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10年ぶりにゲームを作って、2年でSteamに無料公開した感想

私は学生時代「ゲーム作る」、ばかり言っているワナビーだった。だが、就職活動で「ここまでできる奴を取らないならゲーム業界は間違っている」とか思いながら有名どころのゲームメーカーを受けて当然のごとく一社も受からなかったので、今は別の仕事をしている。noteを始めてすぐの頃、この辺の話をもっと詳しく記事に書いたのだけど、ネガティブすぎて人に読ませる内容ではないので非公開にした。↓当時の試作品

それから10年間、ゲーム製作からもネットからも離れてがむしゃらに働き(?)、ようやく安定した生活を手に入れたところにコロナ渦がやってきた。暇になって最初はAoE2:DEに熱中していたが、「せっかくだし昔出来なかったことにもっとチャレンジしよう」ということでゲーム製作を再開することにした。

「そんなに時間は取れないし2Dゲーにしてさっさと作ろう」と思って始めたが、予想よりも大変で(というかスプライトベースクォータービューって3Dよりきついのでは)、自分で遊んで楽しいと思えるまでに2年もかかってしまった。

無料という括りで見ても総合的な完成度は低いのだが、「自分のやりたいことが実現できている」&「これ以上進めるのがきつい」という2要件を満たしているので一旦完成としてSteamでリリースした。まだ公開したばかりで数字がどう伸びるかなど分からないのだが、純粋に「出した」感想ということで今のうちに書いておく。

別に何も変わらない

まず分かったこととして一番重要なのがこれ。宣伝もなしに1作出しただけで人生は変わらないし、ましてや「クリエイターに進化してモノの見え方が変わる」などありえない。「人生が変わった」という人は1作によほどの努力をして、それによって人生が変わっているのだろうし、そもそも人生を変えたいという思いがあったのだろう。私は別に人生を変える気などなく、無理なく作ってどんな感じか知りたかっただけだ。

そういう意味だと、学生時代時間が有り余っていてもろくに完成させられなかった私が、社会人として忙しい中でも自分で納得できるものが作れたのは私の人生の変化を示しているような気がする。思ったまま自由に楽しくやることを至上としていた当時に対し、少しは考えて我慢をしながら進めるようになった。ようは凡人であることを受け入れたわけだ。

完成させる方法

それでどうやって完成させるのだが、スケジュールを立てて守ればいい。これは簡単じゃないというか、つまらなく苦しいともいえる。

まず守れるスケジュールを立てるには、工数ひいては期間の算出のための最低限の知識と、現実的なゴールを決めるための企画力が必要だ。ただ、スケジュール策定自体にも工数が必要なのでそれにも妥協する、つまりある程度はざっくりと決めるべきじゃないかと思う。(今回も、後でコロコロ変えている)

知識はいいとして企画力というとなんだか大げさだが、ようは自分でも作れて、完成して満足できるものを考えるということだ。逆に言えば、作れるものを作って満足できる状態が必要だともいえる。私の場合、とにかく「まがりなりにもローグライトアクションである」「自分でやってて面白い」の2点しか求めなかったので、かなりハードルを下げることができた。

一旦立てたスケジュールを守るためには、仕事や家事、家族との時間はともかく他の趣味よりは優先度を上げる。作業よりゲームをプレイしたりYouTube見た方が手っ取り早く楽しめるのは当たり前なので、ゲーム作ってると刹那的には不幸ぐらいの気持ちが必要に思う。仕事のストレスを趣味で癒すので一杯一杯なら創作する余裕なんてない、ともいえる。(私も以前はそうだった)逆に言うと、創作で辛くならないためにはスケジュールにはある程度余裕を持てという意味にもなるだろう。

技術は要るかどうか

私の場合はゲーム内容的にAIの動作が重要で、コーディングと最適化にかなりの時間をかけたし、おかげで満足いくものになった。学生時代にプログラミングをしていなかったら、自分で遊んで楽しいゲームは作れなかった。私にとってはある程度必要だったとだけ。

交流とか進捗報告とか

自分はほとんどしていないし、したほうがいいかは人によると思うので語ることはない。ただ、手っ取り早くチヤホヤされようとするのは本当に時間の無駄ということだけは知っている(経験談)。

作って楽しいという気持ちが大事

上記のことをひっくるめると、月並みだが「作って楽しいという気持ちが大事」という話になるのではと思う。

まず完成時の反響を期待しすぎてしまう、1作目が伸びずに心が折れるパターンは、作ること自体の楽しさを忘れて手段化しているのではないか。

「作業は辛いに決まってるんだからスケジュール守るために我慢が必要」とは書いたが、苦痛でモチベーション維持が困難だと続かないのは当然だ。

技術の要不要論の話も、私は文献見てコーディングするのは楽しいし、狙い通りに動いてくれると凄い嬉しい。「なくても作れた」「あったおかげで作れた」という話は「あっても無駄」「ないと無理」みたいなマウントになりやすいので、楽しいかどうかで語ったほうがいいような気がする。

交流が目的になってるとか高尚ぶってるとかも、本当に楽しいならどうでもいい話だと思う。

最後に

繰り返しになるが、こんな中途半端なもの上げたぐらいじゃ何にもならないので、真剣にクリエイターを目指す人はこんな記事書かない(書くとしてもさらっと流す)だろう。というか今見たらYouTubeに操作方法を理解していないプレイ動画が上がっていて世間の厳しさを痛感したところだ。チュートリアルは必須なのか…

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