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就活地獄変

 5月も終わりになり、内定が決まった方も多くいると思われます。
私は今年で入社三年目になります。残業も幾分かありますが、難易度やペースを色々総合して、それなりに楽しく働いているつもりです。

 そんな私の就活は、オリンピックバブルが予想され様々な業界で人員の増員が計画された結果、内定率が5月時点で80%とか騒がれていました。現在就活を行っている皆様と比べるととてもイージーだったのだと思います。
でも私は結局、10月まで就活を行っていました。
もう3年経過したので時効だと思い、精神的な苦痛を受けたエピソードを中心に記載していきたいと思います。就活生の方がこれを読んで、「なんだこいつこんなことでダメージ受けて雑魚かよ」と思っても「この人と同じような状況でも私のほうがマシ」でも何でも構いません、ある一つのケースだと思って軽く読んでみてください。

① 小売業をあざ笑う老害一次産業向け出版社

 まず私は当時、夢である「出版社の編集」を目指して就活を開始しました。SFが大好きだったので早川書房を受け、エンタメを網羅しているKADOKAWAを受けました。学歴フィルターなどにより箸にも棒にも掛からなかったわけですが、何よりも説明会が面白かったので、こちらは満足して今でも就活の楽しい思い出です。早川書房さん、KADOKAWAさんありがとうございました
 これら第1希望がはねのけられてしまったので、次にと動いたのは専門型の出版社です。教科書を作っている会社、各企業の社内報を編集する会社など様々ありましたが、私が選んだのは「農業系出版社」でした。もともと高校時代に農作物を育てる部活に所属していたためある程度の専門用語には自信があり、大学4年間はスーパーマーケットでアルバイトをしていたので、食材に関しても自信があったからです。こういった出版社は何社かあるのですが、私が受けたのはJAが持つ「家の光協会」(名前は怪しいですが農協の出版社です。)と「農山漁村文化協会」です。前者は就活サイトでエントリーし、後者は大学に届いていた求人票から受けました。家の光さんは面接やテストに行く度に雑誌をお土産にくれたりする上、最終面接で自分がトチって不採用になってしまったので何も恨みはないですが、問題なのは後者でした。
 農山漁村文化協会は、求人票上は学歴不問としていたものの、実際には自然科学系の人間を求めていたらしく、面接では「なぁ、出版社だと思って受けに来たんでしょ?全然違うからな?」から始まりました。幹部の70代くらいの老人が、6~7人、図星とはいえずらっと並んだ面接で唐突にそんなことを言われてもこちらとしても焦るばかりでした。
その後、「農業についての興味」を聞かれて「高校三年間農業を行う部活に所属しており、子供たちの田植え体験のサポートなど」みたいな話をしても薄ら笑いながら「いや子供のお遊びじゃないんだし」と返され、「農家さんに取材しなきゃいけないんだけど、コミュニケーション能力について」と聞かれた場合に私は「スーパーでアルバイトを続けているため、接客業務や、食材の知識などには自信があります」と答えたのですが、「スーパーごときでコミュニケーションを語られても困るよ。おかしいでしょ」と返されてしまいました。
 学費をねん出するために、サークルに入らずバイトの日々を続けていた私にとって、この発言はとても我慢できず、悔しい思いをしました。いままでお世話になってきたスーパーの社員さんの顔が浮かんで、それらすべてが「ごとき」とされたことが悔しくてたまりませんでした。明らかに表情に出たのか、そこからは適当な質問に切り替わり、すぐに面接を終了しました。多分落とす前提で内輪ノリの遊びでわざと嫌味を言ったのだと今は思っています。この農山漁村文化協会というのは、典型的な老害企業なのだろうと思います。

② 夢破れ、壊れだした情緒

 困ったことに出版社が全滅し、夏になりました。大学の知り合いはみな内定をもらっており、大いに焦りました。ここで私は就活の方針を大胆にチェンジします。
就活サイトにある職種適正を信じて就活を行うことにしたのです。
1位が「ブライダル・デザイナー」で、
2位が「小売り」
3位が「SE・プログラマ」だったのです。
1位に関しては女性の大人気業界でもう枠がないはずだと思いパス、小売りは就活で無理だったらバイト先のスーパーサミットに拾ってもらおうと思っていたのでこれもパス、残ったのが「SE・プログラマ」であり、私の現在の仕事でもあります。私の学部は法学部でしたが、唯一の武器である情報処理検定とビジネス文書実務検定だけをもって、ITの門をたたいたのです。
しかし甘く見ていました。まずSIerのような会社は日本中に恐るべき量存在します。しかもネットではブラックが多いともっぱらの噂、閲覧できる情報を駆使して合計20社程度受けていました。求人自体は多くあるもののプログラミング未経験であること、特に業界に対しての展望がないことがネックになって次々と落とされていきます。元々自己肯定感の低い人間であったこともあり、情緒が不安定になってきました。「自分は必要とされていないんだ」「こんなブクブク太ったキモイ人間は誰からも信用されないだろう」、自分の中から自分を傷つける言葉が次々と現れ、精神をおかしくしていきました。
ある程度は楽しかったはずのバイトも変なお客の無理難題を吹っ掛けられたらバックヤードに戻った後、冷凍庫に入って癇癪を起して騒いで店長に注意されたり、それを見たパートさんにとても心配されてしまったり、あの頃はろくなことがありませんでした。こういった精神状態になってきた中で最大級のダメージを与える出来事もありました。

 ずっと都内で就活を行っていましたが、ある時は故郷埼玉でもいいじゃないかと、川越に拠点を持つシステム会社へ面接に向かいました。とても雰囲気が良く、地元トークで盛り上がり一次面接は突破、後日二次面接へ呼ばれました。変わらずなるべく明るく会話を行っていたのですが、二次面接から現れた部長さんにあることを言われます。
「ちょっともう、きみは受からせないから率直なアドバイスとして言うけど、同じような大学、同じような適性検査の点で、きみともう一人誰か受験生がいたとして、君は2択で絶対選ばれない人間だよ」
要は「自己アピール」が足りないよということを言っていたのだろうとは察するが、元々不安定だった精神はもう一段階悪化していきました。私は小学生のころ、正義感が強くルールを守ることを是としていたせいでいじめを受け、自己主張することが難しい人間になりました。自分が選ばれない側の人間だなんて、20年生きてて自分が一番理解していました。自信をもったことが否定され続けた人間は、こんなところまで来てもダメなのか、じゃあもうどうしようもないじゃないか、生きる価値が存在しないんじゃないか、生まれてきた意味はないんじゃないかと自分を追い詰め続けていました。大学で卒論を書いたり、本を読んだり、ゲームをしているときは元気なのですが、お風呂で頭を洗っているとき、寝る前などは「選ばれない側の人間だ」という言葉が脳内でリフレインし続け、泣き出してしまったりしていました。鳴けばなくほど脳内では新たに「泣いてどうなるんだ」「キモイ奴が泣いてもより気持ち悪いだけ」「こんなことで泣くようだからいつまでも内定が取れないんだ」と自分を傷つける言葉ばかりが現れていきました。病院などへ行けば病名はついたのだろうなと今になると思います。

③終わりに

 結局、今も所属している私を拾ってくれた会社は、②の人が言っていたような自己アピールなどは一切鑑みず、それなりのコミュニケーションが可能であることと、適性検査の結果が高い人間から順に内定を与えていたようで、無事に内定を取ることができました。その冷たさが肌に合っており、今は満足しています。現在就活で苦しんでいるならば、相談できる場所を探すと良いと思います。私は友達が少なく、就活の情報共有も行わず、孤独に淡々と動いていたのでここまで遅れ、また精神に不調をきたすほどになったのだと思います。私が働いている会社を紹介してくれたのはハローワークの新卒担当の方だったので、マイナビやリクナビに限界を感じたのならばハローワークに行くのをお勧めします。東京都内ならば、新宿と八王子に窓口があります。担当してくれた方が親身になって話を聞いてくれたので、気持ちも少しだけ楽になりました。

 また、本来ならば大学の就職窓口に行くこともおすすめです。私はいつ行っても同じ学部のチャラチャラした嫌いなやつがいて、そいつに内定もらえてないことがバレるのが嫌すぎて利用できませんでしたが、本来であればハローワークより先に利用すべきサービスのはずです。専門学校や短大でもおおむね同様だと思います。苦しんでいても、苦しんだ先には何か光はあるはずです。これを読んでくださった就活生の皆様に幸せな結果が訪れることを心から願っています。

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