現実のお金と理想の生活と自分と創作について

給料を一定量貰えたとしても、無職でニートをやっているとしても、人生がクソだと思う事があるし、希死念慮が芽生えることもある。

無職で借金生活を経験したという記事を見た。現在ではブログに漫画原作にゲーム企画シナリオまでやっている、にゃるら氏という方の記事だ。(先日NEEDY GIRL OVER DOSEは真エンドまで全てクリアさせていただいた。今思うと真エンドまでやり込む層もやり込まない層も満足のいく作品に仕上がっているのはすごいなと思う)

https://note.com/nyalra2

https://note.com/nyalra2/n/nef55e97087ba

好きなことを仕事にするのは憧れる。だから時間をかけて日銭を稼いでいる自分に、稼いだ金を無為に消費している自分に嫌気が差してくる。その自己嫌悪が鬱症状に繋がっているのだと思う。

ただ、にゃるら氏と違うのは(恵まれている…と書くのはやめておく。)自分は親に愛されて育ったことだ。現在27歳だが、今は亡き母親は(母自身がガンを患った事もあって)自分が社会人になった後も、ガンになった後も、ベットの上で思うように動けなくなっている時も、自分に対して真摯だったと思う。

自分の漫画家になりたいという夢を反対せず見守った。

なのに自分は漫画家の専門学校の週末コースに社会人になって入って、数年単位で漫画コース2回、イラスト・キャラクターデザインコース1回を経て(絶対一度受たら漫画を描き始めれば良いものを。お金と時間の無駄である)卒業後3年間筆を折った。

筆を折ってる間も、pixivで二次創作を色んなジャンルを描いたり、SCP Foundationで結果的に残らなかった記事を書いたり、discord上でゲームを共同製作する仲間を募ってお釈迦になったりと…

今思えば自分の中の『創作』に対する執着なのか、漫画家の現実を専門学校で見た後でも、自分は何かを作りたい心が捨てられなかったようです。

話が少し逸れたが、それもこれも一定量のお金があるから出来たこと。仕事に関して私は言う事はない。私もにゃるら氏同様、仕事をするという事が合わない人間なのだ。現在でもそれは続いている。

最近になってようやく、仕事に関する情報を基礎から覚えようという気になり、面白くもない参考書を買って読んでいる。その間に仕事上の上司先輩後輩同僚達からの信頼度は地に落ちているのは言うまでも無い。

今はお金を楽しんで稼いではいけない時期だと、自分に言い聞かせる。

言い聞かせて淡々とやるのが1番良いと気付くのが遅すぎるのかもしれない。

債務整理をしたのでお金は借りられない。というか債務整理やった返済先の弁護士事務所に給料の半分は持っていかれる。そこに家賃生活費etc…と重なると、殆ど残らない。paidyとかいう通販促進剤からはなるべく早く離脱したいと思う今日この頃。

生活インフラが整っていても、このように自分が満足する行動をしていないと、希死念慮や無力感虚脱感が増幅されていく。仕事は嫌いだ。でも固定された収入が無ければ今のところ食っていけないからやっているのだ。そう言い聞かせて数年。

現在。20代前半で思っていた漫画家の夢を諦める年齢になった。

漫画家の夢が再燃したのは去年の事。

自分はダンダダンの龍幸伸先生のインタビュー動画を何となく見ていた。

https://youtu.be/VkozKZtKEuA

気持ちの良いペン先が漫画原稿用紙を走る音。漫画家を目指した時の感覚が蘇ってきて、とてつもなく腹立たしくて虚しくて、動画を観終わってシャワーを浴びている中で嗚咽を漏らした。涙が出なくて呻くだけだったが、自分の中で何かが蘇ったのを覚えている。

先日、とある漫画雑誌の投稿サイトにアップした生涯3作目の作品にコメントがついた。純粋な読者の初めてのコメント。

「話の引き込み方と構図がうまい」

「画力が無いのがもったいない」

という、何ともその通りですというコメント。

同じ人から過去作から上手くなっていってるという評価も貰って、地力はいつの間にか鍛えられていたのかしら?と思う反面、散々借金をして専門学校に通った挙句、筆を折った過去の自分に後悔と虚無感を覚えるのである。

結局は物事をニュートラルに捉えるながら生きるのが1番だとは思うのだが、辛い事は辛いし、面白い事は面白いままだ。

ニュートラルになれるのは、この文章を書き連ねているときくらいかもしれませんねえ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?