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どうして海外移住という発想に行きついた?(1)

こんにちは。前回、初めて書いたnoteは、どういうわけかたくさんの方の目にとまり、いいね❤️も、たくさんいただきました。

私は、20代から都内で仕事をして、結婚して、子供が生まれて、40代に入ってから、はじめての海外移住を決行しました。

この記事では、
「なぜ海外移住に思い至ったか」について触れたいと思います。


サードプレイスがあることの重要性


2011年3月11日の東日本大震災の時には、都内に住んでいました。幸い、職場から自宅までは徒歩圏内だったため、私はスムーズに帰宅できましたが、夫は職場のある港区から、自宅がある目黒区まで、人混みをぬって走って帰宅しました。

都内では、当日よりも翌日以降の混乱が顕著だったように思います。車は動かず丸1日経っても帰宅できない人も多く、物流が止まりスーパーやコンビニからは物がなくなり、給油のためガソリンスタンドには行列ができ、数日間の輪番停電が行われました。

日本の、地震を含めた自然災害の多さ、都市部がゆえの脆弱なインフラから生じる問題を目の当たりにしました。

それまで漠然と「いつかは海外行ってみてもいいかも」と思っていましたが、ここでハッキリと「日本以外に、サードプレイスを持った方がよいかもしれない」と、半ば本能に近い、そんな思いに至ったのでした。


体力と気力の交差点があるなら、今


また、年齢のことを考えると、長いようで短い一生、海外へ打って出られる時期というのは、限られるのではないか? と考えました。当時、まだ子供はいませんでしたが、子育てのフェーズや、親や家族の状況、万が一、海外生活が立ち行かなくなっても、またイチからリカバリーできる年齢。

そして、不慣れな土地で、新たに自分の暮らしをセットアップするには、さまざまな苦労があるはず。

それらを乗り越えるためには、まずは自分が心身ともに健康であることが重要。30代、40代というのは、気力・体力ともに十分にあり、海外に出るならば今しかない。そう考えました。


海外移住の方法といえば?


そう思ったものの、「海外移住 方法」などのキーワードでググることすらせず、海外移住の王道といえば「駐在」だろうというアタマしかなかった私は、夫の会社で海外駐在の枠がないかを模索し始めます。(私の仕事は、会社が小さくかつドメスティックなため、駐在はあり得ません)

ある日、会社の先輩が、シンガポールに駐在しているらしいという話を夫が持ち帰ってきたので、すぐさま「シンガポールへ行ってみよう」と決め、航空券を手配し、シンガポールへ飛びました。

先輩が住む、シンガポールのオーチャードから入ってすぐの綺麗なアパートメントを見せてもらいました。プールつき、ルーフトップには住民が誰でも使えるBBQスペース、広々として緑がのぞめる部屋。

ほわぁ、素敵。こんな暮らしが叶うなら、シンガポールも良いかもしれない。と、そんな風に思う社員は多数おり、中でもシンガポール枠はかなり狭き門のようで、帰国子女でも英語力が高いわけでもない夫には、なかなかその番は回ってこなさそうでした。

マリーナベイサンズに宿泊した日は、インドネシアからのヘイズで煙っていた
写真は、ザ・フラートン・ベイ・ホテルから


漫然と過ぎて行く年月


その後、「上海なら枠があるかもしれない」と話に上りましたが、中国には興味が持てなかったこともあり、話は進みませんでした。

海外駐在枠へなんとか食い込もう、と社内パスを作るため、海外カンファレンスの参加プログラムに挙手し、運良く行けることに決まった直後から英会話のGABAへ通ったりと、それなりの行動は起こしましたが、どれも駐在にはつながりませんでした。(がんばったのはすべて夫)

そして…お互い元気なDINKS 30代、仕事に遊びにと多忙な日々を過ごし、海外移住の思いは宙ぶらりんのまま、気づけばあっという間に、5年もの年月が経っていたのでした。


新たな模索


海外移住への思いを新たにしたものの、具体的な道筋が立てられないまま、けれどもそれなりに楽しく過ごしていた私たちに訪れた転機。

それはある日突然、普段は旅をしたいなんて言わない夫(むしろ、したくない。部屋に引きこもって、ゲームや自分のクリエイティブ活動をしたい)が発したひとことによって、新たな模索が始まります。

「僕は、なんとなくで、自分でもよくわからないけど、◯◯に行ってみたいんだよね」


次回へ、つづく



需要があれば、ビザや会社設立などについても書いていこうと思います。読んだよ、のいいね❤️ をしていただけたらうれしいし、励みになります! 

また、聞きたいことなどあれば、お気軽にコメントをお寄せください🙂


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