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作っていれば楽しい、という心

自作ゲームにCPUの動作を実装した。動く敵と戦えるようになりゲーム性のようなものが見えてくると、作るのが一気に面白くなる。

例えば、接近戦でお互いが同時に格闘攻撃を仕掛けようとした場合。のけぞりがあるシステムなので、先に武器を相手に当てたほうが打ち勝つ。すると小振りなモーションのほうがかち合いに強くなるため、雑魚キャラに地味なモーションでカウンターを決められてしまったりする。

これを「格闘主体の敵なので、接近戦は避けるべき」と考えるならそのままでいいが、「旧式の武装相手だから、真っ向勝負なら勝てないといけない」のなら修正が必要だ。今回は後者なので、攻撃判定の無い振り被りのフレームを設けてかち合いに弱くした。

「有利フレーム数」みたいな計算も出てくる

また、機体に持たせる射撃武器のモデルを修正していると、モーションも弾の性能も同じなのに、撃った時の「感触」のようなものが変わることに気づく。ビームライフルを作るときに、ブルパップ方式のステアーAUGから着想を得て後方に重心が寄った形状にしてみたところ、妙に癖があって扱いづらい感じになった。

なんかボンドの先っちょみたい

これも「規格外の新兵器」とみるか「新標準となる武装」とみるかで違ってくる。今の独特なデザインも捨てがたいが、オマージュ元的には後者が正しい気もする。もう少し使いやすそうな形状のモデルに差し替え、今のモデルは試作型にでも転用するのがいいかもしれない。

こういったことを積み重ねていけば、理想の作品に近づけるに違いない。若い頃熱中した作品を多少なりとも自分の手で再現できるのは非常に楽しみだ。ふといいアイデアを思いついたりすると、仕事中でも思考が引っ張られそうになる。

有償で販売するわけでも自分を売り込むわけでもないので、実益はないといえる。あくまでも趣味でしかないというか、「好きなようにしかやらない楽しさ」を掲げているので、あまり魂を吸われすぎるのはよくないだろう。

それでも、ただ遊ぶだけでは得られない充実感があるし、何というか余計なものが吹き飛んでいく感じがするのが良い。今の時代、見ているとモヤモヤするようなものばかり目に入りがちだが、そんなものは自分に関係がないと思えてくる。

前に書いたように私の人生の中で「ゲームを作りたい」というのは原点ともいえる意志であるし、生活に影響が出ないようには注意しつつ、しばらくは熱中してみることにしようと思う。

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