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機動戦士ガンダム 水星の魔女 第1クールの感想と、第2クールへの期待

第1クールが終わったので感想を書く。

長かった学園編

まず正直に言うと、リアルロボットファンの私にとっては終盤になるまで退屈な場面が多く、「ちゃんと全部見よう」という気持ちがなかったら途中で視聴をやめていたかもしれない。

学園モノとして若者達の人間関係に時間が割かれていたが、自分との年齢差からか感情移入はできなかったし、大人という立場で見ようにも「もう高校生なんだから自由にさせればいい」という感じがしてしまった。

ただ、ほとんどのキャラに対しては感情表現が自然に描かれており、一部キャラへの違和感が際立つのも意図的なものだろう。クオリティという意味では十分に高いものなのではないか。

結局のところ、私が学園パートをつまらないと思ったのは好みの問題というか、ガンダム好きとしての限界なのかもしれない。例えばある程度大きくなった子供などいれば、もっとコメントすることがあったように思う。

終わりで描かれる始まり

最終話では、そんな平和な学園生活を送っていた主人公がテロに巻き込まれ、ガンダムに乗って初の実戦をすることになる。これは、従来のロボットアニメでは第1話で描かれる場面を、第1クール最終話に持ってきたという見方をすることもできる。

詰め込み過ぎで唐突な展開もあったが、結果的に最終話自体は非常に良かったと思う。私はオジェロ(肌の浅黒い地球寮生徒)が理解不能な状況に叫ぶ姿を見て、「蒼き流星SPTレイズナー」での「誰か説明してくれよ!」を思い出した(リアルタイム世代ではないので聞きかじっただけだが)。なるほど平和な日常に尺を割いたのには、非日常を受け入れられない態度をリアルに見せる目的があったのか。

ただ毎週放送するアニメ作品として考えると、それまでの展開を受けつけない層が1クール視聴するのは娯楽というよりは教養になるかもしれない。ハードな展開のPROLOGUEを無料で先行配信していることからも、このことは制作側は重々承知であり、最初からネットでの盛り上がりも含めてのエンタメなのだろう。

第2クールがどのような構成になるかは分からないが、また学園生活に戻るにせよ、惨劇を経験した登場人物は今までと同じように振る舞うことはできない。表向きそうする場面が描かれるだろうが、視聴したときの印象は変わってくるはずで、それを楽しみにしている。

大人たちの多面性

私は第1クール前半までで「大人たちが単純化され貶められている」と感じていたが、これに関してはだいぶ払拭されたと思う。

PROLOGUEでは惨劇の仕掛け役、本編では学園の最高権力者という立場で、序盤は他人の意見・意志を尊重しない態度が目立ったデリング。7話での発言は「子供の意見を聞かないのには大人なりの理由がある」というターニングポイントであったように思う。不器用な性格も露わになり、最終話でミオリネと合流したときのやり取りは非常に好きだ。

分かりやすい悪党であったヴィム。権力を握るためにデリングの暗殺を謀るというのは許される行為でないし、そもそも短絡がすぎる。怒りを露わにする姿も見苦しく描かれていて、グエルへの接し方は言うまでもない。最後に生き様を最低限フォローしつつも、報いとして死なせるというのは唐突ではあるがいい最期だったと思う。

あと良心的だが頼りなく見えるベルメリアもいいキャラ造形だと思うし、人道に反した「悪」であるペイル社CEOらも㈱ガンダム設立を歓迎し単なる「敵対者」とは違うことが示されている。毒親からの解放がテーマとも言われているが、大人たちが「敵であり即ち悪」にならなくて本当に良かった。

シャディクに対する評価

シャディクというキャラクターは子世代でありながら物語を大きく動かす役を演じた一方で、その内面はあまり描かれていない。視聴者の間でも評価が分かれているように思う。

序盤では学園が抑圧的な環境として描かれており、その中で器用に立ち回るシャディクにいい印象は持ちづらい。第8話で保守的な大人たちに対する不満を口にしたかと思えば、ミオリネを守るためと言って策を弄する。そして第9話でのやり口は、手段を選ばないというよりセコい上負け方もカッコ悪く見えた(正直、作劇上の意図にしろ話としてつまらなかった)。

その後ミオリネに見限られる場面はあるものの、悔しがったりという表情は見せなかった。誰かに咎められたり嘲笑されるシーンはなかったはずで、具体的に何か実害を受けたような描写もない。グエルやエラン(強化人士4号)と比べると、ノーダメージなのが際立つ。

そして涼しい顔をしたまま最終話の惨劇を作り出し、ミオリネの事を言及されても「運が良ければ生き残る」と突き放す。ここまでくれば明らかに道を踏み外しているので、どこかで報いを受けるのは確実だろう。

間違いなく彼は悪役であって、一見颯爽とした態度も未熟さの表れだと思っているが、ミオリネとの関係性が心証を複雑にしているように感じる。今のところ私は「大人の悪い所を真似した子供」だと思っているが、第2クールで暴かれる正体が楽しみだ。

スレッタの異常性

最終話Cパート、最後の最後でスレッタがテロリストを惨殺するシーンは第1クール最大のハイライトで、ここには製作陣からの強いメッセージが込められているとみて間違いないだろう。

水星の魔女という作品を見て全体的に感じたのは、従来のガンダム作品における「カッコよさ」が排されていることだ。もちろんスレッタはやるときはやる主人公で、会社経営を通じてミオリネは目覚ましく成長している。だが彼女らは戦場に生きるヒーローでも、そこに食らいつこうとする若者でもなく、平和の中で生きる子供たちでしかない。

自分の分の昼食がないことすら言い出せないオドオドした女の子だったスレッタが、「やめなさい!」と蚊のように人を潰すのは衝撃的で、明らかにカッコいいという描写ではない。笑顔のまま血まみれで手を差し出す姿も、ミオリネの言う通り猟奇的だ。

今までのガンダム主人公の多くは敵の命を奪うということに対して十分向き合っており、躊躇なく殺しているように見えるのも戦場では容赦しないという兵士としての覚悟だ。この辺、鉄オルの主人公である三日月は一風変わっているようにも見えるが、虐げられた境遇で育った彼にはアウトロー的な魅力があるともいえる。

しかしスレッタの場合、無邪気な笑顔から「明らかに人を殺したのに、それによる感情が全くない」ようにしか見えない。もしコクピットから飛び出したあと泣きながらミオリネに飛びついたり避難するよう促したのなら、意識がそちらに向いていたというだけの話になるだろう。

プロスペラとの親子関係は、一種の洗脳を受けていることを示唆していて、この一件もその根拠であると見なす向きが多い。私はそれが自然だと考える一方で、逆にスレッタが「普通」だというのも面白い(メッセージ性が強くなる)かもしれない。

第2クールに期待すること

分割2クールの第1クールが終わったので、残りは半分となる(すぐ続編が制作されて実質4クールになる可能性もあるが)。謎のほとんどは解明されておらず、新たに「クワイエット・ゼロ」なる計画まで登場している。伏線は回収すべきなのと、やはりガンダムである以上SF要素は人間ドラマに絡めていってほしいと思う。

また忘れそうになっていたが、アスティカシア高等専門学園における決闘の不公正さや、ミオリネがホルダーのためのトロフィーとして扱われていることなど、理不尽なシステムに関するフォローも欲しい所だ。

そして、アニメというものは見ていて楽しいだけでなく、人生について考えたり勇気づけるものになるべきだと考える。私はWや00、ガンダム以外だと「コードギアス 反逆のルルーシュ」の台詞から自身の思考を補強してきた。今のところまだないが、そんな名台詞が今作から出てきてくれたらと思う。

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