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覆水盆に返らず。(人間関係ver.)

先日、高校時代の友人たちとドライブに出かけた。

このご時世、白昼堂々ドライブをすることには多少気が引けたので、二人の友人と相談をして、夜の街を車でかっ飛ばすことにした。(ペーパーなので法定速度はすこぶる守る)

ドライブをする上で、目的地を決めるという段は必ず踏まなければならない。
そんな、普段なら片足をひょいと上げれば通過できるような段が、その時の僕たちにとっては中々に高い壁となって行く先を遮った。
僕たちはいくつかの案を出し合った。しかしそれらは、以下のようにして呆気なく却下されていった。
夜景    :むさ苦しい男3人で見に行くのなんか気持ち悪くね?
心霊スポット:むさ苦しい男3人で吊り橋効果とかなんか気持ち悪くね?
海ほたる  :気持ち悪くね?

ということで、遮二無二、右往左往、優柔不断に決めた行き先は、
「思い出の地」
ということになった。

しかし、サークル活動をするか飲み会をするか、というなんの面白みもない大学生活を送っていた僕に学校以外の思い出の地などあるはずもなく、いささか迷ってしまった。その僕のほんの刹那的逡巡を彼らは見逃さなかった。

「思い出の地、あるだろ。お前の元カノの家。」

彼らはニヤニヤしながら僕にそういった。
僕には、一緒に上京した「元カノ」がいた。もう2年以上前の話だ。

そうと決まれば、行動は早かった。僕の周りの人たちは、まるで僕の身体から根こそぎ行動力を奪っているのではないかというほどのバイタリティの持ち主ばかりで、決まってしまえば有無を言わせぬ速度で行動を開始する。
シートベルトを締めること以外、僕に選択肢は残されていなかった。


僕は別れてから、一度も「元カノ」にあってはいなかった。別れもとても褒められた別れ方ではなく、僕の方から一方的に宣言した形だった。
会いたくなかった。気まずいし、何より相手の方が僕と会うのなんて嫌だろう。

そんな僕の緊張や不安を知ってか知らずか、彼らは僕の元カノに連絡をとり、今から行くから家から出てきてくれとアポイントメントまでとっていた。
こいつら多分しっかりとした社会人になれるんだろうな、なんて関係のないことを考えてしまうのは極度の緊張からの現実逃避だったのかな。


徐々に痛くなっていく胃をさすりながら、彼らに担がれるようにして「元カノ」の家に到着した。

本当に彼女は家から出てきた。僕がなんで?と思う間もなく車に乗り込んでくる。
僕は全く動揺なんてしていませんよ。という顔をしながら、胃の痛みを精一杯押さえ込んで普段通りの会話をした。
彼女もあまり変わった様子もなく、高校時代に戻ったかのような変わらない姿を見せてくれた。


でもやっぱり距離があった。心の距離だ。まあ、それはそうだ。当たり前だ。

僕が今はもう全く恋愛的な意味で彼女を好きではないのと同じように、彼女ももう僕のことをなんとも思っていないのだろう。それは健全なことであるし、何より僕自身がそう望んだはずだった。


でも、なぜか、少しだけ、本当に少しだけ寂しかった。


ダサい話だ。
そして極めて自分勝手だ。


よく、男は時間が経ってから寂しさを感じる、と聞く。
僕はそんなこと自分には絶対にあり得ないと思っていた。

でも、「あり得ないなんてことはあり得ない。」と『ハガレン』のグリードが言っていたように、僕にもその傾向が見られてしまった。悔しい。


なんだか、人間関係に内在する僕の知らない「何か」を見たような気がした。

その「何か」は、まだ当分わかりそうにない。

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