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すきなもの…趣味編

今日は趣味について。

手芸には人生がある

やはり好きなのは「ミシン」と「編み物」。

人形遊びが好きだったので最初に興味を持ったのは布。
母方の祖母が洋裁と和裁が得意だった影響もあるかも。曽祖母は手毬作りがプロ並みにすごかった。
母の妹もパッチワークにハマっていてコレクションも作品もかなりの質と量だった。

人形の洋服は高価でなかなか買ってもらえなかったから自分で色々作っていた。作るというより、ハンカチとリボンだけ、着物のハギレと紐みたいな妙なものもわたしの中では服だった。従姉妹に一式譲るとき、何これ、服じゃない、と放り出されたけど、叔母はすかさず、これは着物みたいに巻きつけてリボンは帯みたいにとめるのかしら?と理解してくれて、布好きにはわかるんだなと感心した覚えがある。

中学でのパジャマ作りにはじまり、スカート、ブラウス、色々作ったけど、一枚の布が立体になっていくのが洋裁の醍醐味。工程ごとにアイロンをかけて丁寧に作ると、仕上がりも美しくなる。ミシンがけもちょっとしたコツがあり、難しい布は避け、縫いやすい布を選ぶ。直線は速く、曲線はゆっくり。曲線もずっと直線を結んでいくような考え方にするとうまくいく。直線しか縫えない道具でもほんとうに自由自在に好きな形を作れるのが好きだし面白い。

一本の糸から形ができる

編み物は、一本の糸が形になっていくのが面白い。
最初にハマったのは、たまたま昔のセーターを解いたあとだった。母は祖母から解いたセーターでまた新しいセーターを作ってもらったものだった、と言っていた。そんな話を聞きながら、セーターのメリヤスや縄あみの目をほどきながら、縄あみは巧みに交差させて編むことや、メリヤス編み、ガーター編みは横に統一、ゴム編みは縦に統一した編み方であることや、目を増やしたり減らしたりできることがわかり、編み図の意味も理解できるようになった。

編み物は時間だ。そして私にはこの編む時間はレメディだと思う。棒編みだと、表か裏か。鍵編みだと鎖の中にいくつ入れるか、鎖の長さをどのくらいにするか。単純なことの積み重ねで複雑な模様や形ができる。棒編みだと組み合わせで複雑な模様ができるし、鍵編みだと複雑な形ができる。ものごとは難しく考えなくてもいい、多分イエスかノーの二つしかない。ある立場から見てイエスでも、ある立場からはノーで、立場を変えれば同じこと。単純なことの繰り返しで複雑なことができる。あきらめないこと、繰り返すこと、続けること。

編み物は人生かもしれない。

手作り系は好きで、服作り、編み物、パッチワーク、ビーズアクセサリー、ビーズ編み、刺繍、組みひも、フェルト…といろいろやったけど、ミシンと編み物が残った。色々飾るより形作るのが楽しいし、色々揃えなくてもいいのがよくて。

さらに歳を重ねて、ミシンを使えばあっという間に縫えるし体力の衰えも関係ない。編み物はだいたい見えればなんとかなるから、海外のお婆ちゃんたちが編み物してるのは理にかなってる。失敗してほどいてもまた楽しく編みなおせるのもまたよい。

最近は編み終わりたくないので、わざと時間をかけてゆっくりほどきながら編む。作品を仕上げることが目的じゃなく、時間をかけてほわほわの柔らかい毛糸と優しい色で、自分の心の修復をしているのだ。

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