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mother's history No.23 (追補) 小さな世界から離れよ。

mother's history は、今回で一旦終了します。
読んでいただき、ありがとうございました。はるか50年以上も前の日記ですが、私の知らない世界です。こういう少女時代があつたのかと、時々涙ぐむところがあります。純情で、しかし不器用で思うように事が運ばない学業。これは、仕方ないです。人一人ひとりの特性ですから。でも、何とかあきらめずに上を目指そうとい気概はあったようです。
読んでいて、思わず手に力が入って握りこぶしをつくっている自分がおかしいやら、悲しいやら不思議な気分になりました。
彼女のこういう傾向は、ずっーと続くようです。
述懐したいことは、まだ沢山ありますが、先を急ぎます。

出て来た日記を、整理と並行しながら打ち込んででいます。
先日、時代を逆行しますが一番古い日記を発見したので、それを次回からご披露します。中学1年のときのものです。ページ数は少量のものですが mother's memory として投稿します。
なお、妻のことを「お母さん」と呼んでいたので、ここでも敢えて mother と記していきます。


6月23日
今日は、東京オリンピックの切手の発売日だ。
母をせめて、電話かけて「取っておいてください」と、たのんでおいたのを取りに行った。
学校から、帰ってすぐ自転車を飛ばして買いに行ったら、郵便局のひとが、
「今、東分校へ持っていってもらったですって」と、言いながら、東分校へ、「もしもし、そこに小使いさんあてに手紙行っているでしょ、今、女の子取りにきてるんですって、上げてくださいね。」と、電話をかけた。
「お金いくら」と、聞いたら、
「三種類のを四枚ずつですから、120円ですね」と、言ったので渡した。
見本の、はってあるところを見て、「もうこれはないんですか」と、聞いたら
「はい、もうないんやね。出すと一日でパッパッと売れてしまうでの。このオリンピックの切手かって今日出したばっかりやのに、昼まえくらいで売れてしまうんです」。
と、言ったので
「ふうん、ありがとう」と、出て来た。
でやのおばあさんが、来ていなした。

7月1日
母と父、寺山の畑へじゃがいもほりに行った。
私は、夕はんの支度をうけ持ち、兄は、おふろに入ろうとしている。兄が、お風呂にはいろうとしようとした時、「あ、頭からなあかんのや」と、言うので、兄の頭を見たら三センチほど伸びていた。なんの気なしに「頭かっちゃうか」と、言ったら、「うん、ほんならかってっけま」。
バリカン持って、かろうとしたら、「おてやわらかに、おてやわらかにしてっけや」と、言っている。
私は、生まれてはじめてバリカンを持った。初め首の所からはじめた。兄が、「なんやら、こそばいぞ」と、言う。よく見たら、こそばぃはずた゛、上すべりしている。
今度は、頭におしつけてしたら、うまくきれた。
「耳のところは、とってもむずかしい。
「耳きらんようにしてっけや」
と言う。
兄の頭は、ほんとにでこぼこだ。高い山、低い山がある。耳のとこがかりおわって、高い山にさしかかろうとしたとき、
兄が、突然、
「あいた」と言う。私はびっくりしてしまった。毛がバリカンにはさまってとれないのだ。どうしようかと思って、はさみを持ってきてきろうとしたら、「肉きれてしまう」と言って、いたそうにクックッとわらっている。
私も、しんけんだったけれど、おかしさがこみあげて、クックと笑う。
母がとんで入って来た。母が来たと思うと、あんしんしたのかまた、へやじゅうをころげまわって、なみだが出るほど笑いころげた。
なぜおかしかったのか、わかんない。
母は、「まどからのぞいたら、しんけんな顔して、バリカンととっくみあってるので、びつくりしたげね。そんな笑いころげないで、人の気持ちも考えなあかんのや、こうなるといたいのに」と、言ったので、私はもう人の頭はかるもんかと思い、こりごりした。

7月10日
夕食が終わり、妹がテレビをかけた。
五分ほどたってから、テレビがジジジジといい、画面がうつらないようになってしまつた。
あにが、「くさいぞ、きっとしんくうかんがもえてるんでないかな」と言う。ほんとにへんなにおいがした。
大きい兄ちゃんが帰ってから、なおしてもらおうと思いけしておいた。
私は、早く寝た。朝起きて妹にきいた所、「ねえちゃん、きのう画面うつらなんだのなんでや知ってるか」
「しんくうかん、もえてたんか」
「ちがーう、ねずみがこげてたんにゃ」
と、言う。
「ほんなもん、うそや」
と言うと、
「ほんとじゃ、大きい兄ちゃんがなはりがねみたいなものがでてるで、ほれを出して見たら、ネズミの足やったんだじゃ、もうかれてしまっていたいわ」と、言う。
私背筋がぞーっとして、歯がガチガチするようだった。
それにしても、小さい兄はしってるみたいな顔してて、へんなこと言うなと思った。

7月11日
とても、生あつい日だった。
学校の帰り、12時20分が行ってしまった後で、電車一時間待ちだ。私たちの教室の方へ行くと五、六人の女性がじろりと私を見る。私はニコニコしながら近寄ると多栄子ちゃんが私の手をひっぱる。
「芳美ちゃん、河合信江ちゃん先生に出した手紙見たんにゃろ、ほんならゆうてっけま」
と、言う。私ははじめ、
「ほんなもん見んじゃ」と返答した。
すると、はるみちゃんが、
「見たさ、芳美ちゃんグルーんなっているんにゃな」と言う。
何がグルーかパーかしらないけど、人がどんなことしようと、かってでないんかと思った。
また、後で教室に入ると、通ちゃん中心になんでも言っていて、私が入るとまたジロリと見る。通ちゃんたら「うそは泥棒の始まり」と言う。
このことばには、おおいに腹が立った。いくら寝させようと思っても立つもんしかたがない。
先生が、道徳の時間話されたように、人のうわさする人は大きらいだ。私の好きな人を言うと、あっさりしていて、ねちっとした所のない人だ。
あとで、みんないって、私とともえちゃん、多栄子ちゃんが教室に残った。私が言った。
「今、私らの年代はちょっとのことでもへんな思いかたしたり、感傷的なと言うけどほんとやな。ほいて人間みんな悪いとこと、よいとこがあるんじゃ。私らかってこうやっているけど、人から見ればいやらしいこともあるやろな」と言ったら、多栄ちゃんは、
「ほれは、ほやぁ」と言う。
テストの一枚二枚みられたかって、そんなはずかしい点数取る人が悪いと思う。私ら、いくら三十点や五十点ぐらいでも、これが自分の点数だと思うと、はずかしくともなんとも思わない。
こんなことでは、ほんとはいけないんだろうけれど !

7月18日
父兄会で、母9時13分の電車で来た。
きのうは、妹の父兄会で、明日は兄のだ。
連絡簿は、家庭は妹と同じで、音楽は妹の方がいい。妹は五が二つ。
それは、体育と家庭であとみんな四だ。あがく方はとってもよい。
家では。めずらしいのは音楽だ。妹みたいなおかしな者はいない。ピアノをならったり、オルガン買ってくれと言てった。私は、こんなものねだるぐらいなら、くつや洋服を買ってもらう。
社会の点数が、とっても悪かったので、問題集を買ってきてもらうようにたのんだ。

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