今、生きている、ということ。
こんにちは
砂漠渓さんのこちらの記事を拝見し、いろいろと考えました。やりきれない気持ちにもなりますが、とても大切な事だと思ったのでご紹介します。
私の祖父は戦争の話を一切しませんでした。父が一度だけ、「親父は特攻隊におったんや」 と 言ったことがありました。
父はどこか達観している人だったので、自分の戦争体験を他人事のように話してくれました。
疎開先の川で遊んでいたとき、B29に狙われたこと。川に潜った瞬間にすぐ横に弾が打ち込まれたとか。
終戦しているのに日本軍どうしが小学校で銃撃戦を始め、巻き込まれたこと。「俺はかすり傷ですんだけどな」、と。。
進駐軍のキャンプでカタコト英語で物々交換したことは楽しそうに話してましたが。
もし、戦争が長引いていたら、父が亡くなったり大怪我をしていたら、私はいなかったのです。
私は大阪で生まれ育ったので、広島、長崎のことは教科書上での知識でしかありませんでした。でも、実際に長崎に暮らすようになって以前より身近に感じます。外見は綺麗ですが、場の歪みのようなものは残っています。
何でこんなことが起こるのだろう。。
私は何で長崎にいるんだろう、何で今、戦争の話が気になるのだろう、どうしたら平和な世界になるのだろう、私に何ができるのだろう。。
何かを批判したり、憂いているだけでは何も始まりません。
先ずは自分が穏やかでいること。結局そこだとだと思います。
落ち着いて在ることが、世界平和に大きく貢献していることに繋がっていると信じます。
砂漠渓さん、大切なことを伝えてくださってありがとうございます。
感謝とともに。
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