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人間を下等生物にするもの「十二国記に学ぶ人間のあり方」

祥瓊「満足?私が、こんな惨めな姿になって嬉しい?」

月渓「本当に、誠に醜い」

祥瓊「お前がこんなふうにしたんだろう!?襤褸を纏い、土に塗れて暮らすように仕向けて!」

月渓「民のほとんどは今お前が襤褸と呼んだ衣服を着ている。それを蔑む心根が醜いと申し上げた。」

十二国記ep.26
原作 小野不由美
制作 NHK
アニメーション制作 株式会社ぴえろ
放送局 NHK

さて、タイトルを読んだ時点で既に、何の話か理解された方もいるだろう。
引用欄に記入したが、改めてもう一度紹介しよう。小野不由美の原作小説をアニメ化した作品、十二国記の話だ。
正確には「風の万里 黎明の空」のアニメ化部分なのだが。

はじめに

最近、一部の界隈だが巷を騒がせている例の下等生物について話したい。
一連の流れを見て私は、人というものはあそこまで醜くなれるものなのか、と感じずにはいられなかった。
一部だけがそうならまだいい。ごく一部の下等生物だけがああであるならまだマシだ。
だがあれが極端な例であるだけで、近しい考え方を持っていたり、共感を覚えるようなら危険信号だと思う
そもそも、あの手の思想を大っぴらに発信できていること自体がおかしいだろう。
もちろん、発言自体は自由でいいと思う。表現は守られるべきだ。それが例えどんなに下劣な思想だとしても

ただ、近代は程度の差こそあれ、あの手の下等生物の存在を社会が許容し過ぎているきらいがある。ハッキリ言ってそういう時代なのだ。変えることはできないだろう。今は令和だ。誰にも矯正なんてできない
だからせめて、下等生物にならないための心構えを題材にしたい。それにはちょうど、十二国記が良いのではないかと私は考える。

十二国記を知らない方のための説明

十二国記の舞台となるのは日本とは別の空間に存在する異世界だ。なんちゃって中華風ファンタジーと違って覚えることが多い。
今回は細かい説明は抜きにしよう、

この異世界にはその名の通り、十二の国が存在する。その国には王が存在して古代中国のような王朝をそれぞれ形成している。


麒麟に選ばれた者。国を治める義務を持ち、間違った振る舞いで国を荒らすと麒麟が病にかかり、最悪死ぬ。麒麟が死ぬと王も死ぬ。神仙である。

麒麟
王を選ぶ神獣。憐れみ深いが、バランス感覚がないので国を治めることはできない。王が道を失うと病に侵される。

神仙
神は天とほぼ同義のため、下界にいるのは仙人。不老だが不死ではない。一般人でも王が仙藉に入れてくれると仙人になれる。

妖魔
魔物。国が荒れると現れる。人を襲う。とても嫌われている。

太子、公主
王の子息、子女。偉い。


本文(祥瓊の話)

それでは始めよう。ここで取り上げたいのは先の引用で用いた「祥瓊(しょうけい)」の話しだ。
ご存知の方には悪いが、あらすじを説明していく。

祥瓊芳国(ほうこく)公主(娘)だ。父が王となったので仙藉に入り、13歳から30年間歳をとっていない。精神年齢は43歳だ

芳王は罪を憎み、厳しい法律で民を縛った。それこそ、飢えてパンを盗んだ子供が死刑になるレベルで厳しい。
他にも、ほんの少しでも堕落と見られる行為があれば死刑だ。この治世によって累計で60万人の国民が死刑になった。最後の一年では30万の国民が死刑となり、見かねた部下の月渓(げっけい)に芳王は殺されることとなる。
その際に、王后(妻)は首を刎ねられ、祥瓊は仙藉を剥奪され、別の戸籍を与えられて孤児院のような所に入れられる。ちなみに王后は嘘の告発で多くの人を死刑に追い込んでいる。

王宮を追放後、歳をとる体に絶望しながら3年間ほど野良働をしながら過ごす。
ある日、祥瓊の素性を疑った老婆から元公主ではないかとカマをかけられる

自分を助けてくれると思った祥瓊はまんまと引っかかる。

この老婆は、刑場に引き立てられていく幼い子供を哀れんで、役人に石を投げた息子を死刑にされており、その怒りを祥瓊にぶつける。

祥瓊は父のやったことだから自分は関係ないと言う。

老婆「お前が殺したも同然だ!」

祥瓊「いいえ!私知らなかったんです。お父様がしていることなんて!」

老婆「知らなかった!?公主が王宮の足元で何が行われていたか、知らなかったというの?」

祥瓊「わ、私本当に、」

老婆「おめおめと生き延びて、お前の食い扶持がどこからでているか、知っておいでかい!?」

祥瓊「だって、だって本当に知らなかったんだもの!」

十二国記ep.24
原作 小野不由美
制作 NHK
アニメーション制作 株式会社ぴえろ
放送局 NHK

このやりとりで祥瓊は仕事を3倍に増やされてしまう。ただでさえ不当な仕打ちを受けていることに腹を立てているので、踏んだり蹴ったりだと思っている。
そして、慶国(けいこく)の新たな王が女王という話を聞いて自分の失ったものを思い、恨みの炎を燃やす。

老婆の不注意から他の孤児にも祥瓊が元公主であるということを知られてしまう。そして強い恨みを向けられる
そもそも、施設の孤児が孤児になった理由は刑罰によって家族を失ったからなのだ。
厳し過ぎた法律について祥瓊は責められるのだが、祥瓊は罰を受ける側に問題があると開き直る。

ついに、施設以外の人にも知られてしまい、自分がどれほど恨まれているかを知ることになる。だが反省はない。
むしろ、老婆に対して月渓がどれほど悪であるかを語る。

老婆「そうか、お前の目の前で王后をお斬りになったか」

祥瓊「逆賊なのよあいつは。わかった?」

老婆「わかったとも。お前が骨の髄まで腐っていることがよくわかった。」

祥瓊「え、、?」

老婆「自分が恥を知らないからと言って、他の人間まで恥知らずだとは思わないがよかろうよ。
(中略)
(月渓は)玉座などお望みではないのだ」

十二国記ep.26
原作 小野不由美
制作 NHK
アニメーション制作 株式会社ぴえろ
放送局 NHK

目の前で家族を殺されたのに、未だに他人の気持ちがわからない祥瓊に老婆は呆れ果てる。それでも祥瓊は、自分は悪くないの一点張りなのだ。

やがて街の人間に引き立てられ、縛られて牛裂きにされそうになる。
街の人の中には、妻が髪飾りをつけていた、という理由だけで同じ刑を受け、妻を亡くした人もいる。

あと少し、というタイミングで役人が到着して私刑を止める。

月渓が助命した祥瓊を勝手に殺してはいけない
と思った老婆が知らせておいたのだ。

もう街には置いておけないので祥瓊は月渓の元へと連れて行かれる。その際の会話がこの記事の冒頭の引用文だ。戻るのは面倒だと思うのでもう一度引用する。

祥瓊「満足?私が、こんな惨めな姿になって嬉しい?」

月渓「本当に、誠に醜い」

祥瓊「お前がこんなふうにしたんだろう!?襤褸を纏い、土に塗れて暮らすように仕向けて!」

月渓「民のほとんどは今お前が襤褸と呼んだ衣服を着ている。それを蔑む心根が醜いと申し上げた。」

十二国記ep.26
原作 小野不由美
制作 NHK
アニメーション制作 株式会社ぴえろ
放送局 NHK

祥瓊は、父が殺されたのも、自分が虐められるのも、嫉妬だと思っている

自分が気に入らないことは何を指摘されようと嫉妬なのだ。

いたずらに混乱をまねく祥瓊は隣国の恭(きょう)に預けられる。

せっかく恭国の王宮で働かせてもらっているのに、他責と逆恨みから恭王の宝物を盗んで逃げ出す

さらに、あろうことか慶王の地位を奪って恭王の前に現れて、ざまあ、をすることまで妄想してしまう。

そして、国境を越えた隣国で宝物を代金にしながら宿を転々とする。
ある時、宿が混んでいたので相部屋を勧められ、そこで楽俊(らくしゅん)と出会う。

楽俊は見聞を広めるために旅をしていた学生であり、慶王(陽子)の友人である。日本から来て行き倒れていた陽子(ようこ)を助け、慶王に即位するまでサポートした経験がある。作中屈指の人格者である。

王宮の宝物を盗んだ罪人であるのことがバレてしまった祥瓊は、相部屋の楽俊に貰ったものだと嘘をついて巻き込んでしまう。
役人に尋問されるが、役所が腐敗していたため、宝物を賄賂に見逃してもらう。

楽俊は無罪の上に、旅券が特別製であったことも加わり、とっくに放免されていたのだが、祥瓊を心配して待っていた。祥瓊は楽俊に驚くのだが、楽俊の助言もあって行動を共にすることになる。

そして、この期に及んでもつまらない見栄ばかりにこだわる祥瓊に、

楽俊「今まで、芳の難民にはたくさん会った。先の王は随分憎まれてるなぁ。公主を庇う者もいなかった。」

祥瓊「私のせいじゃないわ」

楽俊「あんたのせいだよ。親父さんが芳王になったのは確かにあんたのせいじゃねえ。けどさ、公主になったからにはその責任が生まれるんだよ。」

祥瓊「責任?」

楽俊「ここ柳の国の太子は確か、官吏を務めておられる。南の奏国でも太子は王を助け、公主は国立の医院を創られた。今のように病人の方が医者に行くようになったのは奏の公主様が始められたことだ。」

祥瓊「知らなかった。だって」

楽俊「知ってなきゃいけなかったんだ。公主の祥瓊よりオイラの方が遥かに芳に詳しい。それって襤褸を着るより恥ずかしいことだってわかるか?」

祥瓊「でも」

楽俊「世の中のほとんどの人は、その毛織物を着てる。誰も恥じやしねえ。それが自分の手で働いて得た最上のモノだからだ。なんの努力も無しに絹を着てる連中もいるさ。でもな、努力も無しに与えられるってことは、その値打ち分のことを要求されているんだ。」

祥瓊「全部私のせいだと言うの?お父様もお母様も、何もしなくて良いと仰ったのよ?何を知る機会も無かった。そんな人間いくらでもいるわ。慶王だって。そうよ!何も知らずにこちらに流されてきたくせに、今は王宮の中で贅沢な暮らしをしている。それでも、私だけが責められるの?」

楽俊「慶王が憎いのかい?何の努力も無しに、かつてのあんたと同じモノを持っているように見えるから。慶王は、国と民に責任を負っている。責任を果たさずに手に入るものなんかねえんだよ。あったとしたらそれは何か間違ってる。間違ってることを盾にとっても誰も認めてくれねえんだ。」

祥瓊「き、聞きたくないわ!聞きたくないの、お願い」

十二国記ep.30
原作 小野不由美
制作 NHK
アニメーション制作 株式会社ぴえろ
放送局 NHK

ちなみに、このあたりを契機に祥瓊は変わり始める
正直なところ、私が十二国記で1番好きなキャラクターは祥瓊なのだ。未視聴の方は是非この先を知ってほしい。
アニメオリジナルの展開があるとは言え、小説では感じにくい熱がアニメからは感じやすい。とてもオススメだ。小説の場合は「月の影 影の海」から読むといいだろう。

さて、本題に戻ろうか。

人を下等生物にするもの

あのような状態から祥瓊が自分を見つめ直すきっかけを得られたのはフィクションだからだと言ってしまえばそれまでだが、反面教師というものは必ずあると思う。

むしろ、人は「あの人のようになりたい」という気持ちよりも「あんな人にはなりたくない」という気持ちの方がモチベーションになるのではないか、とも思う。
例の下等生物にはわからないかもしれないが。

共感性の欠如

共感能力というものは同情してもらうためのものではない。他人に歩み寄るためのものだ。
しかし、これは簡単なことではない。
泣いている人間を見ると胸が締め付けられるのも、笑顔につられて笑ってしまうのも、感情に引っ張られているだけだ。
何故泣くのか?何故笑うのか?に注目しなくてはならない。

相手の置かれた状況を理解して初めて共感ができるのだ。


自分と親しい人間に寄り添うことなど、誰でもできることだ。大切なのは自分とは何の関係もない人々にも寄り添うことなのだ。

これはなにも、見ず知らずの他人のために命を懸けろ、という話ではない。あなたの目に映らない人々も「生きている人間」なのだと理解しろ、という話だ。

当たり前のことだと思っただろうか?
知らず知らずのうちに自分は、「自分や自分の周りさえ良ければいい」と、思ってしまってはいないだろうか?

自分の痛みには過敏で他人の痛みには鈍感になっていないか、常に考える必要があるだろう。
まあ、下等生物には難題かもしれないが。

嫉妬深さ

他人からの非難を嫉妬で片付けてはいないだろうか?

下等生物にはありがちだが、悪いことをして他人から非難されると「嫉妬認定」してしまっているのではないか?
そもそも「悪いこと」という認識自体が下等生物には無いかもしれないが、人間社会では個人の快、不快で善悪は決まらない。

下等生物はミラーリングも苦手なので相手が何を考えいるのかが理解できない

相手を理解するには観察力や記憶力、推論能力が必要となる。
それらが乏しいと自分と同じレベルの知能を相手にも当てはめてしまうため、何を言われても嫉妬にしか聞こえないのだ。

それは、自分は嫉妬深いのだと紹介しているようなもので、非常に見苦しく卑しい。

下等生物には難しいかもしれないが、人間なら他人の意見や批判に耳を傾けられるはずだ。自分の嫉妬心と向き合い、克服できるように努力が必要だ。

人間としての格の低さ

下等生物でも薄々気づいているかもしれないが、人間には格が存在する。
人間の格を決めるのは、

身体能力、知的能力、社会性だ。

前の2つを求めるのは酷なので社会性に言及しよう。
誤解を恐れずに言えば、社会性の前では身体能力も知的能力も優先度は低い。
我々は本能的に形成してきた「群れ」をはるかに超える規模の「群れ」の中で生きている。

本能に甘えていては我々の「群れ」は維持できない。顔も知らないような相手を思い遣ることもできないようでは社会は崩壊に向かう。

「私にとっては得だけど、全体のためには損」なら、その利益を拒むことができるのが社会性だ。

流石に「宇宙船地球号」とは言わないが、国の行く末は考えなければならない。

昔は責任のある立場の人間にしか許されなかった参政権を、今は国民全てが持ち得るのだから。

どれだけ利己主義ではないか、どれだけ多くの他人のことも考えられるかで人の格は決まる。下等生物には理解不能かもしれないが。

虚言癖

よいだろうか?嘘は方便ではない。嘘が方便であるのは相手のための嘘だからだ。自分のためにつく嘘はゴミ同然だ。

「嘘は悪いだけじゃなく卑しい」

と言ったのはバーネットの小公女セイラだっただろうか?

品性が下劣な下等生物は自分が逃げるためどころか、他人を陥れるために平気で嘘をつく。
信じられないかもしれないが、本当なのだ。
知能の問題から支離滅裂な内容なのだが、いかんせん通用する場合が多い。
しかし、小学2年生に匹敵する文章構成能力を持つことは特筆しておきたい。

嘘をつくことが悪いことだという認識さえない可能性もあるが、自分の感情が最優先の下等生物は、他人がどうなるかなど微塵も気にかけずに嘘をつく。
そして、他人がどんな目に遭おうと自業自得と判断するのだ。

責任や義務からの逃避

意見が二転三転するのはある意味では成長なのかもしれない。
絶対に意見を変えない人間は成長できないだろう。他人の意見を受け入れる柔軟性は美徳である。
しかし、責任や義務から逃れるために意見を変えるのはいかがなものか?
成人しても自分の言動に責任を持てないのであれば、社会に出てきてはいけない。

まして、権利は欲しいが義務はいらない、利益は欲しいが責任はいらない、といった態度は害悪でしかない。

責任無くして得るもの無し。人より多くの利益を得るには人より多くの責任を負わなければならない。
人より大きな権利が欲しいなら、相応の義務を受け入れる必要がある。
いいとこ取りは許されないのだ。それがまかり通る社会は必ず崩壊する。

だが、下等生物には責任や義務など理解できないかもしれない。駱駝が針の穴を通る方が簡単だろう。

自分のために泣く

最後に自分のために泣いたのはいつだろうか?
人は成長するにつれて自分のためには泣かなくなる。
思春期を終えたならもう大人だ。自分のために泣いてはいけない。赤ちゃんではないのだから。
しかし、下等生物はいつだって被害者なのだ。確かにその能力の低さ加減を考えるなら被害者だと言えなくもない。
しかし、我々成人は赤子でも幼児でもない。社会が悪いこともあるが、他責や逆恨みになっていないか見つめ直す必要もある。反省しよう。自らの不甲斐なさに涙するなら良いが、被害者意識で泣くのは大人のやることではない。
まして同情をひくために泣くのは下等生物のすることだ。

虚栄や自己顕示

下等生物はとにかく見栄っ張りだ。分不相応なものを手に入れたがる。
それも正攻法ではなく、下賎な手段を使う。
だかまあ、ここまでならそう大した問題ではないのだ。
問題なのはその驕慢さだ。欲しいもの入手して満足すれば良いものを、他人に自慢せずにはいられないのだ。
それが下等生物たる業の深さなのだが。これは一種の犯罪自慢のようなものであるが、この世には無視できない割合で下等生物予備軍が存在する。
早い話が、羨ましがってしまう者もいるのだ。こんなことに憧れるとは穢らわしい限りだが、憧れは止まらないのかもしれない。

こと驕り高ぶるという才能に関して下等生物の右にでる生物は一切おらず、能力と反比例するように慢心してしまう。悲しいことだ。

まとめ

我々人間はともすれば、下等生物に堕ちてしまうことがある。今は人間でも何かの拍子に卑しさが湧き出すこともある。
人間が下等生物と違うのは人間であろうとする意思力を持つからだ。

「こうした方が得かも」
「どうせバレない」
「みんなやってる」
「あいつだけズルい」
「あれも欲しい、これも欲しい」

欲望との折り合いをつけられない者は下等生物に成り下がってしまう。物質的な世の中には、とかく誘惑が多い。きっと我々は誰しも心の中に卑しさを抱えている。
人が魂だと思っているものは、自らの手で作り上げる自己そのものだ。我々は生まれつき道徳を知る生き物ではない。その素養はあっても周囲から育んでもらうものだからだ。
だが、それは成人するまでの話。
その後は自ら育てなければならない。先程は反面教師の話をしてしまったが理想的なのは、

「自らこうありたいと願う人間を目指すこと」

なのだ。

魂の形は自分で決められる。絶えず努めることが自らを救う道でもあるのだ。そして、他人も救えるような人間になれたら尚良しなのだ。


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