RAW 〜少女のめざめ〜
映画冒頭、曇った空の田舎街の風景(この映画、全編曇り空か室内なんですよね。だから、初っ端のこの時点で気だるいフランス映画感が溢れてるんですけど。)。そこに一台の乗用車が走って来て、その前に突然女の子が飛び出すんです。女の子を避けた車がそのまま車道脇の木にぶつかって警報音が鳴り響く。車に乗っていた人たちは気を失っているのか誰も出て来ない。そしたら、その倒れてた女の子がおもむろに起き上がって車の中を覗き込む。というとこで場面が変わる意味不明で不穏なオープニング。だから、ここで既に「アンニュイなフランス映画だと思ってたらめっちゃホラーテイストじゃん、これ!」ってなるので、まぁ、最初からそういう映画ですよっていうのは言ってくれてるわけなんですが。いや、だとしても、思ってた以上に強烈な映画でした「RAW〜少女のめざめ」の感想です。
タイトルとポスターの雰囲気からちょっとオシャレでアートな青春映画だと思ってデートなんかで行っちゃう人もいると思うんですけど(実際に僕が観に行った回にも何組かいました。)、確実に気まずくなるのでやめといた方がいいと思います(内容分かってて来てたんだとしたら、ちょっと二人の馴れ初めとか聞いてみたいくらいですが。)。ただ、人にはいろんな性癖みたいな物がありますからね(そういう映画ですし。)、これ観て「めっちゃ興奮する。」って人がいてもおかしくはないですし、個人的には結構興奮したので無しじゃないですけど、付き合いたてのまだ人としての清潔さを保ちたいというカップルにはオススメはしません(イチかバチか彼女の本性を知って一足飛びに距離を縮めたいという人にはいいかもですが。)。で、何がそんなにデートに向かないかと言いますと、ホラー映画でエゲツないシーンがあるとかグロい表現があるとか言う前に、人間の(というか女性のですかね。)本来あるべき姿を暴いていく様な映画なんですよね。
最初の自動車事故のシーンの後にタイトルが出て(タイトルの出方めちゃくちゃ良かったですよね。ホラーはここ要ですから。)、ジュスティーヌっていう16歳の女の子が出て来るんですが、この子が両親と一緒に外食に来てるんですね。で、そこで出されたマッシュポテトに肉のカケラが混じっていたということで母親が店にクレームをつけに行くんですどうも、ジュスティーヌはベジタリアンの様なんです。で、ここで父親とふたりになるんですけど、父親とジュスティーヌにはちょっとした壁がある感じなんです。仲が悪いという訳ではなくて、ふたりになるとちょっと気まずいみたいな(思春期の娘と父親にはよくあると言えばある光景ですよね。)。父親は子供の教育は教育熱心な母親に任せて、とにかく子供達には母親に逆らうなと。そうやって割と抑制されて育てられてるみたいなんです。で、ジュスティーヌはまだ16歳なんですけど、凄い秀才で飛び級で大学に行くことになっているんですね。しかも、その大学というのが両親も行っていた獣医学の学校で、姉のアレクシアも通ってる学校という。で、いざ入学してみると(大学というのが全てああなのかは分かりませんが。)、1日目の夜から新歓と称して馬鹿騒ぎの連続なんです。動物の血を頭から掛けられたり、部屋の物を窓から全部捨てられたり。その中に必ず全員がやらなきゃいけないウサギの腎臓を生のまま食べるっていう儀式みたいなものがあるんですが(これは獣医学を志す者として、動物そのものを体内に入れてそれと一体になるみたいな意味があるんだろうなとは思うんですけど、要するに大学生がよくやる新入生へのかわいがりの一貫ですよね。)、 ジュスティーヌはベジタリアンなので当然拒否するんですね。でも、大学生のこういうのって絶対じゃないですか。姉のアレクシスにも勧められて無理矢理食べさせられるんです。それで、その日の夜に拒絶反応で身体中に蕁麻疹が出て、更にそれを掻き壊してしまって身体中の皮が捲れて剥がれてしまうんです。ただ、その拒絶反応の後からジュスティーヌは肉が食べられる様になるんです。食べられるというか、食べたくてしょうがなくなってくる。ついには、調理した肉では飽き足らず夜中に冷蔵庫にある生肉に貪りつくみたいなことになっていくんですね。で、とうとう人の肉が食いたいって衝動を抑えられなくなるところまでいく。ということで、ここから一大カニバリズム・ホラーになっていくわけなんですが。あの、なぜこれ、ここまでストーリーを説明したかというとですね。これが単にホラー展開の為の状況設定じゃないからなんですね。この映画、カニバリズムに喩えて少女が大人になっていくその段階を徹底的に描いていってる映画なんですよね(なので「千と千尋の神隠し」なんかと同じ話です。カニバリズムに喩えちゃってるのが「千と千尋の神隠し」とは違うとこなんですが、いや、でも喩えが変質的って意味ではそんなに違わないかもしれないです。)。
この"カニバリズムに喩えて"っていうところでホラー映画になってるわけなんですけど、ホラー映画としてはそれほど強烈なシーンがあるわけじゃないんですね。ただ(監督が女性ってとこがその要因だと思うんですけど)、少女から大人の女性になる段階で起こる様々な事(人の事を好きになったり、今まで感じた事がなかった身体の変化を感じたり、自分の事が醜く見えたり、それまでの自分とは違う生き物になってしまったんじゃないかと感じる事など。)が、自分にとって、人の肉を無性に食いたくなるくらいワケが分からなくて恐怖だったって事を言ってるんじゃないかと思うんですね(ていうか、そういう事の暗喩だってことは観れば分かる様にはなってるんですけど。)。この淡々とホラー表現をしている様でいて、じつは少女から大人の女性への変化を描いているっていう喩え方がとにかく衝撃的で見事なんですけど(ラストシーンまで観ると思ってた事がまた変わるなんてのもあります。家族の中の父親の立ち位置みたいなものとか。)、劇中で一番ショッキングだったのがジュスティーヌが最初に人の肉の味を知るところなんですね。もうどうにも衝動が抑えられなくなって滴る血を舐めてしまった瞬間のジュスティーヌの表情がほんとに凄い(素晴らしい)んですよ(このジュスティーヌを演じてるギャランス・マリリエさん、カットによって少女に見えたり大人の女性に見えたりするんですけど、この瞬間の顔が完全に無垢な少女の顔なんですよね。)。何かタブーを破ってしまった背徳感と、知らなかった快感が一気に押し寄せて来てるのがその表情一発で表現されていて、めちゃくちゃ官能的かつそこに恐怖(と暴力性)も感じてるのが分かって。その切実さに、観てるこっち側もワケの分からない感情になるって言いますかね。少女が大人になったその瞬間をその時の感情と共に感じさせてくれるなんてね。いや、恐怖でした(男からしたら、人肉食いの話だろうが思春期の女の子の話だろうがどっちにしろ未知の恐怖なんですよね。)。
監督のジュリア・デュクルノーさん、これが長編デビューらしいんですが、キレイに纏めずに、あからさま過ぎるくらいあからさまに描いてるのが凄く良くて(そういうとこ「ネオン・デーモン」にも近いんですけど、というか、「ネオン・デーモン」が持ってるデビッド・クローネンバーグ感に近いというか。ただ、あっちよりもきちんとお話として見せてくれるので、怖さがちゃんと理解しながら入って来るんですよね。)。アートとか文芸になりそうなテーマをホラー展開にする事で、B級映画然としてるんですけど、だからこそ見えて来る本質の部分というのがあって(正にこの映画が描こうとしている物理的な暴力とか欲望の部分だと思うんですけど。)、そこのところを恐らく監督がちゃんと分かってやってるんだろうなというのが、めちゃくちゃ怖くて気色の悪い映画なんですけど、観終わると不思議と爽快で感動的でもある部分だと思うんですね。だって、思春期の女の子が感じる恐怖なんて映画以外でなかなか体感出来るものでもないですからね(ただ、これ、こういう風に見せられるとその感覚が切実に伝わってくるということは、男の自分にもそういう時期というか感覚があったってことで。忘れていましたが、確かにワケの分からなくなる瞬間とかありましたよね。思春期の頃って。そういうこと思い出させてくれるというだけでもそうとうな映画体験ですし、)。そういう意味で正しく映画だなと思うわけです。
性的な欲望をホラーにしてるってことで、さっき挙げた「ネオン・デーモン」や、2016年に公開された「イット・フォローズ」に近いんですけど、こっちの方がもっと俯瞰で寓話的(で、ありながらもの凄く私的でもあるんですよね。ジュスティーヌの日記を盗み読んでいるみたいな感覚があるんです。)ってことで、子供を持つ恐怖をホラー映画として描いたデビッド・リンチの「イレイザーヘッド」、あの不穏さに一番近いんじゃないかなと思いました。僕はめちゃくちゃ好きな映画でした(で、やっぱり、これはホラーだと思うんです。なぜかと言うと、ストーリーを全部知ってしまってから観ても絶対的に面白いと思うからなんです。映画の面白味をストーリーではなく、”それ”を知った時にどうショックを与えるかってとこに置いていて、そこがまたゲセワで良かったんですよね。)。
サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。