸田のセリフです。戸田はクールでドライでよく喋りますね。

このセリフは刺さりました…。「目の前のことが気になるのはわかるけど、小さい問題に固執していても仕方ない。どうせ全ての課題を掬えるわけでもないんだし。どうせ頭使うならもっと根本的な問題解決を考えなよ」みたいなことは、仕事で言われたような気もします。(これを同期に言われたらちょっとうざいですけど笑。)でも、「目の前のこと」がどんなに数が少なくても、人の命だとしたら…?自分にとって譲れないものだとしたら…?いくら効率を重視したくても、割り切れないこともありますよね。勝呂の気持ちはとてもよくわかります。そんな「青い」(戸田に言わせれば「甘い」)自分のことを恥ずかしく思っているのも。

そういう複雑な学内の内情は下積みの研究員にすぎぬ勝呂にはハッキリ呑みこめなかった。もっとも呑みこめた所でそれが自分の将来とは深い関係があるとは思わなかった。(俺の頭あ、浅井さんや戸田のごと大学に残る頭じゃなか)と彼は考える。

めっっっっちゃわかる。わかるよ勝呂。まず飲もう。何にする?わたしレモンサワー。

これは勿論「現時点では関係ないと思っていた(が後に思わぬ形で火の粉が降りかかる)」という話です。偉い人たち、上の人たちの政治的な話って、そもそも興味がないし、仕組みや制度も自分はよくわかっていないから、「上の決定があるからどうなるのか?」とか全然わからないです。更に、自分は一生研究していくようなインテリ層でもないし。「難しいことはわかんないし打算的・効率的にもなれないけど目の前の問題からは逃げたくない」という甘くて青い若者、それが勝呂でありわたしです。ほんとに勝呂へのわかりみがすごい。あと戸田についても「こういう人いるよねえ」って思います。

ちなみに「浅井さん」とはこの医局の助手のことで、女性的な声のインテリ眼鏡キャラです。出世を狙っていて、政略結婚の噂まであります。たぶん目が細くてキツネのような顔をしています。戸田や勝呂からしたら、一番年の近い上司、といったところでしょうか。

学生時代から勝呂はおやじを遠くから眺めては、一種神秘的な恐れと憧れとのこもった気持を感じるのだった。

こんなの、わりと自由意志に従って就職した新卒社員からは「それな」スタンプの嵐でしょう。特に医学部みたいに学生時代と卒業後が密接なところなら余計にそうだったことでしょう。これも伏線ですね。こんなにかっこいい尊敬している先生だったのに……?と後半で効いてきます。

勝呂は乳色の靄のずっと向うに黒い海を見た。海は医学部からほど遠くないのである。

直前まで「おやじの様子がなんか変」と不穏な空気が漂っています。そこでちらりと見る海。いつでもそこにある海。

海、海を忘れないでくれ勝呂……(フラグでしかない)。

眼の前にいる偉い先生たちが自分のことを話しているのだと知って息をつめ、申しわけなさそうに頭を幾度も下げた。

これは、診察を受けているときのおばはんの様子です。おばはん含め患者さんたちは、「お医者様」の言うことならなんでも聞きます。インフォームドコンセントも自己決定権もあったものではなく、ただただ古典的なパターナリズムだけがそこにあります。この人たちは自分が言ったことならなんでも聞く、とわかっているシチュエーションこそ、人の倫理や良心が試されるわけですね。


Ⅰ編では、病院の内側の景色、そして患者に対するときの外向きの在り方と景色が描写されています。とりあげませんでしたが軍人もちらほら登場してきて、今後の軍部との関連をにおわせます

この時代の日本における常識で日常だったとしても、患者や勝呂の置かれる状況がきちんと説明されています。それにより、こうして時代を越えて共感を得られる作品になっているのだと思います。

人1人の命が軽んじられてしまう世の中、医学部長の椅子を争うための院内へのアピールの必要性、命令すれば歯向かうものはいない環境……「普段だったらしないこと」をしてしまうことへのハードルを下げる情報がどんどん出てきて、「何か起こりそう」という予感、そして特に「日本人的」な「『なんとなく』で全て決まりそう」「誰も止められなさそう」「誰も責任をとらなそう」という身に覚えのありすぎる不健康な空気も、同時に描かれています。

「海と毒薬と私」INDEXはこちらです。


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