機動戦士ガンダム 水星の魔女 PROLOGUE 感想
※機動戦士ガンダム 水星の魔女 PROLOGUEのネタバレを含みます。
※ろくに下調べも確認もせず一回視聴しただけなので間違いがあるかも。
私はそれなりにガンダムが好きで、VSシリーズや絆は下手なりにそこそこやったし、暇なときとか各種Wikiを見て設定を詰め込んだりしている。だが肝心のアニメ原作は実はあまり見ておらず、子供の頃見たWやGの記憶はかすかだし、一番まともに見た00でさえ1話から見たわけではない。
子供の頃は学校の行事や習い事やらあったのでリアルタイムで必ず見れたわけではないし、ものぐさだったので録画はほとんどしなかった。さらにゲームとインターネットに傾倒し始めると、自分は何もせずに見るだけなのが退屈なのと、毎週必ず決まった時間というのが億劫で、ほとんどアニメはみなくなった。
なのだけど、突然だが「機動戦士ガンダム 水星の魔女 」を全話見てみることにした。ついでに感想も毎週書くことにする。理由はというと、最近対戦ゲームをやっても一向に上手くならない上、ムキになって時間と体力を浪費してしまうので、あんまり目と神経に負担のかからない趣味を開拓したいと思ったからだ。(ちょうど今も、GUNDAM EVOLUTIONで週末を溶かしてしまい本編第一話の放送直前にあわててこれを書いているところだ)
前置きが長すぎたので、3日前に見た前日譚「PROLOGUE」について気になったところをさっさと書いていこう。
なんかGレコっぽい?
いやGレコ全く見てないけど。「魔女」っていうオカルトワードが出てくる一方で風景が∀ほど牧歌的でなく、「宇宙時代における信仰」がテーマになるんだろうか。
ガンド排除の理念
PROLOGUEでは、敵役が本作における義肢技術である「ガンド」を忌まわしきものとして排除するという名目でその研究開発施設を襲撃してきた。その論拠は
というようなものだったと思う。
1は、旧作で見られた、強化人間やバーサーカーシステム、ブーステッドマンなど敵役の技術を連想させる。最近は、阿頼耶識など味方サイドにもこういったパイロットの心身を犠牲にした操縦システムが出てきている。
もっと気になったのが2で、なんかWのゼクスやトレーズの発言を思い出した。もちろん悪役なので、言っている本人が前線に出ていないとか納得できないようになっているんだけど、物は言いようというか。
戦争=人を殺すというテーマ
終盤、主人公は偶然起動したガンダムで出撃(母親も同乗)し、無自覚なまま敵を撃破する。なんと主人公が4歳にして人を殺してしまう。ガンダムシリーズといえばカッコいいロボットが戦う作品なのだけど、そこで人が死ぬということは毎回重要なテーマとして扱っている(G除く)。
当然、やらなければ自分が死ぬ状況なのだが、敵MSの爆発を見て「ろうそくみたいでキレイ」と主人公が喜ぶシーンはこの話のハイライトだろう。もちろん、描写上戦いを避ける、殺さずに済ませるという発想が浮かばないように描かれており、このへんはきっちりガンダムなのだと分かるようなっている。
ここまで書いて10/2の16:55になってしまったので、テレビ前に移動することにする。30分後はもちろん1話目の感想を書く。
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