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誕生日に本当のことだけ書く

「気にしすぎだよ」とよく言われる。

気にしすぎが私の半分くらいを占めているから、そういわれると、辛い。

「みんなも同じだよ」と言われると微妙な気持ちになる。

特別になりたかったし、なにか残したかった。

今でもそう思っていることを否定しない。

自信がない。

愛されても評価されても自信がない。
だから自分自身の問題だろう。

同年代と比べるとイベント多めな人生だった。
ただ、それも特別な印なんかじゃない。

特別ではないけど普通な人生ではなかった。
「普通じゃない人生」は、うらやむものではなかった。
自分で選んでなるものでもない。単にならざるを得なかった。
普通じゃないこと、それは、異常で、過剰で、歪で、社会に受け入れられるものではない。
「普通じゃないこと」は、隠さないといけないことだった。

普通なふりをしていると、特別だと思っている人に、踏んでいかれることがある。傷ついたことのある人が優しいとも限らない。
「自分の方が」という気持ちが時に棘になる。

といって、私も、何もかも忘れて人を踏みつけているかもしれなかった。

言葉を手放したとたんに、不安になる。
言い過ぎたか?
切り落としすぎたか?
きれいごとを書きすぎたか?
回収しにいきたいところぐっと我慢する。
でも時に連れ戻しにいってしまう。
「さっきのはそういう意味じゃなくてさ」
ダサい。
それも含めて自分だよ、というほど歳はとっていない。

無様なことはわかっている。
それが、わりと、しんどい。

「遅かれ早かれ」という気持ちがある。

死ぬのは怖くない。
いつしか怖くなくなった。
若いころは病気になるのが怖かった。
なってみたら、あまり変わらなかった。
そもそも生には死が含まれているから、
若い時はそれがわかっていないだけだった。

見るべきものは見て、するべきことはした。
そういう気持ちはよくわかる。

できれば、心だけは死ぬまで共にいたい。
世界にむき出しにして、磨いてきたこころ。

死ぬのは苦しいだろうか。
苦しいだろうな。
まだ、まだ、まだなのかと朝が来るたびに思うのだろう。

今、輝きのシーズンにいると感じている。
愛されているのを感じる。
のびのびしている。

大切な人たちが生きるこの天国にできるだけいたい。
でも、皆がいるうちに去るのがいいなあと思う。
みんな、悲しんでくれるだろうなあ。しあわせだ。
でも、わたしが最後まで生きた方がいいこともわかっている。
見送ることは、いちばん強い人しか耐えられない。
わたしがいちばん強いから、そうなればいい。

力を尽くして生き切りたい。
神だのみも人だのみもしていない。
ベストを尽くす、無理ならベター、ワーストを避ける。

ベスト、ベター、ワーストを避ける。
ベスト、ベター、ワーストを避ける。

歩みは止めない。

最後までよくなろうという気持ちを捨てたくない。

自分のラストシーンは、前のめりに倒れて、草をつかんでいる姿が浮かぶ。

真面目過ぎる。
もっと洒脱になりたかった。
「ユーモアとは?」「面白い話をするには?」
と検索してしまう自分には無理な話。

過去のことばかりやたら思い出す。
ひりひりした思いは色あせない。
もうなくなった世界、いなくなった人、記憶違いの元々なかったかもしれない世界が、刺しにくる。

何だかすごく暗いじゃないか。
こんなに暗かったっけ?
焦る。
まあ。いいか。
今日は、「本当のこと」を書く日だから。

でも、正直なことと、本当のことは違うよな。
あまりに正直で人を傷つけるようではいけない。
そう気がついて、今まで書いた文章を書き直す。

人の笑顔が好きだと思うようになった。
その人がその人らしくいるのがいい。
笑顔をみると、その人の子どもの頃の顔が浮かぶ。
そうなると嫌いにはなれない。

人を見捨てることはしなかった。
見捨てられたことはあった。
それでも悔いのない別れ方をしてきた。
その事実が私の命に与えてくれる尊厳のようなもの、を誇りに思う。

本を読むのが苦痛になってきている。
自分が固くなっている。閉まろうとしている。
こじ開けなければと思ってあれこれしていた。
でも、もう無理かもしれない。

本は、たくさん読んだ方がいいに決まっている。
ただ、自分は、本質的なことが書かれた本が好きで、本質的なことは限りなくひとつなので、様々な物語が伝えたいものはひとつだと感じる。

苦しい位なら、読まなくてもいいのかもしれない。

書くことが楽しい。
読むより、書いていたい。

もう、楽しいことだけすればいいんじゃないか。

楽しいこと
絵をかく 文を書く
物をつくる。花をいける。おしゃべり。
好きな人と過ごす。

仕事は面白いけど、いちばんじゃない。
明日世界が終わるならすぐやめる。
そして、絵や文を書くだろう。
皆に手紙を届けに行くだろう。

ただ、何となく、わたしは、最後まで、人を愛している気がする。






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